2018/09/07

第1回 部活動の役割を考える 子どもたちに適切な活動の機会を提供するために その4

ベネッセ教育総合研究所 主席研究員 木村治生

その4 部活動の社会的な意義

 前回までに、子どもや教員が部活動をどのようにとらえているのかを概観した。中学生・高校生は7~8割(中学1、2年生だと9割)が部活動に参加し、その多くは「楽しい」と回答。ただし、1割強が「楽しくない」、半数程度は「回数が多くて大変だ」と感じている。中学校・高校の教員は、そのほとんどが顧問を担当。5~6割が「部活動の指導が負担」と思い、8割は「部活動指導員の任用」に賛成するなど、状況改善の必要性を実感している。教員により意見が異なる部分もあるが、全体的に見て生徒にも教員にも、もう少し負荷を軽減すべき状況といえそうだ。
 しかし、単純に回数を削減したり、民間サービスを活用すれば、問題は解決するのだろうか。今回(その4)は、部活動の社会的な意義について検討し、今後、社会の中でその機能をどうするのか(保持なのか、削減なのか)を考える一助にしたい。

部活動に対する保護者の意見

 最初に、保護者は部活動をどう考えているのか、その意見を紹介しよう。図表20と21は、朝日新聞社と共同で実施した「学校教育に対する保護者の意識調査2018」の結果である。対象は、中学2年生の子どもを持つ保護者だが、まずは「子どもが部活動に参加しているか」をたずねた。その結果、参加率は87.4%で、その1で紹介したデータとほぼ一致。その保護者に、子どもが「楽しく部活動に参加していると思いますか」「成長にどれくらい役に立っていると思いますか」とたずねた結果が、図表21である。ここからは、保護者が現状の部活動を高く評価していることがわかる。
 「楽しく部活動に参加している」と思うかについては、9割が肯定し、否定は1割。この割合は、子どもの回答(図表3)と同じである。そして、「成長に役に立っている」と思うかについても9割以上が肯定し、否定は1割に満たない。
 さらに、部活動に対する意見をたずねたのが、図表22である。ここからは、7割が「部活動が先生の忙しさの原因になっている」、6割が「部活動の指導をもっと外部指導者にゆだねるべきである」と考えていて、保護者自身も教員の負担が大きいことを理解していることがわかる。しかし一方で、「部活動の日数は減らしたほうがよい」、「保護者はもっと部活動に関わったほうがいい」を肯定する者は3割に満たない。
 部活動の過剰さについては、保護者からも家族の行事がしにくい、学習をする時間がとれない、お弁当作りなどのサポートがたいへん、といった心配や苦情の声を聞くことがある。しかし、部活動は子どもの成長に有益ととらえ、減らすべきではないと考える保護者が多数派だ。さらに、教員の負担を理解しつつも、保護者が部活動に関わることには否定的である。保護者の意識に、自分の都合を優先するエゴを感じる。ちなみに、同じ調査から、部活動に子どもを参加させている保護者の約75%が、「クラブ活動・部活動」の取り組みに「満足している」と回答している。要するに、保護者は今の状況に充足していて、学校にこのままの手厚い指導を望んでいるのだろう。

