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世界史 定期テスト対策【東アジア世界の形成(魏晋南北朝~五代十国)】隋が滅んだ理由について

【東アジア世界の形成(魏晋南北朝~五代十国)】隋が滅んだ理由について

隋はなぜ,たった2代で滅んだんですか?

進研ゼミからの回答

【質問の確認】

隋はなぜ,たった2代で滅んだんですか?

【解説】

隋が滅んだ主な理由には,隋の2代目の皇帝である煬帝が以下の2つの政策を行ったことがあげられます。

1.大運河をつくるなどの土木事業を盛んに行い,民衆を酷使したこと

2.周辺の国々への遠征,特に高句麗遠征を実施して失敗したこと

これらの政策に対して民衆は不満を高めていき,各地で反乱がおこって隋は統一から30年たらずで滅びました。隋は短命でしたが,続く唐は隋が取り入れた諸制度を引き継ぎ,300年近く続く世界帝国になりました。
隋の2代の皇帝の時代にそれぞれどのようなことを実施されたのか,おさらいしておきましょう。

【楊堅(文帝)】(位581~604)

隋の初代皇帝。
楊堅が実施した以下の4つの政策はいずれも後世に継承された重要政策なので,しっかり確認していきましょう。

【1.均田制】
もとは北魏で行われていた土地制度で,国家が農民に土地を与え徴税しました。
貴族の大土地所有を抑制し,農民の年齢や性別に応じて土地の分配を行い,税収の増大を図ることがねらいでした。

【2.租調庸制】
均田制に対応した税制度。生産物・布・労働力などを税として定め,財政の安定化を図りました。

【3.府兵制】
成人男性の中で強健な者を選び,衛士(都の防衛にあたる兵士)や防人(辺境地域の防衛にあたる兵士)として徴兵する兵制。

【4.科挙】
学科試験による官吏登用法。九品中正を廃止し科挙をはじめることで,貴族の高級官職独占を防止し,ひろく人材を集めて中央集権化を図りました。
なお隋の時代は選挙とよばれ,のちに科挙とよばれました。

楊堅が皇帝の時代の隋は安定しており,帝国の基礎を固めることに成功したといわれています。
ところが次の煬帝は,中国史を代表する暴君といわれています。
煬帝がどのような政策を実施し,隋の滅亡につながったのか説明していきましょう。

【煬帝】(位604~618)

楊堅の子で,大規模な土木事業と周辺国への盛んな遠征を行いました。

【1.土木事業】
煬帝は,数百万人の民衆を動員して,大運河を完成させたとされています。
これによって江南と華北の交通が格段によくなりました。特に江南は穀物地域として開発が進んでいたため,江南でとれた穀物をこの大運河を通して人口の多い華北の洛陽・長安に輸送することが可能になったのです。
その裏で,建設のための労働力として多くの民衆を動員したため民衆は疲弊し,不満が高まりました。

【2.周辺国への遠征】
周辺国に積極的に遠征を行い,その一部は成功しました。しかし3度にわたる高句麗遠征に失敗したことをきっかけに,各地で反乱が起き,隋は滅びました。

【アドバイス】

世界史を学習する上で,「なぜそうなったんだろう?」と疑問を持ち,出来事の背景や原因を確認することはとても大切です。背景や原因を知ることで,歴史の流れをより深く理解することができ,記憶にも残りやすくなります。
また「なぜ?」と思うことがあったら,質問してくださいね。それでは回答を終わります。

  • ここで紹介している内容は2017年3月時点の情報です。ご紹介している内容・名称等は変わることがあります。

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