エピソード 研究会メンバーのICEとの出会い 主体的学び研究所 大村 昌代

1.「教え込み(教授主体)から、主体的な学び(探究主体)に学びを変える」必要性が高まったと感じる、ご自身の経験。

 先生や周囲が教えて「わかった」と言ったときよりも、自分自身で I を詳しく調べたり、議論した中でもっと詳しい情報に変えていったときの方が、行動も言動に活力がある。
 数回の授業を経ると、情報の根拠もしっかりしてくるし、人の意見も聞きながら議論し、自分の意見まで持てる学生が必ず出てくる。学ぼうとする学生が成長するように促すには何ができるかを考えさせられた。

2.先生方にとってフレームワーク(ICEモデル)が有効と感じた理由。

 (ICEを学生に紹介していないが)ICEを意識した問いかけをすると、表面だけではない情報や意見を探そうとする。思いもよらない情報や意見が出てくるのでお互いにとても楽しくなる。
 問いかけに対して、曖昧な答えをしたときには、それは本当か、と洞察を促すようにしていた。1つの問いを考えたときに、大量の調べものが必要になり、本や雑誌をいくつも調べるのは、時間のない学生にとってたいへんなことだった。しかし、調べたことがらを自分で解釈し、つなげると、表面だけではない生きた知識になった。質問されても、堂々と他人にパラフレーズまでできる学生もいる。知識、情報が自分の足で調べて根付くと、学習面だけでなく人としての成長にまで影響するのは印象深かった。

3.授業デザインに必要な「問いかけ」の具体的な事例(単元やその時の問いの事例)。それを作るために工夫していること。

 問いをいつも学生とともに考えるようつとめている。学生は問いかけられても答えられないことが多々あり、問うことはもっと苦手と言って避ける傾向が見られる。問う、問いかける、応答することにどれだけ向き合うかというところがスタートで、その後も授業を通して一緒に考えていく姿勢でいたい。
 たとえば、学生は「わからないことがある」「質問がある」ということをネガティブにと捉えていることもある。質問がないことが良いことと考えていて、わからないことは良くない、つまり、自分の発表はフロアから質問が出たから失敗だと思ってしまう。
 クラスになじんでくると、問うことも問われることも徐々に慣れてくる。さらに問いを深めようとすると、再度、問いへの反応が鈍くなりがちである。それは、「論理に穴があるから問われる」「考え方を間違えているから問われる」「答えられないから問われたくない」 というように、否定されたような感覚になるようだ。学びの入り口を閉じそうになってしまうので、問いの側面を再度見つめ直すことも大切だと考えている。わからないところやどうして?と指摘されたことをどのようにと捉え、どうやって答えるのかを一緒に考え、学び方を学ぶ方へ導くよう留意した。
 ただし、わからない状態のときには、一人の時間を取りじっくり考えてもらうことも大切であると、学生の学びから経験できた。学生が知らないことを「痛切に感じて」調べたり、他者の学びから習うことは、行動を変えることに大きく関わっていると思えたからだ。
 問われることが恥ではない、学びのチャンスということがわかってくると、学生どうしのそれぞれの視点や発想に気づき、どんな考え方をして意見をまとめたかに興味や関心が高まってくる。学び合いで勇気づけられて、自分の力に変えていこうとする気概も出てきたようであった。それが主体的な学びに関連する要素ではないかとも考えている。

4.学校や教科を超えて語る研究会を通して気づいたこと。研究会への期待と課題。

 CやEに導こうとする授業が具体的にはどのようなことをするのか。書籍に載っていない科目ではどのように実施できるか。多くの方から聞いた疑問であるが私も同じであった。私は実践経験も浅く、ICEでの学びにリアリティをあまり持てなかった。何とか理解したくて、実に多くの主体的な学びについての書籍を読んで考え込むということが続いていた。
 この研究会に参加するようになって、書籍にないことばかりうかがえるようになった。中学、高校の研究会の先生方から、授業実践から得られた知見をもとにした柔軟で深いICEの議論に参加できたのは幸運だった。現場のお話はとても参考になった。ICEで楽しくなる授業や、好奇心をくすぐられる面白い問いをお聞きして、ワクワクする問いを新鮮に感じた。私もそういう授業を受けたいなと思う面白い問いばかりだった。
 一方で、大学には面白くて楽しい先生もたくさんいらっしゃるし、興味深い問いであふれている(はず)なのに、なぜ「大学の授業は面白くない」と敬遠されるのかも深く考えさせられる機会であった。私の担当した授業では未熟なところがあり、振り返ると反省しきりである。
 しかし、本研究会の先生方のまとめや対話の中から、改善につながるヒントを得ることができた。本稿を執筆するときには、あまりなじみのない項目もあったのだが、そこにいくつも新しい気づきが隠れていた。たとえば、CanBeMapのアレンジは、柞磨昭孝先生からポツリと「どう使う?」と問われて、「マップのように視覚でわかる感覚を授業で生かすこと」に気づいてチャレンジしたことだった。この研究会でまとめをしなければ考えられなかったことだ。
 ICEについて言語化された資料(議論、授業案、研究論文など)はまだ少なく、授業そのものを通して一緒に考える機会もそう多くない。そういう状況で、今、「やってみたい」 「もっと役立てたい」「こういう使い方があるはずだ」と考えていらっしゃる先生方に本研究会のまとめをご覧いただき、いつかお互いに意見交換できればありがたいと考えている。