【平安時代(摂関政治まで)】平安時代の頻出ポイントはどこですか?
定期テスト直前になってしまいました。平安時代の出るポイントを教えてください!
進研ゼミからの回答
こんにちは。
それではさっそく、質問について回答させていただきます。
【質問の確認】
定期テスト直前になってしまいました。平安時代の出るポイントを教えてください!
【解説】
平安時代は「794(鳴くよ)うぐいす平安京」からはじまる約400年間であり、政治の実権が貴族から武士へと移っていった重要な時代でもあります。大切なポイントは3つ。摂関政治と院政と武士の台頭です。大まかに平安京遷都から摂関政治が300年、院政が100年、その後平氏政権を経て、鎌倉幕府の成立に至ると覚えておきましょう。
≪摂関政治≫
天皇の外戚(母方の親戚)として、藤原氏が摂政・関白を独占して行った政治
藤原冬嗣が嵯峨天皇の信頼を得て皇室と姻戚関係を結んで以降、藤原氏北家が他氏を排斥し、道長・頼通の時代に摂関政治の全盛期をむかえます。以下に挙げた藤原氏による他氏排斥の経過は要チェックです。
【冬嗣】810年 薬子の変(平城太上天皇の変)をきっかけに蔵人頭に就任
【良房】842年 承和の変…橘逸勢を排斥
866年 応天門の変…伴善男を排斥
【実頼】969年 安和の変…左大臣源高明を排斥。藤原氏北家による他氏排斥が完了
【道長・頼通】11世紀前半 摂関政治の全盛期
≪院政≫
天皇が譲位した後、上皇または法皇の地位について行った政治
頼通の娘には皇子が生まれなかったので、摂政・関白を外戚に持たない後三条天皇が即位し、天皇親政を行いました。次の白河天皇は、位を譲って上皇となり政治の実権を握る院政を始めました。以後鳥羽上皇・後白河上皇も院政を行いました。
【後三条天皇】1069年 延久の荘園整理令
【白河上皇】 1086年 幼少の堀河天皇に位を譲り、院政を開始する
≪武士の台頭≫
平氏・源氏を中心とした武士の台頭を示す事件は関係人物と合わせて覚えておきましょう。
935年~941年 承平・天慶の乱 前者は平将門、後者は藤原純友を中心とした武士による乱
1156年 保元の乱 武士の力によって朝廷の争いに決着がつけられた
1159年 平治の乱 朝廷の争いから源氏と平氏が対立、勝った平清盛が実権を握った
【アドバイス】
平安時代はさらに建築物や仏教、『枕草子』『源氏物語』といった文学作品など、文化についても必ず確認しておきましょう。そして上に挙げた事柄を参考に、教科書の太字やプリント、『進研ゼミ』の教材などを見直していってくださいね。