【中世(鎌倉時代〜室町時代)】 加賀の一向一揆はなぜおきたのか?
室町時代の1488年におきた加賀の一向一揆は,なぜおきたのですか? 守護大名はなぜ倒されたのですか?
進研ゼミからの回答
加賀の一向一揆(いっこういっき)は,1488年,加賀の国(現在の石川県)の守護大名の富樫政親(とがしまさちか)の一向宗弾圧に反対し,一向宗(浄土真宗)の信者がおこした一揆です。
富樫政親を滅ぼした後,約100年にわたり,信者たちによって領地の支配が行われました。
応仁の乱(1467年~1477年)の抗争時,富樫政親ははじめは一向宗を味方につけ,自分と敵対する勢力を退けました。
しかし,あまりにも一向宗の力が強いことに危機感を抱き,今度は一向宗を弾圧しようとしました。
これに反対した信者たちは,一致団結し,守護大名富樫政親を滅ぼします。これが加賀の一向一揆です。
以降,1580年に織田信長に鎮圧されるまでの約100年間,信者(農民たちを中心とする)によって自治が行われました。
100年近く自治が続くことができたのは,室町幕府の力が衰退していたことと,一向宗という強力な宗教の支えがあったからといえます。