辻口博啓さん(パティシエ)に聞く、「スイーツで描いた夢・育む力」【前編】~高校までに身に付けた「逆算の生き方」~

モンサンクレール(東京・自由が丘)をはじめ、コンセプトの異なる12ブランドを展開する辻口博啓さん。お菓子の製造と店舗運営の他、企業とのコラボレーションやプロデュースを行うなど、常に精力的です。そんな辻口さんは、どんな子ども時代を送り、どう日本を代表する人気のパティシエとなったのか、お話を伺いました。

放任主義で育てられた子ども時代

僕が生まれたのは石川県七尾市にある祖父の代からの和菓子屋で、父が跡を継いで和菓子職人、母が店の切り盛りをしていました。朝早くから夜遅くまでてきぱき働く両親や職人さんたちの姿を見て育ち、僕も子どものころからお菓子の箱詰めやシール貼り、少し大きくなると店頭で接客の手伝いもしました。

両親は、子どもには放任主義でした。というよりも、忙しくてかまっている時間がなかったのだと思います。店は茶道用のお菓子も作るなど、地元ではけっこう有名で、繁盛もしていたのですが、両親が僕に「将来は店を継いでほしい」とか「和菓子職人になってほしい」と言ったことはありませんでした。

嫌だったのは、学校の冬休みや夏休みの時期です。正月三が日は、両親はそれまでずっと鏡餅作りで忙しかったので、疲れ果てて寝ている。僕は外に遊びに行きたいわけですけれど、どこにも連れて行ってもらえないし、たこ揚げなんかして一緒に遊んでももらえない。幼いころは、僕もしかたなく寝正月でした。夏休みも、お盆用のお菓子などが売れる1年でいちばんの書き入れ時なので、やっぱり忙しくて、僕はかまってもらえないんです。子ども時分は、一般のサラリーマン家庭とは違う環境がずいぶん腹立たしくもありました。
ただよかったのは、お菓子が周りにいっぱいあって、水あめもどら焼きも食べたい時に食べられたことですね(笑)。子ども心に、和菓子屋に生まれたことは一長一短だなと思っていました。



ケーキとの出合いと祖父の死

パティシエになることを決めたのは9歳、小学3年生のときです。友達のお誕生日会で生まれて初めて生クリームのショートケーキを食べ、そのおいしさに衝撃を受けました。「自分もこんなに感動するお菓子を作りたい」と思ったのです。当時はまだ「パティシエ」という言葉はありませんでしたから、「ケーキ屋さんになる」、それが自分のいちばんの夢になりました。

当時、僕にとって衝撃的な事件がもう一つありました。大好きだった祖父の死です。僕はおじいちゃん子で、火葬場で焼かれて出てきた骨にすがって、おいおい泣いたくらい祖父が好きでした。大切な人の死を目の当たりにして、人の命には限りがあることを強く実感し、同時に、「自分もいずれ死ぬ。だったら棺おけに入るまでの一分一秒を大事に生きよう」と、その後の僕の「逆算の生き方」につながりました。これは、死をゴールととらえた時、それに到達する少し前の段階を考え、さらにまたその少し前の段階を考え……と、時をさかのぼって現時点まで考えて人生を歩む、というものです。



「逆算の生き方」で夢をめざす

「逆算の生き方」は、何か目標を持った時、目標に向かってただやみくもに突っ走るのではなく、目標を達成するための具体的な方法や手順をまず組み立ててから行動に移すということでもあります。たとえば、まず僕には「ケーキ職人になる」という目標があったので、「ケーキ職人になるには、高校を出たら上京して修業に入らなきゃいけない。その修業は相当厳しいものになるだろうから、今の学校生活を楽しもう」と発想したわけです。

高校に上がるとテニス部の部活に精を出し、立候補して高校2年で生徒会の副会長、3年で生徒会長に当選、応援団長も引き受けました。おかげで本当に楽しく充実した高校生活を過ごしました。

18歳でパティシエ修業に入った僕が、23歳の時、全国洋菓子技術コンクールで大会史上最年少優勝をしたのをはじめ、若いうちにいくつものパティシエのコンクールで優勝できたのも、「逆算」の考え方ができたからだと思います。コンクールに出ると決めると、探究心が全然違ってきます。
そもそもコンクールに出て優勝したいと思ったのも、「自分の店を開業したい。でも開業資金がないから、資金を出してくれる人と出会いたい。それには、どうしたらいいか。多くの人に自分の存在を知ってもらうことだ」と逆算して考えたからなんです。クープ・ド・モンド・ラ・パティスリーというパティスリー(製菓)のワールドカップともいえる世界的な大会で優勝したことがきっかけになって、30歳で東京・自由が丘に「モンサンクレール」をオープンすることができました。

【後編】では、近年力を入れる「スイーツ育」の普及活動など、スイーツを軸に人を育てることについて伺います。



プロフィール



1967年生まれ。パティシエ。数々の洋菓子の世界大会で優勝経験を持つ。現在は、モンサンクレールをはじめ、コンセプトの異なる12ブランドを展開する傍ら、日本スイーツ協会の代表理事を務め、スイーツを日本の文化にすべく「スイーツ検定」を実施。

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