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鎌倉随一の観光スポット、武運の神様をまつった『鶴岡八幡宮』

源頼義と源頼朝の源リレーで築かれた『鶴岡八幡宮』

「武運の神」と聞くと、勇ましく、かっこいいイメージを思い浮かべるかたも少なくないでしょう。

源頼朝(みなもとのよりとも)にゆかりのある『鶴岡八幡宮』には、『八幡神』(やはたのかみ)という「武運の神」がまつられています。

『鶴岡八幡宮』は、観光地として有名な鎌倉(神奈川県)の中でも有数の歴史スポットとして知られていますが、鎌倉時代以降も足利氏、小田原北条氏、豊臣氏、徳川氏などから「武士の守護神」としてあがめられており、中でもあの上杉謙信(うえすぎけんしん)が関東管領の就任時に『拝賀式』を行った神社としても知られています。

これだけの武家が足しげく通っていたのですから、それだけご利益が多いのかもしれません。

そもそも『鶴岡八幡宮』は、1063年に源頼義(みなもとのよりよし)が京都の『石清水八幡宮』(いわしみずはちまんぐう)の分社を由比ヶ浜辺にまつったのが始まりです。

その後、「平家打倒! 源氏再興!」のために立ち上がった源頼朝が、1180年に今の場所に神社をうつし、鎌倉の町づくりの中心としたそうです。そして、源氏の氏神として信仰するようになり、『鶴岡八幡宮』は鎌倉武士たちの守護神的存在となっていきました。

また、源頼朝は流鏑馬(やぶさめ)や相撲や舞楽(ぶがく・雅楽の演奏様式のひとつ)といった神事や行事を行っており、例えば「流鏑馬神事」として現代にも受け継がれているのです。

千年の時間を紡いだ『鶴岡八幡宮』の大銀杏の倒木から学ぶ【教え】

『鶴岡八幡宮』といえば、1219年に鎌倉幕府3代将軍・源実朝(みなもとのさねとも)の暗殺者が身を潜めていたという伝説があります。樹齢1000年超えの大銀杏が有名でしたが、残念なことにこの銀杏の木は2010年に強風のため倒伏してしまいました。『鶴岡八幡宮』を愛する人々が悲しみに暮れたのはいうまでもありません。

現在は同じ銀杏の木から新芽が育ってきており、再起できるパワースポットとして再び注目を集めています。

家族で『鶴岡八幡宮』を訪れた際は、お子さまと一緒にこの新たな命が芽吹いている大銀杏をながめてみるとよいかもしれません。

1000年かけて育んできた姿が一度崩れ去ってしまっても、また新たなスタートを切り、再生しつつある大銀杏の今の姿をみたお子さまがここから学び取れることがたくさんあるでしょう。

勉強にしてもスポーツにしても、長い月日を費やして築き上げてきたことが崩れ去って、がんばりが報われないこともあるかもしれません。

そこでくじけずに再び立ち上がり、またイチから努力していく姿勢の大切さ、その尊さや素晴らしさをお子さまに教えてあげましょう。

「人生は山あり谷あり」
たった一度の挫折で人生が「終わる」ことはありません。

積み上げてきたものがゼロに戻ってしまったとしても、また積み上げていけばよいのです。『鶴岡八幡宮』の大銀杏から、そのような人生訓が学べるのではないでしょうか。

歴史のある『鶴岡八幡宮』に行ってみましょう

『鶴岡八幡宮』の現在の本殿は、1828年に江戸幕府11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)が建てた代表的な江戸建築で、重要文化財に指定されています。鎌倉時代には、鎌倉の町づくりの中心とされており、流鏑馬(やぶさめ)や舞楽など現代にも引き継がれている行事を行っていました。現代では、神事や行事以外にも『舞殿』(まいどの)を舞台とした神前結婚式で『鶴岡八幡宮』を利用する方もいるそうです。

アクセスマップ

名 称:鶴岡八幡宮
時 間:6時00分~20時30分
休 日:無休
料 金:無料、宝物殿拝観は大人:200円、小学生:100円
住 所:神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
電 話:0467-22-0315
※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
河合 敦(かわいあつし)
多摩大学客員教授。歴史研究家。1965年東京都生まれ。多数の歴史書を執筆するとともにテレビやラジオなどのメディア出演多数。
代表的な著書に『日本史は逆さから学べ!』(光文社知恵の森文庫)、『もうすぐ変わる日本史教科書』(KAWADA夢文庫)などがある。