2017/06/12

【 多様な学びを促す学校の“場”づくり】第4回 地域との交流で多様な学びを生み出す場づくり

最終回の今回は、学年や学校の枠を超えて、地域と協働する学びの"場"としての学校の可能性についてご紹介していきます。
学校と地域の連携がうまくいっている事例に共通するのは、子どもたちがこれからの社会を生き抜いていくために何が必要なのか、真剣に考え、行動している大人たちがその地域にいるということであり、学校施設はあくまでも人を支えるツールであると感じられました。
BERD編集長 石坂 貴明
近年、文部科学省は「コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度※)」の導入を呼びかけている。文科省の定義するコミュニティ・スクールとは「学校運営協議会」 を設置している学校を指すが、地域と学校とのありようは、一様ではない。今回は、学校と地域がつながることで、学びの"場"が生まれている事例を紹介していく。
※コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)とは、学校運営や学校の課題に対して、広く保護者や地域住民が参画できる仕組みのこと

地域住民の意思で「自分たちの学校」を作る

京都御池中外観(上)
京都御池中のトイレにかけられたのれん
京都御池中外観(上)。道路に面した1階部分には、レストランなどの店舗が入る。(下)は、同校のトイレにかけられたのれん。和の伝統色で染められている
地域と密接なつながりを持つ学校があると聞いて、京都を訪れた。取材したのは、京都市立京都御池中学校(以下京都御池中)だ。
校内を案内してくれた西田育世副校長は、最初に京都御池中の成り立ちを説明してくれた。京都御池中は都心地域における児童・生徒数の減少を背景に、幾度かの統合の段階を経て、周辺14学区の合意により、2003年に開校した小中一貫教育校(※)だ。統合にあたっては、「人数が少なくなったから統合しましょうという単純な話ではなく、京都市教育委員会と共に協議を重ねながら、統合して1つの学校を作るならこういう学校にしたいという地域住民の要望、熱い思いと英断がありました。」と西田副校長は話す。つまり、学校の計画段階から地域住民が主体的に関わった結果、街のシンボルとなり、21世紀型の学校を目指して地域とのつながりが非常に強い学校となったのだ。
校内を見て回ると、地域住民のアイディアが随所に反映されていることがわかる。たとえば、最初に案内された会議室の床材に使われているのは、床材としては珍しい竹材。校内にある和室の襖絵は、二条城の障壁画「松鷹図」を復元したものだ。校内のトイレには和の伝統色で染められたのれんが掛けられており、トイレごとに色が違うという。これらはすべて、地域住民がアイディアを出し合い、協力した結果、実現したものだ。
※京都御池中は京都御池中学校の生徒と、御所南小学校および高倉小学校の6年生児童が通う小中一貫教育校である

「物理的な近さ」が、心の距離感をなくす

京都御池中の教室内からの一風景。低層階に入っている老人デイサービスセンターが見える
老人デイサービスセンターに贈るために、生徒が毎月制作しているという貼り絵カレンダー
教室内からの一風景。低層階に入っている老人デイサービスセンターが見える(上) 老人デイサービスセンターに贈るために、生徒が毎月制作しているという貼り絵カレンダー(下)
京都御池中の特徴的なもうひとつの点は、校舎が保育所、老人デイサービスセンター、地域包括支援センターなどが同居する「複合施設」となっていることだ。2006年の新校舎竣工時には6・7階がオフィススペース(市役所の執務室)として利用されていたが、現在は生徒の増加により、オフィス部分も教室となっている。
教室の窓からのぞくと、低層階にある老人デイサービスセンターや保育所が見える。小中学校の教室と、これらの施設との物理的な距離の近さは、児童・生徒と施設利用者との「関係の近さ」に大きく寄与している。西田副校長はいくつかその例をあげてくれたが、たとえば、数年前にはお年寄りが今風の曲に合わせて毎日している体操のことを知った中学生が、一緒に踊るメンバーを募集して、ダンスコラボをしたことがあった。休み時間に行き来ができる距離にあるので、昼休みにデイサービスセンターを訪問し、一緒に練習を重ねる風景が見られたという。「ダンスをするだけじゃなくて、この活動のなかで車いす体験や、介護の話などもしてもらいました。」と西田副校長は話す。同じように、美術部員が保育園児に向けてオリジナルの紙芝居を作り、読み聞かせに行くこともあるし、保育所から「今校庭が空いているようなので、使ってもいいですか?」という連絡が入り、園児が学校の校庭で遊ぶこともある。こうしたやりとりは、物理的な距離の近さがあってこそ実現している。