スポーツ活動や芸術・音楽活動の貴重な機会

 実際に、部活動は、スポーツや芸術・音楽に触れる機会を子どもに提供する重要な場所として機能している。保護者にとっては、活動場所が学校なので、安心して子どもを任せられる。費用があまりかからない、ということも大きなメリットだ。このように学校が原則無償で多様な機会を提供するスタイルは日本特有のものであり、多くの生徒に平等に機会を提供できるという利点がある。以下では、俯瞰して部活動の社会的意義のようなことを考えてみよう。
 図表23は、子どもが「過去1年間で定期的にスポーツをしていたか」を保護者にたずねた結果(スポーツ活動率)である。これを見ると、小1生から中2生までは6~7割くらい定期的にスポーツをしており、中2生以降は徐々に活動率が低下して高3生では4割程度になる。性差があり、いずれの学年でも「男子」のほうが活動率が高い。
 これらの活動について、活動場所を内訳比率で示したのが図表24である。ここでは、学校の「放課後活動」として提供されているものも含めて、「部活動・放課後活動」とした。これを見ると、小学生は「民間経営」で提供されるサービスが活動場所の中心である。ところが、中学生・高校生になると「民間経営」で活動する比率は大きく減少し、「部活動・放課後活動」が70%を超える状況になる。小学生までと中学生以上では、活動場所が大きく異なる。
 同様に、芸術・音楽活動について活動率を示したのが図表25、その活動場所を示したのが図表26である。スポーツ活動に比べて芸術・音楽活動率は低く、2~3割にとどまる。学年による変化が小さい一方で、性差が大きく、「女子」の比率が高い。活動場所は中学生や高校生で「部活動・放課後活動」が増える。そのことはスポーツ活動と同じだが、比較すると「民間経営」の比率が高い傾向がある。
 このように、スポーツ活動と芸術・音楽活動で若干の違いはみられるものの、小学生までは「民間経営」が、中学生・高校生は「部活動・放課後活動」が、活動場所の中心であることに変わりない。部活動は、中学生や高校生がスポーツや芸術・音楽に触れる経験を享受する場として機能している。本来、これらは学校が担う役割ではなく、地域スポーツや民間に移管すべきという議論もある。しかし、そのすべてを学校外に移すのは、なかなか困難だ。

部活動は機会の格差を是正

 しかも、日本全国どの学校でも無償の機会が提供されていることが、家庭や地域による格差を是正している。図表27は、スポーツ活動と芸術・音楽活動をわけて、「民間経営」での活動率と「部活動・放課後活動」の活動率を世帯年収別に示した。小学生は「民間経営」のサービスを利用する比率が高いが、ここには世帯年収による差が見られる。たとえば、スポーツ活動を「民間経営」を利用して行っている比率は、年収「400万円未満」だと31.4%にとどまるのに対して、「800万円以上」だと53.5%。同様に、芸術・音楽活動では、「400万円未満」13.8%に対して、「800万円以上」は35.0%と2.5倍程度の開きがある。
 ところが、「部活動・放課後活動」は、このような世帯年収による活動率の違いがあまり見られない。中学生のスポーツ活動の「部活動・放課後活動」の比率は、年収「400万円未満」で47.4%、「800万円以上」で50.6%と同じ程度である。芸術・音楽活動については、「400万円未満」14.2%、「800万円以上」15.7%と、こちらもほぼ同率。高校生のスポーツ活動でわずかに差があるが、これは年収が低い世帯の生徒にアルバイトの比率が高いことが影響していると考えられる。
 スポーツや芸術・音楽の機会を子どもに与えるかどうかは、保護者の学歴にも関連がある。自分が受けた教育経験によって、子どもの教育に対する価値観が変わる。そのことを示すように、子どもが小学生の段階では、母親が「非大卒」であるよりも「大卒」(短大卒を含む)のほうが、スポーツ活動や芸術・音楽活動を行っている比率が高い。図表28からわかるように、小学生の「民間経営」を利用したスポーツ活動率は、「非大卒」36.1%に対して、「大卒」は50.7%。芸術・音楽活動率は、「非大卒」14.9%、「大卒」26.6%である。しかし、中学生・高校生の「部活動・放課後活動」では、母親学歴の違いがほとんど見られない。母親が「非大卒」であっても、「大卒」の母親を持つ子どもと同程度、活動の機会を享受できている。
 活動の機会は、地域によって偏在する可能性もある。たとえば、「民間経営」のサービスは、地方よりも都市部に多く存在するのではないか。図表29を見ると、小学生のスポーツ活動で「民間経営」の活動率は「指定都市・特別区」だと48.8%。ところが、「人口5万人未満」だと34.4%であり、14.4ポイントの開きがある。一方、中学生・高校生の「部活動・放課後活動」は、むしろ人口規模が小さい自治体に居住する生徒の方が、活動率が高い。当該地域では不足しがちな経験の機会を、部活動が補っているように見える。芸術・音楽活動の地域差はスポーツ活動ほど大きくないが、一部に同様の傾向が見られる。
 以上、総じて言えるのは、次の二点である。
 第一に、小学校段階まではスポーツや芸術・音楽などの活動機会として「民間経営」のサービスを利用する比率が高いこと、そこには家庭環境(世帯年収や保護者の学歴)や地域による差が存在するということである。「民間経営」のサービスを、いわゆる習い事として行うには、継続的に一定の費用が必要になる。また、保護者の教育に対する意識も関係する。教育に対する関心が高く、子どもに習い事をさせようという積極的な意識がなければ、わざわざ習い事はさせない。そうしたことが、家庭の経済的要因や文化的要因による格差を生んでいると考えられる。また、スポーツのように一定の施設と子どもの数がいないと成立しない活動の場合、人口が多い都市部の方がやりやすい環境が整っていると言えるだろう。習い事の内容によっては、地域的要因も機会の偏在を生む。
 第二に、中学生・高校生になると、スポーツや芸術・音楽などの活動機会の中心が「部活動・放課後活動」に移る。こちらについては、一部に例外はあるものの家庭環境による格差はほとんど見られなくなる。また、地域差については、人口規模の小さい自治体に居住する生徒の方が活動率が高い。地方では、学校以外に生徒の活動機会が少なく、学校の役割がより大きい。安い費用で、また、学校という場所で行われていることが、格差を打ち消す要因になっていると考える。中学生や高校生は「部活に入るのが当たり前」といった学校がもつ雰囲気も、家庭的背景に恵まれない生徒の参加を後押ししているのだろう。
 *このようなことが、さまざまに関連する変数を統制しても言えるのかを確認するために、ロジスティック回帰分析を行った結果を紹介しよう。少し専門的になるが、関心のある方は、「記事に関するデータ集」の図表30、31を参照してほしい。この分析でも、スポーツ活動や芸術・音楽活動を規定する要因として、小学生では家庭環境や自治体規模の影響がみられるが、中学生の段階ではそれらの効果はほとんど消えることがわかった。

