2015/03/17

「貧困が引き起こす子どもの就学・進学問題」 社会問題構造の仮説α版

 CO-BOでは、2014年10月から約半年間にわたり、就学や進学の問題に直面している国内の貧困世帯の子どもたちの姿を追ってきました。彼らが直面する問題を深く知るために、4人の有識者のみなさまにフォーラムへご登壇いただき、さまざまな視点でご意見をいただきました。
 貧困世帯の子どもたちが直面する就学・進学の問題について、もっと知りたい。この問題の背景、要因、解決策を自分で考えてみたい。そんな読者の方々の一助となるよう、一連のフォーラムを通じて知り得た事実と、そこから見出されるこの社会問題構造の仮説(α版)を公開致します。
 仮説(α版)は、みなさまからのご意見をもとに再度内容を吟味し、更新をする予定です。
開設中のFacebook 等での、ご意見やご感想をお待ちしています。
資料1:「子どもの貧困」の現状
資料2:進学・就学問題に直面する貧困世帯の子どもたちの状況
資料3:貧困世帯の子どもたちが直面する就学・進学の困難」という社会問題構造(仮説 α版)
 CO-BOチームの作成した「貧困世帯の子どもたちが直面する就学・進学の困難」という社会問題構造の仮説(α版)に対し、フォーラムにご登壇いただいた有識者のみなさまからレビューをいただきました。

特定非営利活動法人キッズドア 理事長 渡辺 由美子さん

 まず、「子どもの貧困」という社会課題を正しく捉えなければなりません。「お金がなくて可哀想」という感情論だけではなく、「子どもの貧困」を、もし仮に放置した場合に、どのような未来が待っているのか、想像してみてください。
 子育てや教育への私費負担が大きい一方、若年層の雇用の不安定さが増す今の日本の構造は、「子どもを理想の数だけ産めない」という少子化の大きな原因になっています。また、「貧困の連鎖」による階層の固着化、つまり下層の階級に生まれた者は、どんなに努力をしても、そこから抜け出せない社会であるならば、歴史的に見ても今の世界情勢を見ても、そこにはテロの脅威が発生します。そして、少子化も格差も、日本固有の課題ではなく多くの先進国が抱える世界共通の課題であり、これを解決するすじ道を見つけることは、日本社会のみならず、世界への貢献になります。
 そこで、「子どもの貧困」という課題を解決する方策を考えると、一番重要なのは、今までともすれば分断されていた福祉と教育という両面からの支援が不可欠だということです。困難な環境にある子どもや家庭に対して、福祉施策で状況を改善する一方、彼らが貧困の連鎖から抜け出し、社会の中で自立して生き生きと生活できる力を身につける教育を組み合わせることが、貧困の再生産を防ぐために必要です。また、今まではともすれば行政の施策は「貧困状況にある子どもたち」をどう救うかということに重点がおかれていましたが、「貧困を予防する」ために、貧困予備軍である、従来なら行政の支援を受けづらい子どもたちへの支援が重要であるという認識は大きな一歩です。
 (CO-BOの読者である学生のみなさまへのメッセージ)
 キッズドアの活動では、多くの大学生がボランティアとして「子どもの貧困」を直接解決しています。「個人でできることなんて…」と思わずに、まずは自分でできるところから、ぜひ「子どもの貧困」の解決のために、体を動かしてみてください。それはきっとあなた自身の大きな成長や新たな発見にもつながるはずです。
 【取材協力】特定非営利活動法人キッズドア

特定非営利活動法人しんぐるまざあず・ふぉーらむ 理事 丸山 裕代さん

 子どもの貧困は大きく取り上げられて社会的関心も高まってきましたが、子どもが貧困に陥るということは、その家庭が貧困であるということです。つまり、子どもを貧困から救い出すためにはその親にも何らかのアクセスが必要であるはずなのです。子ども、とくに幼少の頃は子どもにとって親の存在は絶対的です。子どもに対する何らかの支援を行う場合、それが親と敵対するものや親を否定するものであっては子どもの支援には結びつかないのです。湯沢先生のお話の中でホームレスを「貧困ではない」という人が3割以上いるという日本人の貧困感についてのお話がありました。相対的貧困についての認識が希薄な社会で、貧困層にいない人々にとってそれは何か遠い出来事のような感覚なのかもしれません。それはそのまま、貧困層の親と子どもが声を上げにくくなる原因となっています。貧困を認識していない社会に対して、「助けて」と声を上げるのはとても勇気のいることです。まして貧困層の家庭では情報や知識の不足、関係性の不足も伴っています。子どもにアクセスできた場合、その親も同時になんらかのフォローをする、もしくは親とのコミュニケーションも構築していくことは子どもの将来にとても重要な点になると思います。子どものケアと同時に親のケアができるような支援の横のつながりも子どもの貧困に取り組む上で大切なポイントだと思います。
 【取材協力】特定非営利活動法人しんぐるまざあず・ふぉーらむ

