吉原由香里さん(棋士)が語る、「考える力を育てる」【後編】

子どもの適性を見いだし、考える力を養うにはどのようなことが必要なのでしょうか。
【前編】に引き続き、囲碁棋士の吉原由香里さんに、本気でプロを目指したきっかけとその後の転機、ご自身の子育てと「考える力」について伺います。

本当にやりたいことは何?

大学3年生の時に、父が亡くなりました。
それまでは父の期待が重く、どこか囲碁を「父にやらされている」思いがありました。その父がいなくなって初めて「私が本当にやりたいことはなんだろう」と考え始めたんですね。1年ほどかけて、自分の心と向き合ううちに「やっぱり、プロになれたらうれしいな」と。プロになった自分を想像しただけで、ぱあっと目の前が開けるような気がしたんです。受かる確率と落ちる確率が五分五分なら、「目の前が開ける」ほうに賭けようと心が決まりました。



「もし神様がいるとしたら、私をプロにしたいだろうか」

私は正直、あまり努力が好きではありません(笑)。今まで「それなり」にはがんばってきたけれど、精いっぱいの努力をしたという確信は持てませんでした。神様がもしいるとして、今までの自分をプロにさせたいだろうかと考えてみたら「させたくないな」と。だったら、神様が見てもプロにふさわしいと思われるだけの努力をしよう、それができたら自分をほめてあげよう、そのうえで結果が不合格なら、潔くあきらめようと思いました。「人事を尽くして天命を待つ」という心境に、生まれて初めてなったわけです。

ですから、大学4年の1年間は「本気」でした。師匠のもとに戻り、大学以外、起きている時間のほとんどはすべて囲碁の勉強に使いました。プロになるためには、数多くのプロ棋士候補と対局し、最後まで勝ち抜かなくてはなりません。棋譜(対局の記録)を並べて自分の戦い方を振り返る時も、プロの対局を観戦している時も「あの局面で、他にどんな手が考えられたか」「自分がこのプロの相手だったらどうするか」と考え抜くことで、見えてくるものが変わってきました。根を詰めるだけではだめだと経験則でわかっていたので、近所の中古書店に出かけて好きな漫画の立ち読みをするなど、適度に息抜きもしました。強くなるために必要な勉強をすべてし、対局で力が出しきれるようコンディションを整えることに集中しました。母が「あんなにがんばっているのだからプロになれますように」と、毎日神社にお参りしてくれていたことをあとになって聞きました。

結果は、ぎりぎりでの合格でした。もちろんうれしかったのですが、「もう試験を受けなくていいんだ」という喜びも大きかったですね。その後1か月ほどは、顔中にじんましんが出て困りました。やはり体に相当無理をかけていたのだと思います。ずっとあのペースでがんばり続けたら、棋士生命は短くなっていたかもしれません。



子どもと夫とのゆるやかな時間も幸せ

結婚して、長男が生まれてから、人生観が変わりましたね。今はのんびり、生活を楽しみたいと思っています。子どもと一緒にゆる~い時間を過ごすうち、以前のような「絶対に負けない!」という闘争心を燃やすことが難しくなっています。その一方で、囲碁は純粋に自分と向き合える大切な時間だと感じるようになりました。生徒さんに教えることで、自分の囲碁の幅も広がった気がします。そのうち、こののんびりモードでは飽き足らなくなり、以前より貪欲に、勝負の世界に身を投じることになるかもしれません。ゆるゆるしたり、がんばったり、マイペースで自分を磨きながら、囲碁のおもしろさを伝えていきたいですね。

夫は元プロサッカー選手で、今はビジネスの世界でもがんばっています。彼は私よりずっと努力家で、監督に認められずベンチ入りできないといった不遇の状態が続いても、常にモチベーションを高く保てる人。何か相談するとぼそっと正論を言われて腹の立つこともありますが(笑)、基本的に尊敬しています。そんな夫も、最近は自分を休ませ、家族とくつろぐ時間を大切にするようになってきたと思います。



子どもを本気で信じてあげられるか

長男はまだ3歳なので、興味がどんどん移ります。一時期はミニカーが大好きで、今は昔のアニメ番組に夢中です。アニメを見ると震えるほど興奮しちゃって、キャラクターと一緒になって暴れるので、しばらく見せずにいました。そうしたら、あるかたに「子どもの目が輝いていることがいちばんなんじゃないか」と言われ、なるほどと思って好きに見せていたら、今度は夜寝なくなってしまったので「ああ、テレビの時間が長すぎた!」と後悔。本当に、迷うことばかりです。幼児教室などに連れて行くと、他の子たちはおとなしく課題に取り組むのに、うちの子は放り投げたりしてちっともやらない(笑)。ゆったり構えなくてはと思いつつ、つい心配になってしまったりもします。私自身が、子どもの頃「父に強制されて囲碁をやっている」という思いがあったので、息子には、ゆっくり時間をかけて、好きなことを見つけてほしいですね。

自分が親になって初めてわかったのは、自分の子を無条件で信じるのは易しくないということ。すぐよその子と比べたりして、取り越し苦労をしがちなのです。今になって「この子はすごい子だ」と迷いなく信じてくれた父には感謝しています。加藤先生も、迷っていた私を否定することなく、ずっと私の中にある「よさ」を見つめて、見守ってくれました。家族や師に「信じてもらっている」ことを無意識に感じていたからこそ、今の私があるのだと思います。
愛され、信じられている感覚があるからこそ、子どもは自ら考え、自分の道を選ぶ力を得るのかもしれません。


プロフィール



囲碁棋士。慶応義塾大学環境情報学部卒業。2007潤オ09年連続して女流棋聖のタイトルを獲得。NHK囲碁講座の司会や漫画『ヒカルの碁』の監修を手がけ、東京大学特任准教授として「囲碁で養う考える力」の授業を担当。囲碁普及プロジェクト「IGO AMIGO」幹事。

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