入試直前の過ごし方と親の見守り方[中学受験]

中学受験は思えば特殊な受験である。特に第一子の受験は、未開の荒野を行くかのようなおもむきがある。第二子なら笑ってすませられることも、第一子の受験ではそうした余裕がない。複数の子どもがいない場合であっても、そもそも中学受験自体に、親世代で両親とも体験者という例はそんなに多くない。仮に体験したからといって当事者と保護者ではまるで勝手が違う。
 つまり中学受験の難儀なところは、その当事者を、いかに当事者に仕立て上げるか、というところであろう。

 女子は十分に間に合うことが多いが、男子はドタンバ型が少なくない。一方で女子は早く思春期に入るので成長が早く止まる傾向がある。また、親子間の葛藤が早く始まる。男子は女子よりも幼い分、素直であるが、なかなか成長が思うようにはならない。まして、この時期の一年はかなり成長差があり、早生まれの受験生にはハンディがある。ただ、入試当日に間に合えばいいのだし、昨日より今日のほうがよくなるからと我が子と自分自身に声をかけるとよいだろう。
 
受験勉強の日々は、たとえばクリスマスイブに似ている。間もなく入試当日がくる。静かにその日が来るのをじっと息をこらして家族で過ごす。その親密さ、あるいは運命を分かち合っているという連帯感がそういう気分にさせるのかもしれない。

 何事もそうであるように、過ぎてみれば受験までの日々は長いようで短い。ああしてあげればよかった、こうもすればよかった、という悔恨がない親はいないだろう。しかし、自分にはそのようにしかできなかったという、懸命に生きた自負が支えでもある。それでも日々のやりとりとなると、家族は時に緊張する。いかにやっていることが知的であっても、要はしつけでもある。親にはその「しつけ」の思いが強い。先日のNHK大河ドラマ『八重の桜』に出てきたセリフではないが、「ならぬものはならぬ」という気迫がどこかにないといけないし、「やらされ感」が子どもに強くなると今度はまったく能率が上がらない。親子間はかくして煮詰まりやすいのである。

 こういう経過をたどって親子は日を重ねてきただろう。成績がよければよいで期待を大きくし、悪いと懸命になってテコ入れを図ってきた。もはや親子は一体で、当事者になれない分だけ、親の気苦労は本人の比ではない。そうかといって、この聖夜にも似た夜に保護者は切実に思うだろう。「自身は受験生を会場まで送って行くことまではできても、教室には入れないのだ」ということを。まさに祈るしかないのである。。
 さて、入試が始まってしまえばすぐに合否がわかる。即日発表という入試も少なくないので、2~3日入試を受け続けるうちに、次々と合否が判明する。合否結果が吉と出ればともかく、凶と出ることもある。その時こそ、親は立派な親を演じてほしいと思う。我が子が踏ん張れるかどうかは親が泰然自若とした、しかし優しい心遣いを持って接しられるかどうかでかなり違ってくる。失意や失敗をどうやり過ごせるか、我が子がここ一番で見習うよい手本になるよう、心してほしい。

 もっとも人はさまざまだ。ある母子はささいなことで入試前日の夜に言い合いになってしまった。案の定、翌日の入試では不合格、翌日受験した学校で気をとり直してがんばって合格することができた、ということがあった。反抗期に入りつつあるのがこの年頃の小学生だから、そういうことがあっても不思議はない。要は、小さな失敗をわざわざ大きくしないことだ。本命校の入試での失敗を、そもそも取り返しのつかない失敗だ、というふうにとらえなかったことが合格を呼び込んだ。一事が万事で、「次」でどう挽回(ばんかい)するかにすべて気力を傾けたい。

 そして中学受験の常で、小学生だからこその不安定性がある。調子のよさの波が日々異なるのだ。その日のコンディションや、出された問題のスタイルの得意・不得意で合否が分かれることも少なくない。だから、調子を崩さないことが最善の対策になる。親から子に、家族でここまでやってこられたことへの感謝の気持ちを伝えれば、子は親にやはり感謝の気持ちを返してくれる。
優しい気持ちで、我が子の中学受験という、一人立ちの第一歩を送り出していただきたい。


プロフィール


森上展安

森上教育研究所(昭和63年(1988年)に設立した民間の教育研究所)代表。中学受験の保護者向けに著名講師による講演会「わが子が伸びる親の『技』研究会」をほぼ毎週主催。

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