【十字軍と教皇権の盛衰】封建制が崩壊した理由について
ヨーロッパの封建制が崩壊したのはなぜですか?
進研ゼミからの回答
【質問の確認】
ヨーロッパの封建制が崩壊したのはなぜですか?
【解説】
それでは,質問に回答していきます。
まず,ヨーロッパの「封建制」とは何かについて,確認しておきましょう。
ゲルマン人の大移動により,ヨーロッパでは帝政ローマ(ローマ帝国)時代の秩序が崩壊し,力による奪い合いなどが起こったため,弱い者が強い者の保護を求める傾向が強まりました。
そうした中で,皇帝・国王・諸侯(大貴族)・騎士・聖職者などの有力者たちは,「封建的主従関係」を結ぶようになります。つまり,より有力な者を「主君」とし,それに従う「家臣」との間で,契約を結ぶのです。その契約とは,家臣は主君に軍役(兵士として戦ったりすること)の義務を負うかわりに,主君の方は,家臣に封土を与えて保護する義務を負う,というものでした。
ここでの「封土(ほうど)」は「領地」と言い換えることもできるのですが,それには「土地」だけではなく,そこに住む「農民」も含まれていたことに注目することが大切です。
言い換えれば,先に述べた「主君」も「家臣」も,領地・領民をもつ「(荘園)領主」だったわけです。「領主」は,「荘園」(農民も含む領地)を所有し,農民( =移動の自由などを持たない「農奴」)にさまざまな形での地代や税(収穫物や労働など)を強要し,それによって生活していました。
封建社会というのは,以上のような「封建的主従関係」と「荘園制」を合わせたものでした。そのため,「封建的主従関係」と「荘園制」の一部が崩れることにより,封建社会全体が崩壊する可能性もあったのです。
次に,封建制が崩壊していく過程を説明しましょう。
貨幣経済が浸透してくると,従来のような物々交換は敬遠され,できるだけ貨幣を使っての取引が求められるようになっていきます。多くの貨幣が必要となった領主たちは,地代(農民に土地を使わせるかわりに,農民に支払わせる代償)としても,貨幣を要求するようになります。
そうすると農民は,自分たちが作った農作物を市場に持って行って売り,その代金の一部を領主に支払うようになります。その一方,余った分の貨幣は,自分のところに貯めておくようになりました。腐ってしまう農作物と違い,貨幣ならば蓄えておくことができたのです。
こうして,貨幣経済の浸透により,裕福な農民が出現するようになります。そうした農民の中には,多額のお金を領主に与えるかわりに,自由(移動の自由,税を支払わなくてよい自由など)を得る者も出てきました。
貨幣を必要としていた領主たちには,そのような申し出を受け入れるしかない場合もあったのです。
そうした形で,領主に拘束されず,自分の土地で自由に生活する農民が増えていきました。そのことは,(領主にさまざまな義務を負う農民の存在を前提としていた)「荘園」の崩壊を意味していました。
それは同時に,「封土」として領地・領民を家臣に与えるという形での「封建的主従関係」も,結べなくなることを意味していました。
このような事情により,貨幣経済の浸透が,荘園制,さらには封建制の崩壊をもたらすことになるわけです。
ただし,そうなると,領主の収入が減ることになり,領主たちは困ってしまいます。そこで領主たちは,むりやり,税などを支払うよう農民たちに要求するようになります。これが「封建反動」と呼ばれます。
けれども,上に述べたような流れは,もう防ぎようのないところまで進んでいたので,「封建反動」も一時的なもので終わることになります。
【アドバイス】
世界史の流れを理解するためには,「なぜそうなったのか」を意識して学習することがとても大切になります。これからもこの調子で学習していきましょう!