地域の人が知恵や労力を出し合い、学びの機会を提供する

京都御池中内にある和室の襖絵
京都御池中内にある和室の襖絵は、地域の人からの要望で障壁画「松鷹図」を復元したもの。茶道や華道、着付けなどの伝統文化・芸術に取り組める場になっている
地域の人が指導役を担う事例もある。京都という土地柄もあり、お琴や茶道、華道、狂言といった日本の伝統文化を教える「師匠」たちが京都御池中の学区内に居を構えている。こうした環境があるため、地域に住まう現役の師匠たちを講師に迎え、本物の指導を受けられるという。校内に和室を作る際には、茶道の家元を中心にその道の「師匠」から細かなアドバイスが入ったと、西田副校長は笑いながら教えてくれた。
京都御池中は2004年に京都市教育委員会より指定を受けて、京都御池中学校学校運営協議会を立ち上げている。「けやきプロジェクト」として進められているこの協議会には、理事会や企画推進委員会に地域の代表、PTA役員、学校の教職員がメンバーとなり、現在は8つの部会が設置され、さまざまな活動が実施されている。
たとえば、「図書館運営部会」では、京都御池中内図書室の放課後開館のボランティアや、選書会が運営されている。選書会は、町の本屋さんに協力してもらい、生徒自らが図書室の蔵書を選ぶ会だ。「しゃべり場部会」では、地域住人と生徒の相互理解を深めるために、地域の大人と9年生(中学3年生)が1対1で話す「しゃべり場」という機会を作った。「第1回に参加した9年生160名に対し、しゃべり場部会の調整で160名の大人が集まりました。直接話をすることで、『今の中学生がどんなことを考えているかが良くわかった』『これまで大人の方にこんなに真剣に話を聞いてもらったことは少ない』などと、相互理解が進むんです。」と西田副校長は話す。取り組みを評価する声は多く、「しゃべり場」はもう8年続いているという。
京都御池中にある地域14学区では、「地元の子どもたちを地元で育てたいという思いが強いので、何か学校と関わりたいという気持ちがある。」と西田副校長は話す。だからこそ、部会も学校が一方的に企画・運営をしているのではなく、地域住民と一緒に作るという体制がとられてきた。「当然、課題が持ち上がることもあるし、調整が必要なこともあります。でも、地域住民を交えない学校運営は、この地域では考えられません。」と西田副校長は言う。

