百人一首の覚え方
077
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に あはむとぞ思ふ
(崇徳院)
上の句|せをはやみ いわにせかるる たきがわの
下の句|われてもすえに あわんとぞおもう
2023/10/20
※イラストはイメージです
現代語訳
川の浅いところの流れが速いので、岩にせき止められた急流が二つに分かれてもまた一つになるように、あなたと今は離れていても、いつかきっと再び逢おうと思います。
解説
岩にぶつかり二手に分かれながらも、また一つの流れに戻る川の水の様子に、離ればなれになってしまった恋人と自分との状況を重ね合わせた歌。
川の水と恋人との関係を重ね合わせるために「われても(分かれても/別れても)」「あはむ(合う/逢う)」と掛詞が用いられています。「事情があって離れてしまったけど、必ずもう一度一緒になろう」という強い意志が伝わってきます。
出典
詞花和歌集語句解説
瀬をはやみ
「瀬」は川の浅いところ。「(体言)+を+(形容詞の語幹)+み」は「〜が〜なので」の意味。「瀬をはやみ」で「川の浅いところの流れが速いので」となります。
せかるる
せきとめられる
滝川
滝のように流れが激しく速い川
われても
川の流れが二つに「分かれる」という意味と、男女が「別れる」の二つの意味をかけた「掛詞」。
あはむ
分かれていた川の流れがまた一つに「合う」という意味と、別れた男女が再び「逢う」という二つの意味をかけた掛詞に、意志を表す助動詞「む」がついた形。
作者紹介
崇徳院(すとくいん)(1119年ー1164年)
第75代天皇。5歳で天皇となるものの23歳のとき、父である鳥羽上皇の命令で、わずか2歳の異母弟「近衛天皇」へ譲位。鳥羽上皇の死後、後継争いのため「保元の乱」を起こすも敗れて出家、讃岐国(現在の香川県)へ流され、同地で没しました
作者に関する逸話
18年ほど天皇の地位についていた崇徳天皇ですが、白河法皇と鳥羽上皇による院政で、政治の実権を握ることはほとんどありませんでした。
後白河天皇と争った保元の乱においては、崇徳院側についた兵はごくわずか。相手方の後白河天皇側には平清盛や源義朝など名だたる武士たちが集合。あっという間に勝負がついたといわれています。
讃岐に流されたあとも、崇徳院は後白河上皇からひどい仕打ちを受け続けました。強い恨みを抱いた崇徳院は、髪も爪も切らずに天狗のような姿となり、自らの血で「天下滅亡」と記したといわれています。
決まり字
- 上の句
- 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
- 下の句
- われても末に あわむとぞ思ふ
「せ」が決まり字の一字決まりです。
決まり字とは?百人一首の概要をおさらい
楽しく覚える『百人一首』! 暗記のコツや「決まり字」を解説
語呂合わせ
せわれ
イラストレーター
沼田光太郎 ぬまた こうたろう
監修者
谷 知子たに ともこ
1959年、徳島県生まれ。大阪大学国文学科卒業、東京大学大学院博士課程単位取得。博士(文学・東京大学)。フェリス女学院大学教授。専攻は中世和歌。
著書に『百人一首(全)』(ビギナーズ・クラシックス日本の古典 角川文庫 KADOKAWA)『古典のすすめ』『和歌文学の基礎知識』(角川選書 KADOKAWA)、『百人一首解剖図鑑』(エクスナレッジ)、『和歌・短歌のすすめ 新撰百人一首』(共編著 花鳥社)、『中世和歌とその時代』(笠間書院)、『和歌文学大系 秋篠月清集・明恵上人歌集』(明治書院・『秋篠月清集』本文・校注・解説)などがある。