あしなが育英会 奨学課長、小河 光治さん

 「貧困が子どもの低学力と結びついてしまっている」という仮説について、あしなが育英会の高校奨学生調査では、全国高校生調査より成績が上位と答えた高校生の割合が高かった。貧困世帯の高校生が必ずしもすべて低学力であるということは、事実ではないだろう。また、「学力がない」という表現は不適当で、「学力を身につけることが困難」などという表現などの方が望ましいと考える。
 成績優秀と回答するあしなが育英会の高校生が多いのにも関わらず、大学への進学希望は低い。同調査では、経済的理由のために大学や専門学校への進学を断念する高校生は、就職希望者の3分の1以上もしめる。
 また、ひとり親家庭の大学・短大進学率は、23.9%足らずで、全国の大学・短大の進学率53.9%と比較すると30ポイントも差がある。
 お金がないことが最も大きな原因で、大学や短大、専門学校への進学を断念する子どもたちが少なくないという現実こそが、最も重要なポイントではないかと考える。
 さらに、学習塾に通わなければ十分な学力が身につかないのが現実だとすると、公教育がしっかりその役割を果たしているのだろうかという疑問もある。「無料学習塾」のような学習支援に頼るばかりではなく、そもそも学校教育の中で、子どもの状況に応じたきめ細かい教育支援の充実を図る必要性も高い。
 (CO-BOの読者である学生のみなさまへのメッセージ)
 現在の日本の大学生の半数以上が奨学金を借りないと大学に通えない現実があります。この事実からも「子どもの貧困」は決して一部の子どもたちの問題ではないでしょう。今後の取り組みについては、貧困世帯の子どもたちに焦点を絞った制度を充実させていくのがいいのか、貧困世帯以外も含めた多くの子どもたちも対象とした制度を充実させていくのがいいか、ということについてもそれぞれの利点や欠点があります。また、行政がするべき役割、NPOなど支援団体がするべき役割、そして私たち一人ひとりがするべき役割がそれぞれあるでしょう。ぜひ、こういった視点でもこの問題を考えてほしいと心から願っています。
 【取材協力】あしなが育英会 小河 光治様
※小河様には、本テーマに関する個人的な見解を述べていただくという前提でご協力をいただいています。発言はすべて個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません。

立教大学 湯澤 直美 教授

 仮説では、「就学・進学の意欲の低下や低学力」に焦点があてられていますが、そもそも現在の学校教育を前提として仮説を立てていることに、読者は注意する必要があります。とかく、貧困問題は「個人の問題」として捉えられがちであり、子どもの学力や意欲も個人の努力の問題に還元されがちです。しかし、過度に競争的な現代の教育システムが、子どもの社会的不利を緩和/解消せず、格差や貧困を生み出している側面に目を向ける必要があります。また、そのようなシステムのなかで重視されている「学力観」そのものも遡上にあげ、議論しなければならないのではないでしょうか。
 更に、「就学・進学の意欲の低下や低学力」が「将来の低収入や不安定就労に結びつきやすい」と記述されていますが、意欲や学力が不安定就労に直結するのではなく、そこを媒介する企業社会や学歴偏重社会があることに目を向ける必要があると思います。
 現在、貧困家庭の子どもを対象とする無料の学習支援を広げる取り組みが、政策としても広がりをみせつつありますが、「裕福な家庭の子どもは有料の塾へ」「貧困家庭の子どもは無料の学習塾へ」と放課後の時間までも子どもたちが分け隔てられてしまう社会が構築されていってしまいます。今、現に支援を要する子どもたちに学びの場を提供すること自体は貴重な取り組みですが、そもそも学校教育は何をすべきかを問い直さないとならないと感じています。
 「なぜそれが起きているのか」の項目では、「無利子・無条件の奨学金のような、貧困状況にある子を対象とした進学支援が不十分」と指摘されていますが、貧困状況にある子どものみでなく、すべての子どもが教育を受ける権利を保障されるために、大学等も含めた教育費の無償化と給付型奨学金の充実が望まれます。
 「なぜそれが問題なのか」の項目では、「生活保護を受給せざるを得なくなる人が増えると、結果として社会的コストは増える」と指摘されていますが、「生活保護=社会的コスト=受けるべきでない」という偏見につながることが懸念されます。生活保護は重要なセーフティネットであり、生活保護を受けることは権利であることを踏まえておくことが大切です。
 「今見えてきていること」の項目では、「その苦境をバネに活躍する子がいる」と記されています。決して間違った記載ではありませんが、「可哀そうな子どもが頑張っている」というイメージの表現のように感じます。むしろ大事なのは、本来誰もが潜在的な能力をもっている、ということであり、貧困状況によってその発揮が阻まれる社会を変えていくことだと思います。
 (CO-BOの読者である学生のみなさまへのメッセージ)
 子どもの貧困問題は、「どこかにある」「誰か」の問題ではありません。「ランクの高い大学への進学」を目指し競争的な教育に巻き込まれて疲弊している子どもたちと、そもそも競争のスタートラインからふるい落とされる子どもたちは、同じ社会構造のなかに置かれているのです。公平で公正な社会とはいかなる社会なのか、子どもの幸福はどのような社会で保障されるのか。子どもの貧困問題は社会の在り方そのものへの警鐘です。
 【取材協力】立教大学 湯澤 直美 教授
【企画・取材協力、執筆】(株)エデュテイメントプラネット 山藤諭子、柳田善弘
【取材協力】特定非営利活動法人 国際協力NGOセンター(JANIC)