【江戸時代~近現代の日本思想】儒学者、国学者について
儒学者、国学者で覚えておくべき人は誰?
進研ゼミからの回答
こんにちは。
それではさっそく、質問について回答させていただきます。
【質問の確認】
儒学者、国学者で覚えておくべき人は誰?
【解説】
日本における儒学の流れは、まず江戸幕府の官学となった朱子学と、その官学化に尽力した林羅山についておさえるのが第一です。そして、朱子学への批判から生まれた陽明学派、古学派についても確認していきましょう。古学派内の各学派は紛らわしいですが、重視した内容や研究対象をおさえ、しっかり整理しましょう。
人物名 | 行ったこと | ||
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朱子学 | 林羅山 (はやし・らざん) |
代表的な朱子学者。日本の近世儒学の祖である藤原惺窩(ふじわら・せいか)に学び、惺窩の推薦により幕府に仕え、朱子学の官学化に貢献した。 人間の身分の上下は、天地に上下の区別があるのと同じように定められているとする上下定分の理を説き、己をつつしむ心である敬を重視した。そして、私利私欲をおさえて常に心の中に敬を持ち、身分秩序にあった生き方を心がける存心持敬をとなえた。 |
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陽明学 | 中江藤樹 (なかえ・とうじゅ) |
日本陽明学の祖。最初は朱子学を学んだが、外面的な規範を重視する考え方に疑問を持ち、心のこもった実践を重視する陽明学に賛同するようになった。 人を愛し敬う心を本質とする孝を重視した。また、すべての人には善悪を正しく判断できる良知が備わっており、それを行いとしてあらわす知行合一が大切だと説いた。 |
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古 学 |
古学 | 山鹿素行 (やまが・そこう) |
古学の提唱者。はじめ朱子学を学んだが、やがてその抽象的・観念的な傾向を批判した。そして、周公や孔子の教えに立ち戻り、後世の学者の解釈を排して学ぶべきであると主張し、古学を提唱した。 また、儒学をもとに平和な時代の統治者としての武士のあり方を追究し、士道を確立した。 |
古義学 | 伊藤仁斎 (いとう・じんさい) |
古義学の祖。はじめ朱子学を学んだが、やがてその形式的な考え方に疑問を持つようになった。そして、『論語』こそが「最上至極宇宙第ー」の書であるとの確信に至り、儒教本来の精神を明らかにするためには『論語』『孟子』の原典を直接研究するべきだと考えて、古義学を提唱した。 孔子の教えの根本は仁であり、その本質は愛であるとして、人々が互いに愛し合うことが重要だと説いた。そして、仁愛の実現のために、偽りのない純粋な真実無偽の心である誠を重視した。 |
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古文辞学 | 荻生徂徠 (おぎゅう・そらい) |
古文辞学の祖。古学の立場をさらに徹底させ、古典を当時の言葉の意味を通じて理解しようとする古文辞学を提唱した。中国古代の聖人たちが天下をおさめるためにつくりあげた先王の道を明らかにし、それに従うことで世の中はうまく治まると考え、『論語』以前の六経(『詩経』、『書経』、『易経』、『春秋』、『礼記』、『楽経』) を研究した。 儒学は世の中を治め、苦しむ人々を救うための経世済民の学問であるとして、儒学の政治理論としての面を強調した。 |
一方、国学者といえばまず大成者の本居宣長が浮かびますが、ほかにも宣長に影響を与えた先駆者たちや、宣長の影響を受けて新たな動きを起こした人もいます。それらの流れを整理しながらおさえていきましょう。
人物名 | 行ったこと |
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契沖 (けいちゅう) |
国学の祖とよばれる。真言宗の僧であったが、日本の古典・古歌にも通じ、文献学的・実証的に古典を研究するべきであると主張した。 主著『万葉代匠記』。 |
荷田春満 (かだの・あずまろ) |
契沖の研究を受け継ぎ、また伊藤仁斎の古義学の影響を受けて、古語を研究することで日本古代の精神をあきらかにしようとした。 |
賀茂真淵 (かもの・まぶち) |
荷田春満に学ぶ。仏教や儒教などの外来思想の影響がない古代の人々の心を知ることで、日本固有の精神をあきらかにしようとした。 『万葉集』を研究し、素朴でおおらかな精神である「高く直き心」と、それが歌にあらわれた男性的な「ますらをぶり」に古代の理想的な精神を見いだした。 主著『国意考』。 |
本居宣長 (もとおり・のりなが) |
国学の大成者。賀茂真淵と出会い、門人となる。仏教や儒教の影響を受けた心を理屈ばかりの堅苦しい漢意(からごころ)としてしりぞけて、偽りのない素直でおおらかな真心(まごころ)こそが人間本来の心であると説き、人の自然な感情を重視する日本古来の精神のあり方として古道を探究した。 女性的で繊細な「たをやめぶり」の心情を重視し、また、『源氏物語』の研究を通して、人の自然な感情の動きであるもののあわれを文芸の本質としてとらえた。 主著『古事記伝』『源氏物語玉の小櫛』。 |
平田篤胤 (ひらた・あつたね) |
古道と神道を結びつけた復古神道を体系化し、仏教や儒教を排して、神々の子孫である天皇の絶対性とその天皇を頂く日本の優越性を説いた。 復古神道は宗教的・政治的な傾向を強く示し、国学の学問としての性質は失われたが、江戸時代末期の尊王攘夷運動に大きな影響を与えた。 |
【アドバイス】
日本における儒学、朱子学・陽明学・古学の違いや関係性については、再度『チャレンジ』などで確認をしておきましょう。特に江戸の儒学の主流となった朱子学に対して、陽明学・古学は「どのような点で批判を展開したのか」を確認することで、日本における儒学について理解が深まるはずですよ。