【昭和時代】金輸出解禁と金輸出再禁止
金輸出解禁から金輸出再禁止までの流れがうまくつかめません。井上財政はどこがいけなかったのかなどは、説明しろとなるとうまく説明できません。詳しく教えてください。
進研ゼミからの回答
こんにちは。
それでは、いただいた質問にさっそく解答させていただきます。
【質問内容】
金輸出解禁から金輸出再禁止までの流れがうまくつかめません。井上財政はどこがいけなかったのかなどは、説明しろとなるとうまく説明できません。詳しく教えてください。
【質問への回答】
●第一次世界大戦中:1917年金輸出禁止 実施
最初に日本が金輸出を禁止したのは1917年のことです。
第一次世界大戦の影響で英米をはじめとする欧米各国が金輸出禁止状態(金本位制を停止)となったことをうけて日本も金輸出を禁止しました。
第一次世界大戦が終わると、各国はあいついで金輸出を解禁し金本位制に復帰しましたが、エ業の国際競争力の低さとインフレ傾向のために輸入超過の続いていた日本は、金輸出を解禁できない(金本位制に復帰できない)でいました。
しかし国内市場の貧弱な日本にとって、不況を脱するためには輸出を増大することが不可欠です。
●浜口雄幸内閣(井上準之助蔵相):1930年金輸出解禁(金解禁)実施
こうした状況のなかで、浜口雄幸内閣(井上準之助蔵相)は金輸出解禁を断行しました。
金輸出解禁を実施することで、外国為替相場を安定させ、輸出の増大を図ることができると考えられたからです。
しかし、円の国際的信用を落としたくないという配慮から旧平価(金輸出禁止前の相場)で解禁したため、実質的に円高となってしまい(実際は円安だったのに)、さらに輸出には不利な状況となってしまいました。
加えて、1929年10月のニューヨーク・ウォール街の株価暴落にはじまる世界恐慌の波が、解禁実施直後の日本経済にも及んだため、輸出不振がいっそう強まりました。
これらの原因により昭和恐慌を招き、金輸出解禁(金解禁)は失敗となったのです。
●犬養穀内閣(高橋是清蔵相):1931年金輸出再禁止実施
世界恐慌により各国が金輸出を禁止していたことをうけての措置です。
その後各国とともに金本位体制を停止し、世界経済は管理通貨制度の時代へと移行していくこととなります。
日本では、1931年に立憲政友会の犬養毅内閣が成立し、高橋是清が蔵相となりました。
高橋是清蔵相は金輸出再禁止を断行し、金本位制に替わって紙幣の発行額を国家が管理統制する管理通貨制度を採用することとしました。
高橋蔵相は公債を増発し、軍事費や公共事業費を増やす景気回復策をとりましたが(積極財政)、これが以後の軍拡へとつながっていくことにもなるのです。
【学習アドバイス】
近現代の社会経済史は理解が難しい部分も多いと思いますが、教科書や進研ゼミの教材を使いながら、1つずつ丁寧に背景や経緯を押さえていくようにしましょう。