【独立後の日本】55年体制がどういう体制かよくわかりません
55年体制ってどういう「体制」なんでしょうか。どうしてそんな「体制」ができたんでしょうか。
進研ゼミからの回答
こんにちは。
それではさっそく,質問について回答させていただきます。
【質問の確認】
55年体制ってどういう「体制」なんでしょうか。どうしてそんな「体制」ができたんでしょうか。
【解説】
55年体制とは簡単にまとめると,約3分の2の議席数を占め政権を握る自由民主党と,憲法改正阻止に必要な3分の1の議席数を保持する野党の日本社会党の2大政党が議会で対立する政治体制のことです。1955年に成立した体制なのでこのように呼ばれています。ここでは,55年体制の確立にいたる背景とその内容,崩壊までを確認しましょう。
◆日本社会党の統一
1955年2月の総選挙で,日本社会党内で分裂していた左右両派の日本社会党が,左派の躍進により,左右両派合わせて憲法改正の発議を阻止するのに必要な3分の1議席を獲得。与党日本民主党の鳩山一郎内閣が目指す憲法改正(自主憲法制定)・再軍備を阻止する目的もあり,55年10月分裂していた左派と右派は統一を実現した。このように憲法改正反対・非武装中立の立場をとる,日本社会党を中心とした勢力を革新勢力と呼ぶ。
◆自由民主党の結成と55年体制の確立
憲法改正を目指す保守勢力も,自由党と日本民主党に分裂していたが,日本社会党の統一がなされると,財界の要望もあって55年11月に保守合同を実現,自由民主党を結成して保守勢力を結集させた。これにより日本社会党を中心とする革新勢力が議席の3分の1を維持し,対して保守勢力である自由民主党が議席の3分の2弱を確保する,保守一党優位の政治体制=55年体制が確立された。
55年体制の崩壊
55年体制は40年近く続いたが,1993年の総選挙で自由民主党が衆議院議席数の過半数を割り込み,日本新党党首の細川護煕による非自民8党派の連立政権が成立した。この政権自体は短命に終わったが,ここに自由民主党が議席の絶対多数を占めていた55年体制は崩壊した。
【アドバイス】
戦後の日本については,学習が手薄になりがちです。『進研ゼミ』の教材などを活用して,きちんと押さえておきましょう。