子どもの貧困対策は社会全体の問題‐渡辺敦司‐

安倍内閣が進める経済政策「アベノミクス」による景気回復が幅広い層にまで実感できない中、子どもに対する経済的支援をどう強化していくかが社会的な課題となっています。ごく普通の家庭でさえ教育費の捻出に頭を悩ませているのですから、日々の生活にも事欠く家庭では進学どころか就学にも支障をきたし、社会に出ても低収入に甘んじなければならないという「格差の再生産」がますます広がるのではないかと心配されています。子どもの貧困問題を、どう考えればよいのでしょうか。内閣府が先頃開催した「フォーラム 子ども・若者育成支援と貧困問題」から、現状や課題を見ていきましょう。

講演した湯澤直美・立教大学教授(「なくそう!子どもの貧困」全国ネットワーク共同代表)は、若者をめぐる状況について「気球型社会」と「砂時計型社会」という二つのイメージで紹介しました。気球型社会とは、真ん中より少し上の「分厚い中間層」が一番大きく膨れ上がっているような社会です。それに対して砂時計型社会は真ん中がくびれていて、しかも砂はいったん下に落ちると上には行けません。今の日本が、砂時計社会になってしまっているのではないかという警告です。
全体的に豊かになった日本では、開発途上国のような生存に必要な最低限の生活水準を維持できない「絶対的貧困」は、ごくまれなケースとなりました。しかし、その社会で標準とされる状態や通常の生活水準を下回る「相対的貧困」は、先進国であっても存在します。日本では今や6人に1人近く(16.0%)が相対的貧困に陥っており、子どもに「貧困の連鎖」が起きることを防ごうと昨年、「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が成立したことは、以前の記事で紹介しました。湯澤教授は子どもの例として、「ランドセルがなくても生きてはいけるが、いじめの対象になる」ことを挙げていました。

とりわけシングルマザーなど一人親世帯(2世代)の相対的貧困率は先進諸国でも突出しており、仕事に就くこと自体が難しいため食料や衣服が買えない(外部のPDFにリンク)ことさえ少なくなく、教育のことまで考える余裕がないことに、湯澤教授は注意を促しました。大学生はブラック企業ならぬ「ブラックバイト」でも我慢しなければ学費や生活費を稼ぐことができず、湯澤教授が教える学生によると「バイトの愚痴は恋バナ(恋愛話)や週末の予定を話すのと同じ」くらい日常的な話なのだそうです。進学前、在学中、そして卒業後もずっと若者は厳しい状況に置かれており、自己肯定感ばかりか、正当な怒りの声さえ上げる力を奪われていると言います。

湯澤教授は子どもの貧困問題を、かつて異変に敏感なカナリアを炭鉱に連れて行って有毒ガスが発生していないかを確認していたことにたとえて、現代のカナリアとも言うべき子どもの貧困問題は「あらゆる子どもにとって重要な問題だ」と訴えました。パネルディスカッションでは、スクールソーシャルワーカー(SSW)でもある門田光司・久留米大学教授が「子どもは次の世代の社会を担う大切な存在。子どもが夢を追いかけ、自己実現を図れる社会にしたい」と述べていました。


プロフィール


渡辺敦司

著書:学習指導要領「次期改訂」をどうする —検証 教育課程改革—


1964年北海道生まれ。横浜国立大学教育学部卒。1990年、教育専門紙「日本教育新聞」記者となり、文部省、進路指導問題などを担当。1998年よりフリー。初等中等教育を中心に、教育行財政・教育実践の両面から幅広く取材・執筆を続けている。

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