【第一次世界大戦前後のアジア】第一次世界大戦後の中国の民族運動について
民族運動における中国の動きと日本の動きが混乱します。
進研ゼミからの回答
【質問の確認】
民族運動における中国の動きと日本の動きが混乱します。
【解説】
まずは第1次国共合作と第2次国共合作の違いをしっかりおさえましょう。ポイントとなるのは二つの“目的”の違い。この違いを理解すれば、混乱しがちな中国の動きと日本の動きが整理しやすくなります。
【第1次国共合作】目的は“中国の統一!”
国民党の強化をめざしていた孫文が1924年に共産党との協力体制を成立したのが第1次国共合作。目的は中国の統一、敵は軍閥です。その後、中国を統一するために開始された軍閥との戦争が北伐です。しかしこの後内部で分裂が生じ、孫文を受け継いだ蔣介石が上海クーデタをおこして国共合作を崩壊させます。結局、蔣介石率いる国民党のみで北伐は完成し、1928年中国はほぼ統一されました。
【第2次国共合作】目的は“日本の打倒!”
国民政府は国内の統一をめざし、満州事変などの日本の軍事行動への対応より、共産党との戦いに力を入れていました。一方、国共分裂後の共産党は農村に撤退し、毛沢東を主席とする中華ソヴィエト共和国臨時政府を樹立しましたが、全国的に広まった抗日運動を背景に1935年国民政府に内戦停止を訴え「団結して日本に対抗しよう!」と呼びかけました(八・一宣言)。張学良が対共産党攻撃をうながしにきた蔣介石をとらえ、抗日と内戦停止を説得した西安事件をきっかけに、1937年第2次国共合作が成立。目的は日本の打倒、もちろん敵は日本です。これにより、日中両国は全面的交戦状態に入りました。
下の図で、流れを確認してみましょう。
【アドバイス】
第1次国共合作と第2次国共合作について、二つの“目的”の違いをしっかり理解できましたか?
注目しておくべきポイントがわかれば、紛らわしいものについても整理しやすくなり、区別がつけやすくなります。
この調子で、世界史の学習を進めていきましょう!