【織豊政権】石高と石盛と石高制がわかりません
石高制と石高と石盛のそれぞれの意味がわかりません。特に石高と石盛の違いがわかりませんでした。
進研ゼミからの回答
こんにちは。いただいた質問にお答えします。
【質問の確認】
石高制と石高と石盛のそれぞれの意味がわかりません。特に石高と石盛の違いがわかりませんでした。
【解説】
石高と石盛の違いですが,石高は土地の生産力を米の量(収穫高)で表したもので,石盛に面積を乗じて算出されます(石高=石盛×面積)。一方,石盛はこの石高を定めるために決められた田畑などの1段あたりの生産力をいいます。
≪石盛≫
太閤検地では村ごとに田畑・屋敷地の面積・等級を調査し,田畑には上・中・下・下々などの等級をつけました。例えば,田については,上田1段は1石5斗,中田1段は1石3斗,下田1段は1石1斗,上畑や屋敷地は1段1石2斗というようにその生産力を米で表しました。この等級に応じて定められた1石5斗といった米で表した1段あたりの生産力を石盛といいます。
≪石高≫
石高は,土地の生産力全体を米の量で示したもので,例えば上田は1石5斗×上田の面積で,上畑は1石2斗×上畑の面積で算出されます。なお,一地一作人の原則により,検地帳には実際に耕作している農民の田畑と屋敷地が登録され,自分の石高に応じて年貢が義務づけられました。ただし,実際の納入は農民個々が行うのではなく,検地帳は村ごとに作成され,彼らの石高を村ごとに集計し,年貢は村単位でかけられました。村の石高の総計を村高といい,年貢は村高に課せられたのです。
石高制は,全国の土地の生産力が米の収穫高(量)で換算された制度で,太閤検地の検地帳が石高で記載された結果,確立しました。この石高制は,石高を支配体制の基礎に置いた制度で,石高が農民に対しては年貢を決めるもととなったように,大名も石高に基づいて軍役が決められ,江戸時代にも継承されました。
【アドバイス】
この機会に,史料なども用いて太閤検地について確認し,知識を整理しておきましょう。
それではこれで回答を終わります。『進研ゼミ』を活用して,実力アップを図っていってくださいね。