2019/05/08

第2回 学習時間のあり方を考える その4 大学生の学習時間をどう伸ばすか

ベネッセ教育総合研究所 主席研究員 木村治生
 その1から3まで、小学生から高校生の学習時間について検討してきた。その4では、彼らのその後、大学生になってからの学習の様子を確認する。
 建前として、大学生が大学を卒業するためには(=単位を取得するためには)、授業以外に十分な学習をしなければならない。文部科学省令の大学設置基準(第21条)では、1単位の取得に必要な学習時間*を45時間と定めている。これに対して、1単位の取得に必要な講義・演習の時間は、15~30時間の範囲で大学が定める。多くのケースでは15時間を適用していると考えられので、1単位の取得のために「45時間-15時間=30時間」を講義・演習以外で(=自分で)学習しなければならないことになる。
 同じく大学設置基準(第32条)によれば、卒業に必要な単位は124単位。年間に平均すると31単位である。ここから単純に計算すると、1年間に「30時間×31単位分=930時間」を講義・演習以外で学習する必要がある。1日あたり約2時間30分だ。最低、それだけ自分で学習しないと、卒業できないということである。これは、あくまでも机上の話。それでは実際に、大学生はどれくらい学習をしているのだろうか。
*大学設置基準では、「学修」が用いられているが、本稿では「学習」で統一した。

大学生の学習時間は小学生の半分

 最初に、大学生の学習時間の平均を見てみよう。図表19は、小学4年生から大学4年生までの学習時間の推移を示したものである。小学生から高校生までのデータと大学生のデータでは、調査が異なる。時間のたずね方も異なっており、単純な比較はできない。あくまで参考として見ていただけるとよい。とはいえ、大学生は「授業の予復習」と「自主的な学習」の時間を合せて、1日あたり40分を超える程度。先行調査(東京大学大学経営・政策研究センター『全国大学生調査』2007年実施、国立教育政策研究所『大学生の学習実態に関する調査研究』2014年実施など)と大きな違いはない。これは、小・中学生の半分といったところである。図表19のように小学生から大学生を並べてみると、大学生たちがいかに学習していないかがわかる。ちなみに、「インターネットやSNS」に費やす時間は、1日平均で76分とおよそ2倍だ。
 さきほど、大学の単位取得の仕組みとして、講義や演習以外に約2倍の時間を学習しなければならない規定があることを述べたが、「授業の予復習」は30分以下である。ここからわかるように、教員も、多くの課題を学生に課しているわけではない。仮に学生の負荷を重くしても、多くの学生はその授業を敬遠したり、課題をやってこなかったりということは容易に想像がつく。教員にとっては、提出課題を指導・評価するような教育の時間が十分に確保されているわけではない。
 一方、学生にとっても、高校までのように受験のプレッシャーが存在することもない。強制力が働かない中で主体的に学ぶということは、難しいものだ。すべての大学が一斉に単位認定を厳しくしたり、教育に当たるスタッフを充実させたりといった大学教育の構造にかかわる問題をクリアしなければ、大学生を学習に向かわせるのは困難なのかもしれない。しかし、強制的な学習や準備された教育機会の提供が行き過ぎると、「大学とは何か」という疑問が生じる。大学生の「生徒化」は2000年代から指摘されている(たとえば、小杉2009年、武内2009年など*1)が、その動きを加速させることにもつながる。未来社会を主体的に創造する学習者の育成しようという目標とは、反対の流れだ。
*1 小杉礼子「大学生の進路選択と就職活動」『高等教育研究:第11 集』2009 年、pp.85-105。武内清「学生文化の実態と大学教育」(『高等教育研究:第11 集』2009 年、pp.7-21。

大学の入学偏差値による違い

 それでは、どのような大学生が、より多くの学習をしているのか。属性による違いを見てみよう。
 図表20は、在学する大学の入学偏差値ごとに学習時間を算出したものである。ここからは、偏差値が高い大学の学生が比較的長い時間学習していることがわかる。「偏差値44以下」は30分前後、「45~54」は40分前後、「55~65」は45分前後、「65以上」は50分前後、という具合である。相対的には、「偏差値65以上」の大学に進学した2~3年生の学習時間が55分前後と長い。それでも、彼らの学習時間は、平均して1時間に満たない。
 このように、大学生が学習しないのは、偏差値が低い特定の大学に限られたことではない。研究を重視する大学でも、また、もっとも学習活動が充実できると思われる2~3年生でも、学生が学習をしていない実態は同様である。

学問系統による違い

 続いて、専攻する学問系統による違い(図表21)である。
 これを見ると、まず「芸術系統」の学生の学習時間が長い。それと並んで、「薬学系統」「医学系統」「保健衛生系統」が50分台である。これらの学問系統では、資格取得のために一定の学習が求められるのだろう。さらに、「理学系統」「工学系統」が53分で続く。こう見ると、理系の学問領域の学生の学習時間が、相対的に長いことがわかる。
 これに対して、「人文系統」「社会学系統」「外国語学系統」「法学系統」「経済学系統」などの人文科学、社会科学分野では、いずれも30分台の後半である。いわゆる文系系統の学生が学習しない状況が表れている。
 こうした文系と理系の違い見ると、差を生む要因として大きいのは、「自主的な学習」よりも「授業の予復習」の時間である。「自主的な学習」は、最短の「総合科学系統」11.4分と最長の「芸術系統」24.9分の差が13.5分。一方で、「授業の予復習」は最短の「経済学系統」14.8分と最長の「薬学系統」33.8分の差が19.0分である。医薬系や理工系では、授業の前後に一定程度の課題が出されていたり、予習をしないと授業についていけなかったりということがあるのだと考えられる。

