未来の義務教育に望むもの【後編】

2005年8月3日から2005年8月10日にアンケートを実施し、778名の方からご回答いただいた「教育改革について」の詳報版をお届けします。ご協力ありがとうございました。
さて、「教育改革」について様々な反響をいただきました。ご覧ください。

学校教育にもの申す!
まとめ


 
学校教育にもの申す!

教育現場は、いま大きな変革期にあると当レポートの前編でお伝えしました。特に2000年から始まった「教育改革国民会議」、それを踏まえて2001年2月に発足した新しい中央教育審議会、さらに2005年から始まった「義務教育特別部会」などの審議を通して、学校現場の自主的で主体的な教育活動の展開できる下地作りが議論されています。まさに「開かれた学校作り」を目指して、枠組み作りの改革がスタートしつつあると言えます。

ご家庭でも、子どもや学校の様子などから保護者の方々は多くの問題意識をもち、その教育改革、学校教育に対する意見をもっておられます。学校の授業や、学習指導に関して、さまざまな貴重なご意見をいただきました。そのなかの一部ですが、今回のレポートではできる限りご紹介します。

(1)学校運営・教育への取り組みについて

  • 子どもの小学校(公立)では、授業時間確保のためか、6時限までの日がほとんどで、遠足もなく、また学校の伝統でもある5・6年生による鼓笛隊も学校側の意向で、廃止の方向で検討されています。理由は鼓笛隊の練習時間が取れないからだそうです。また、週1回の放課後と、夏休み中は10日間ほど希望制の補充授業もあります。あまりにも余裕のない現状を考えると、土曜日の授業の復活や長期休暇の削減も検討の必要性があるのではないかと思います。


  • ゆとりと言いながら、実際のところ今の子どもたちも先生もとても忙しくなっています。「総合的な学習」は教師の力量が如実に表れるし、一生懸命にやろうとするほど、先生の負担は大きくなります。総合的な学習が組みこまれた分、教科の授業数が減り、理解するのがゆっくりな子にはついていけないという状況になっているような感じを受けます。「総合的な学習」自体はとてもよいことだと思うので、習熟度別の授業を増やすなどしてきめこまやかな対応ができるようになるとよいのではないでしょうか。



(2)教師の質・指導について

  • 教員の不用意な発言が子どもたちに対してあり、教員の質の向上が必要である。教員は世の中の常識(他の公務員と同様に民間の会社の社員と同じような意識など)をもっていない人が多く、教員になる前にそういった経験が必要。短期間の教育実習はあまり意味がない。


  • 現時点では、担任が誰になるかでクラス間の授業の内容に格差がでてくる。授業のみならずクラス運営にも差があり、それを子どもには言えないし、学校に言っても解決につながることはまずない。全国を転勤して4つの学校を見てきた保護者としては、地方間格差に愕然、不安ばかりがつのる毎日です。


  • 学校・担任・また校長の考えによる格差を出来るだけなくして欲しい


  • 転勤族の私たちにおいて、地方によって差があるのにとまどいを覚えます。一長一短なのですが、複数担任制度は、個人の偏った影響が少なく、新人、ベテラン(の先生)といった差も少なく感じられます。総合的な学習の時間は、まさにその各学校において、扱われ方がさまざまですね。
    二学期制の学校も増えてきたようですし、しっかりと話し合われることを望みます。


  • 教師の質に差がありすぎる。年齢や経験の差は仕方がない(若い先生に経験がないのは当たり前)が、教育熱心な教師と、職業の一つとして教師を選んだ先生とのギャップがありすぎる。もっと子どもが好きで、一生懸命子どものことを考えて授業をしてくれる先生を求める。適性検査や、定期的に教師認定資格試験などがあった方がよいのではないか。やる気のない先生にあたった子どもはかわいそうである。教師はとりあえず、の職業ではないはず。


  • 教師の質を上げてほしい。さらにもっと威厳があってもいいと思う。ノーチャイムの意義が理解できない。時間を守れない子になってしまいそう。なんとなく授業が始まって、なんとなく終わっている。授業に遅れてくる子もいるが、先生は怒らない。これでいいのか疑問。


  • 毎年思うが、教師の当たりハズレが大きすぎる。適正や情熱以前に、教え方や子どもへの接し方などある程度の最低ラインは作るべき。例えば学級運営や雑用を補助する副担任を何年か経てから主担任を持つなど、教師の育成にもっと時間をかけてもいいと思うし、基準に満たない場合には現場を外すなどの判断も早い段階で必要だと思う。学校としては一年度に過ぎないのだろうが、こちらとしてはたった一度しかない学年なのだから、教師には常にベストの状態で臨んで欲しい。



(3)義務教育について

  • 義務教育は、いつでもどこでも必要最低限の教育が受けられるすばらしい制度だと私は思っています。子どもに教育を受けさせることは大人の義務であり、子どもにとっては大切な権利です。それを近年、非常に短いスパンで、短絡的に(私にはそう見えます)制度改革を行う風潮は本当に腹立たしいです。学校の授業、指導云々の前に、もっとまともに教育を考えてくれる人たちで審議して欲しいです。


  • 今の担任の先生は一人一人をよく観察し把握してくださっているように思います。個人の先生はよくても、施策や方針だけが一人歩きし、国全体として一体どういう教育をしたいのか、どういう子どもを育てたいのかが全く見えません。地方とか各自治体別とかの問題ではなく、義務教育は国のこれからを占うとても大きなことです。もっと、広い視野と長い目と、真剣さをもって考えてほしいです。


