【ドイツ観念論】目的の王国について
カントのいう「『手段』としてのみ扱う」と「『目的』として尊重しあう」とは、それぞれどういう意味ですか?
できれば具体例も教えて下さい!
進研ゼミからの回答
こんにちは。
いただいた倫理の質問についてお答えします。
【質問内容】
カントのいう「『手段』としてのみ扱う」と「『目的として尊重しあう」とは、それぞれどういう意味ですか?
できれば具体例も教えて下さい!
【質問への回答】
カントはみずからの理性のたてた命令に自律的に従う主体としての人間を人格と呼び、その人格に最高の価値をあたえ、人間の尊厳を重視しましたね。
では、それぞれの質問について説明します。
●カントのいう人格を「『手段』としてのみ扱う」の意味について
カントのいう人格を「手段」としてのみ扱うとは、人格を「もの(物件)」として取引の手段や道具としてのみ扱うということです。つまり、簡単にいうと他者を「もの(物件)」として利用するということになります。
例えば、自分が儲けるために(自分の欲をみたすために)、他人をだましたりすることは、他者の人格を自分が儲けるための、つまり自分の望みを実現するための手段・道具としてのみ扱っているということになります。
また、『するする暗記』にあるように、「財布をおとした」人に対して、「お礼をもらおう」として、財布を探すことも他者の人格を手段・道具として扱うということになります。
●カントのいう人格を「『目的』として尊重しあう」の意味について
人格を「『目的』として尊重しあう」とは、互いに人格を、尊厳をもった究極価値(目的)として尊重することです。
人格を目的として尊重するということは、他者をかけがえのない人として尊重し、もの(物件)扱いしないということです。
例をあげるならば、「財布をおとした」人に対して、お礼をもらおうとして財布を探すのではなく、他人(財布をおとした人)の人間性を尊重して無条件に財布を探すということがあてはまります。
カントは「汝の人格やほかのあらゆる人の人格のうちにある人間性を、いつも同時に目的として扱い、決して単に手段としてのみ扱わないように行為せよ」といっています。
それは、他人に用事を頼む場合のように他人を手段として扱うこともあるが、単なる手段としてのみ扱うのではなく、その場合も同時にその人の人間性を尊重しなければならないといっているのです。
【学習アドバイス】
西洋近現代思想をはじめ倫理で出てくる用語は聞きなれないものが多いですね。
人物とキーワード(用語など)の組み合わせを押さえて、人物の基本的な思想の意味・内容を理解するように学習しましょう。
また、カントとヘーゲルの主張した「自由」のとらえ方の違いに注目しておきましょう。