部活動の社会的意義

 さて、これまで紹介してきた多くのデータを踏まえて、部活動の社会的な意義をどう捉えればよいだろうか。
 まず押さえたいのは、教育的な意義である。教員の多くは人間的に成長する生徒を目の当たりにし、経験的にその重要性を認識している。自分がやりたいことを同じ思いを持つ仲間とともに集中して行う経験は、社会で活躍するのに必要な多くの力を育てているに違いない。われわれが実施する調査の分析でも、特に運動部の生徒に友人関係の広がりが見られ、社会情動的スキルの自己評価が高い傾向が見られた。また、部活動に参加する子どもをもつ保護者の9割以上が「成長に役立っている」と回答し、間近で子どもの成長を見ている保護者も部活動を高く評価している。一方で、部活動がどのような資質・能力を育てているかについては十分なエビデンスが存在しておらず、さらなる研究が必要だ。指導の場面でも、育てたい資質・能力は何かをより明確にして、「活動の質」に留意していけるとよいだろう。
 「活動の量」の面でも、部活動の存在は大きい。教育課程外の活動であるにもかかわらず、中学1~2生は9割、高1~2生は8割程度が部活動に参加し、学校教育に欠くことができない存在である。こうした状況は、日本特有のもので、世界には類がない。この誰でも参加できるという環境が、家庭的な背景や地域的な要因に左右されず、教科学習以外の多様な機会を平等に提供するという「離れ技」を可能にしている。日本では当たり前に存在する部活動だが、この仕組み自体は世界的にすごいことだ。