  • 教科教育以外に、生活体験を盛り込んだり、対人関係の調整能力を高めたりする課題が学校教育に求められていますが、総合学習にしても、特段の人材や教材や時間の配慮が教える側になされているわけではありません。大きさが変わらない『どんぶり』にいろいろな味を盛り合わせようとするのはどこかで無理が生じるはずです。さらに、最近では、ありとあらゆる教育が学校にもとめられていますが、教える側にそれだけの力があるのか、いや、それを高めるだけの余裕(時間や金銭の)があるのかという客観的な評価がありません。



(4)週5日制を問う 授業への取り組み

  • 土曜日の授業がなくなって久しいですが復活して欲しいと思います。午前中だけの授業があったほうがよかったです。始業式・終業式まで授業を実施するのはどうかと思うのです。


  • 授業参観などを見ていると、私たちが小学生のころに比べて、ずいぶん教授法が工夫されてきていると感じる。でも成果が上がらないのはなぜか?やはり、子どもたちの基本的生活習慣や、精神衛生に問題があるように思えてならない。かといって、学校がそれを家庭の問題と割り切ってしまっても問題解決にはならない。やはり学校は、健全な教育に関する情報を家庭に向けて発信するという役割を担ってもらいたい。授業時間数や英語の問題などは、本質をそれている。問題は、「本当に大切なこと」を、自信を持って伝える強い大人がいない、ということ。教師も親も強くならなければならない。



(5)少人数学級・習熟度別学習

  • 子どもの個性を認めて欲しい。集団生活なので、やむ得ない場合もあるだろうが、個々のペースがあるので、やはり少人数のクラス構成が望ましいのではと、思う。1年生33人の息子のクラスは、補助の先生がついてくれる時間もあるのだが、やはり、一人ひとりを担任教師が把握するのは難しいのではないか。


  • 子どもの習熟度の差が広がってきているような気がします。小学校から、レベル別授業を行ってほしいと思います。


  • 授業参観を見る限りでは時間に追われていて個々の習熟度に対して疑問が残る。授業時間外の補習や少人数制習熟度別授業をもっと積極的に取り入れてほしい。


  • 我々の頃と違い、子どもは集中力もなく、先生1人で40人なんて無理と思う。社会も親も教育力をなくしている中で、学校に全て押しつけている割に、(家庭で親が1人2人の子どものしつけもできないのに、1人で40人、しかも授業をしながらしつけなんて無理)先生の仕事は多岐に渡り、子どもをみる時間は減り、保護者の思いとかけ離れていると思う。



(6)総合的な学習の時間について

  • 総合的な学習の時間は様々な試行錯誤を経て、いまやっと実を結ぼうとし始めている。学力の低下は義務教育では年月が経てば全員進級させている現状のせいである。欧米に習い、学年にふさわしい学力が身に付いていない子どもは原級留置(留年)をさせてもかまわないと思う。


  • 総合的な学習の趣旨は間違っていないと思いますが、学校や先生によって授業レベルが違いすぎます。子どもは学校や先生を基本的に選べませんから、よりよい授業を受けさせたいと思う親にとって、総合的な学習の授業は痛し痒しです。


  • 総合学習ばかりが矢面に立っているが、内容や子ども達につく力にはよい面もあると思う。ただし、教師の仕事が多すぎる現在、総合学習の指導に力を注ぎながら他教科にどれだけ準備時間をさけるのかという問題もあると思う。やはり基礎基本は大切だと思う。


  • 総合的な学習時間は使い方によっていろんな可能性が期待されるが、教師の資質に左右され、いわゆる当たりはずれが大きい(教師自体に余裕もない現状のようだが)。また、教員採用に関しても試験制度の見直しなど含めより優れた人材を教育現場におけるような体制にしてほしい。



(7)学力測定について

  • 「子どものために」といって学校では順位はつけていませんが、やはり子どもの学力が同じ学年でどれくらいのレベルなのかが客観的にわかる指標がないと、高校、大学の進路を決めるのに塾にいかなければわからない状況になりそうで、心配です。

 
まとめ

今回「教育改革」に関して、ご家庭のご意見を頂きました。
学校の先生方への厳しいご指摘もありました。一方で、教育現場の最前線で子どもたちの将来や成長を考え、日々奮闘する先生方も多くいらっしゃることも事実でしょう。「放課後まで職員室の自分の机の椅子に座る時間も無い」という話をよく伺います。現場で起きていることを断片的に捉えるだけでは、教育改革の本質は見出しにくいように思います。

同時に、教育改革のゆくえや、学校教育の意味を考えることは、決して一つの解を見つけることではなさそうです。ともすれば、自分たちの受けてきた教育をノスタルジーで語ったり、また自身の体験から否定的な側面を前提としたり、単に価値観で語りがちです。しかし、重要なのは現実の社会をみつめ、子どもたち、大人同士でしっかりと語り合うことではないかと感じます。子どもたちは良くも悪くも、大人が作ってきた社会の風潮、価値観、変化の度合いを敏感に察知し、その危険性を映す鏡です。

自分さえ良ければ、自分の子どもさえ良ければ、といったいまの日本の風潮が「ジコチュー」という言葉を生んでしまったとしたら、それは子どもたちが時代の犠牲者であり、大人から叱責されるべき類のものではないことを意味するのだと思います。

最後に、頂いたご回答のなかから、「こんな学校になってほしい」というメッセージをご紹介します。

『学校で働く人が生き生きとしていて、意見のぶつかり合いがありながらも切磋琢磨している環境にあり、その雰囲気が子どもたちにも伝わって、子どもたちも生き生きと活動している。縦のつながりのある活動や、保護者や地域の方々も巻き込んだ活動・教育が行われて、その学校を取り巻く全ての人が子どもたちの成長に関心をもてる環境の学校であって欲しい』

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