【中世(鎌倉時代〜室町時代)】 桶狭間の戦い,長篠の戦い,関ヶ原の戦いの違いは?
桶狭間(おけはざま)の戦い,長篠(ながしの)の戦い,関ヶ原(せきがはら)の戦いについて教えてください。
進研ゼミからの回答
この3つの戦いは,動乱の戦国時代~全国統一~安定した江戸時代へと移り変わる重要な戦いです。整理して覚えるとともに,流れもつかんでおきましょう。起きた順番は,桶狭間の戦い→長篠の戦い→関ヶ原の戦いです。
■桶狭間の戦い
1560年 今川義元(いまがわよしもと)VS.織田信長(おだのぶなが)の戦い。織田信長が勝利。
織田信長は少数の軍勢で大軍の今川義元を破り,天下統一への勢いをつけた。
■長篠の戦い
1575年 織田信長・徳川家康の連合軍VS.武田勝頼(たけだかつより)の戦い。織田・徳川連合軍が勝利。
鉄砲を使った集団戦法で,武田軍の騎馬隊を破った。
■関ヶ原の戦い
1600年 石田三成(いしだみつなり)VS.徳川家康(とくがわいえやす)の戦い。徳川家康が勝利。
織田信長は,桶狭間の戦いで今川義元を破って勢いをつけ,京都で室町幕府を滅ぼしました。信長は,その後,長篠の戦いで武田軍を倒してさらに勢力を強めましたが,家臣の明智光秀(あけちみつひで)の謀反(むほん)にあって亡(な)くなってしまいました。その後,信長の家臣であった豊臣秀吉(とよとみひでよし)が明智光秀を倒して信長の後継者となり,全国を統一しました。
秀吉の死後,力をつけてきた徳川家康と,豊臣政権を守ろうとする石田三成(豊臣秀吉の家臣)が関ヶ原で戦い,この戦いに勝利した家康が朝廷から征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命されて江戸幕府を開きました。