大学の授業方法との関連

 次に、授業の方法によって学生の学習時間は変わるのか、図表22を見てみよう。それぞれの授業方法を受けた頻度(ほとんどなかった~よくあった)によって、学習時間がどう違うかを示した。
 ここからは、多くの項目で「よくあった」と回答する学生の学習時間が長いことがわかる。「よくあった」と「ほとんどなかった」の違いを見ると、「グループワークなどの共同作業をする授業」16分差、「教育と双方向のやりとりがある授業」20分差、「教室外で体験的な活動や実習を行う授業」18分差、「学んでいる内容と将来のかかわりについて考えられる授業」23分差である。いわゆる「アクティブ・ラーニング」と呼ばれるような能動的な授業を行っているかどうかで、学生の学習時間に差が現れている。
 その一方で、「学期末以外にもレポート・テストが課される授業」では、頻度による学習時間の差がほとんどない。レポートやテストなどの評価で学生を縛るよりも、授業方法を工夫することのほうが、学生を学習に向かわせるうえで有効なようだ。
 実際のところ、アクティブ・ラーニング型の学習のどのような要素が、学生の学習時間を伸ばす効果を持っているのか。この点については、データだけではわからない。しかし、授業のあり方、そこでの主体性の引き出し方によって、学生の学習時間が伸びる可能性があることに注目したい。

高校時代の学習との関連

 最後に、高校時代の学習の様子と大学入学後の学習時間がどのような関連をもつのかについて検討する。図表23は、高校時代の学習についての質問に対する回答ごとに、学習時間の平均を算出した。
 「とてもあてはまる」と「まったくあてはまらない」の違いを見ると、「授業の予習や復習をした」23分差、「グループワークやディスカッションに積極的に参加した」15分差、「計画を立てて勉強した」23分差、「興味をもったことについて自主的に学習した」27分差で、いずれも「とてもあてはまる」と回答したものほど、学習時間が長いことが示されている。高校時代に主体的、能動的に学習していた学生は、大学での学習時間が長い傾向にある。
 しかし、「真面目に授業に出席した」では、そのような違いが現れていない。また、図表には示していないが、「授業で出された宿題や課題はきちんとやった」でも差は小さかった。決められたことを遂行するという学習態度は、大学での学習時間に強い効果を持っていない。
 このように、高校時代の学習態度と、大学入学後の学習の様子は関連している。授業方法の工夫も大事だが、いかに大学での学びにコミットする資質・能力をもった生徒を選抜するかも重要だということだ。現在、入学者選抜で多様な資質・能力を評価する手法が検討されているが、そうした観点を高大接続に加味する必要がある。

大学生の学びのあり方を考える

 以上、大学生の学習の状況を時間的な側面から俯瞰してきた。ここから、次のようなことを提案したい。
 第一に、学習時間の短さについて。大学生の1日の学習時間が40分程度というのは、やはり短いと感じる。これは、入学難易度が高い大学では不要とか、理系の学部は十分といったものではない。そうした大学・学部でも平均の学習時間が1時間を超えることはなく、共通の課題と捉えるべきである。多くの学生は、二十歳前後の成長盛りである。この貴重な時期を無駄にしないように、もう少し学生が学習に向かう仕組みを考える必要がある。
 第二に、学習時間の伸ばし方について。データからは、アクティブな授業を受けているほど学習時間が長くなる傾向が示された。また、高校時代の主体的な学習態度と大学での学習時間に関連が見られることもわかった。こうしたことは、授業実践や高大接続のあり方を検討するうえで参考になる。大学(教員)の取り組みによって、学生により多くの学習をうながすことは可能と考える。
 第三に、組織化について。学生への支援や授業の改善も、一人ひとりの教員に委ねるには限界がある。大学全体や学部・学科単位で、学生にどのような資質・能力を身につけさせるのかを検討し、そのための学習時間を見積るべきだろう。資質・能力の育成という観点で言うと、正課外の活動も重要である。それらも含めて、学生の学習活動をデザインし、組織で実現する必要がある。
 最後に、最終目標について。強調したいのは、こうした学習をうながす取り組みを、学生を管理する目的で行ってはならないという点である。学生自身が目標に照らしてどのような学習をどれくらい行う必要があるか、自分の学習をコントロールする力を身につけることが求められる。最終目標を意識すれば、テストやレポートなどの課題で学習を強制すればよいというわけではない。
 本稿の「その1」から「その3」にかけて、小学生・中学生・高校生の学習時間の実態について概観した。そこからわかるのは、彼らの学習時間は増えているが、その伸びはほとんど「宿題」で説明できてしまい、主体的な学習の時間が増えているわけではない、ということである。教育改革で学習すべきことは増えており、教員は強制力のある「宿題」という形で学習量を増やしている。このことは、学びに向かう力(主体性など)を育てようという方針とは対立するように感じる。
 このように、学生は高校までに指示される学習に慣れてしまっている。しかし、大学は主体的な学習能力を高めるべき場である。ここでも同様に、強制力だけで学習を組み立てるべきではない。大学に、主体性の育成と学習量の増加の両立という難課題をどう乗り切るかが問われている。