部活動の「これから」について

 しかし、課題も多い。その課題をどう解決して、「これから」をデザインするか。下の図を参照しながら、考えていこう。
 繰り返しになるが、部活動の過剰さは課題の一つだ。多様な経験をすべき中学生・高校生の時期に、部活動だけに明け暮れるのは経験のバランスという点でも心配である。時間を減らすことで部活動かけているコストの総量を切り下げるのは、彼らの負荷を軽減するもっとも有効な方法だろう。適正規模に総量を縮小たうえで、さらに教員以外の指導者がかかわれる仕組みにできるとよいのではないか。部活動を縮小したことで自分のやりたいことが不足すると感じる生徒は、部活動以外の場を利用することを考えるとよい。すべてを学校が担うのは難しい。
 このとき、活動の目的を明確にしておきたい。目標をどこに置くのか、どのような資質・能力を高めるのかを検討し、活動内容を精選する。「勝利」は大事だが、そのために省ける無駄がないかを生徒自身が考えるのもよい経験だ。生徒の長い生涯を考えると、それぞれが目標を立て、どのような方法で達成するかを考え、仲間とどう合意していくのかといったプロセスが重要である。また、部活動の縮小によって生まれた時間をどう過ごすのか。生活全体のデザインも必要になると考える。
 さらに、一番大きな課題だと思うのは、この世界に誇れるような仕組みが、教員の“善意”のようなあいまいものに支えられている点だ。一般にはあまり知られていないが、公立学校の教員には「原則として時間外勤務を命じない」ことが法律で定められている。このため、超過勤務手当や休日給は支給されない。その代わりに教育職の特殊性を考慮して「教職調整額」が一律4%上乗せされる。現在は休日の指導に部活手当(3,600円)が支給されるが、基本はどれだけ勤務しても給与は変わらない制度だ。
 この規定に依ると、部活動は正規の労働時間(週40時間)に含まれるように設計がなされなければならない。だが、現実は誰が見てもわかるように、そうなってない。そのほとんどは、勤務時間外に、教員の「ボランタリーな」意思の下で行われる。そうであるにもかかわらず、教員のほとんどが「強制的に」顧問を担うという矛盾を抱える。教員も組織の中で働く以上、自分だけ顧問を拒否するのは難しい。もちろん、部活動に積極的な教員もいるが、そうしたケースも含めて、部活動は教員の“善意”によって成り立っている。社会が教員の善意に「ただ乗り」しているともいえる。
 もし、部活動が子どもたちの成長にとって有意義であり、それが社会にとって必要なものであるならば、それにかかるコストを教員の“善意”だけに頼るのはおかしなことだ。もちろん、教員にも指導上のメリットがあるから、一定程度は担うということはあってよいと思う。しかし、社会全体でそのコストをどう分担するかを考える必要がある。社会が(税金を充てて)公的に負担をする、もしくは、家庭が一定の負担をするといったことをもっと検討すべきだろう。文部科学省は、2021年度までに部活動指導員を3万人に増やす方針で予算の増額をしようとしている。一人あたりの報酬は少なく、質の高い指導員が確保できるのかといった課題はある。指導の管理や教員との連携など仕組みの設計も必要だ。うまくいくことばかりではないかもしれない。しかし、有意義な取り組みだと思う。試行錯誤しながら現状を変えていくしかない。
 これまで、4回にわたってデータから部活動の現状を明らかにしてきた。関係者それぞれの部活動に対する思いは異なる。実際には、部活動が「学校の名誉」を背負っていたり、私立学校では有効な「宣伝」になったりする。生徒にとっても、それがスポーツ推薦のような「選抜」の材料になることがある。部活を縮小できない、しては困るといった声もあるだろう。しかし、学校教育の全体設計においては、「適切さ」が求められる。より多くの生徒が無理なく適切に成長の機会が得られるように、また、社会にとってもより効果的に適切な活動を提供するためにどうするか。その視点から部活動のあり方を考えていく必要がある。