データで考える子どもの世界 本連載に込めた思い
教育の世界はあまりに感覚的で実証性が乏しい。政策や実践をもっとエビデンスベースで語るべきだ。そのように言われるようになって、もうずいぶん経ちます。私が最初に文部科学省から委嘱を受けた調査(義務教育に関する意識調査)に携わったのは2004年。この調査をご指導いただいた苅谷剛彦先生(現:オックスフォード大学)が、エビデンスに基づく政策議論の重要性を強く指摘されていたことを、よく覚えています。そのころすでに、当研究所は子どもや保護者、教員のデータを積み重ねてはいました。とはいえ、世の中には政策について検討するうえでベースとなるデータは十分とは言えない状況にありました。
ところが、その後は政策や実践の大小を問わず、事前の実態把握と事後の活動評価に調査が行われることが当たり前になりました。PDCAサイクルの重要性が強調されると、その動きは加速し、今では調査が「氾濫」しています。多くの調査に携わってきた者として、こうした動きの重要性を認識するとともに、違和感も覚えます。本当に意味のある調査が行われているのか。協力者に負担をかけて得たデータは有効に活用されているのか。調査が、その場の「言い訳」に使われているだけではないのか。自戒を込めて、強く思います。
そこで、この連載では、過去に実施した調査のなかから選りすぐり、特定のテーマについて俯瞰して論じるということを試みます。新たに調査を行わなくても、複数のデータを組み合わせることで見えてくることはたくさんあるはず。そんなコンセプトから、そのテーマに関係ありそうなデータを紹介し、解説や解釈を加えていきたいと思います。
さらに、調査の「氾濫」には、もう一つの違和感も。それは、「データで考える…」と題したこの連載には逆説的ですが、世の中があまりにもデータ中心になり過ぎていないか、ということです。調査の結果は、聞き方一つで変わることがあります。また、調査では容易に測定ができないことも、たくさんあります。結果が対象者のすべてを表すわけではなく、その裏側にはさまざまな要素があるはずです。教育や子育ては、時としてエビデンスでは示しきれないことも大切にしなければならない世界だと思います。たとえば、データでは「ほめる」ことが有効という結果が出たとしても、現実の場面ではほめてばかりいられません。その子に対してはほめることがあまり効かなかったり、その場面ではほめないほうがよいということだってあり得ます。抽象的な数値を、多いと見るか、少ないと見るか。その解釈自体を多面的に考える。データを参考にしつつも、データに依存しすぎないのが理想です。
この連載で取り上げるデータには限りがあり、その選択には価値が入ります。また、シンプルに語るために、決めつけや言い切りも必要で、どうしても主観が入ります。エビデンスといっても、完全に客観的ということはあり得ません。読者の皆様が、そのことを理解し、それぞれがご自身の経験知や実践知と紐づけて、主体的に解釈していただくことを期待します。この連載は、ひとつの手掛かりにすぎません。データを信じる気持ちと疑う気持ちの両方を持って、それぞれが「子どもの世界」を描いいただければ嬉しく思います。
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