学校は、地元の人が集まる場所

地域主催の行事を開催する"場"として学校が機能することで、地域の文化を受け継ぐ学びが生まれる事例もある。東海村立照沼小学校(以下照沼小)は、全校児童90人(2016年度時点)の小規模校。2013年に現在の新校舎が竣工したが、それ以前から、照沼小の児童たちは地域の人と一緒に稲作を通した農業体験をしていた。地域の人の指導のもと、田植えから収穫までを行い、11月の収穫祭で収穫したもち米を赤飯にして、児童や教師、保護者や地域の人が一緒になって食べるという行事だ。
東海村立照沼小学校のかまどが置いてある屋外スペース
東海村立照沼小学校の体育館2階オープンスペース
かまどが置いてある屋外スペース(上)と、体育館2階のオープンスペース(下)。どちらも地域の行事に合わせて、効率的な動線を検討したうえで作られた
この行事が今後も学校で行われることを想定し、新校舎の計画段階から、行事を実施できるスペースや動線が取り入れられたという。同校の原田薫校長は話す。「体育館の並びにちょっとしたスペースをつくっていただいたので、そこにかまどを6つぐらい用意して、そこで薪を使って収穫したもち米を蒸すんです。そうしてできあがった赤飯を家庭科室でパック詰めするんですが、外から校舎の2階に上がる階段があって、その階段を通って家庭科室までまっすぐ移動できる動線がとってあります。」
体育館の2階部分にもオープンスペースが設けられているが、ここは地域の人たちがバザーを実施する際に使われる。実際にその現場を案内しながら、原田校長は「外テラスから入って、商品を選んで、お金を払って体育館の中に通じる階段を通って出ていく。バザーのときは、そういう動線がうまく組まれています。」と教えてくれた。
1月には地域の人と共同でついた餅を木の枝に取り付ける「繭玉づくり会」をし、卒業式には、卒業生や来賓の方に手作りのお赤飯を渡す。地域の人と学校とが一緒になって行う行事が照沼小にはたくさんあるが、地域の人から見れば「地域の行事を学校という"場"でやっているだけ」。学校だよりを保護者だけでなく地域にも回覧するなど、学校側の働きかけはもちろんあるが、なにより学校が地域の人に開かれた場になっているからこそ、こうした状況ができあがっている印象を受ける。

学校の維持管理を、住民の手で担う

東海村立照沼小の普通教室
照沼小の普通教室。普段の掃除は少ない人数で行うため、自分たちの教室などよく使う場所が中心になってしまう
照沼小のような小規模校では、このようにして地域の人が学校と関わりを持ってくれることは、学校側が足りない人手を確保するという意味でも非常に重要だ。原田校長は、具体的な例をあげて説明してくれた。「児童数が少ないものですから、普段の掃除は自分たちが学校生活を送る1階が中心になってしまうんですね。そうすると、2階の特別教室などはなかなか掃除の手が行き届かない。それを地域の人が手をあげて、手伝いにきてくれるんです。」
普段の掃除ではできない校内の掃除や除草作業などに手を貸してくれるのは、子どもたちの保護者だけではないという。たとえば、夏休み中に奉仕作業をお願いすると、子どもたちの保護者だけでなく、その祖父母、またかつての卒業生やその家族といった人たちを中心に、100人近くの地域住民が手伝いに来てくれる。自分の子どもや孫が今学校に通っていなくても、地域住民が照沼小を「おらが学校」と呼び、関わってくれるコミュニティが生きている。
照沼小の学校運営について、二川忠典教頭は、「子どもたちが安心して楽しく学校に毎日来られるというのがやっぱり一番大事。(学校が)基幹避難所にもなっているので、地域の防災ということを考えたときに、子どもたちにも防災の意識や、いざというときに対応できる、そういう力を育てていきたいというのも大きな柱です。」と話してくれた。同校の教育目標は「郷土を愛し、心豊かで たくましく生きる児童の育成」。この目標を達成するには、地域の手助けは必要不可欠であり、地域に開かれた学校運営は照沼小の教育目標実現の大きな支えとなっている。

地域をフィールドにした学びで生まれる、教科と社会のつながり

学校に地域住民が入ってくるのではなく、学校が地域に働きかけることで、地域とのつながりを生むこともできる。同志社中学校(以下同志社中)では、地域を学びのフィールドにし、生徒たちが学校の外に出て、学びを深めている。
そのひとつが、同志社中の東側にある叡山電鉄鞍馬線の八幡前駅を盛り上げるため、2013年に開始された「八幡前駅プロジェクト」だ。同プロジェクトでは、同志社中の有志生徒がアイディアを出し、叡山電鉄側との話し合いを重ねながら、八幡前駅を盛り上げるための施策が打たれてきた。沼田和也教頭は、このプロジェクトを次のように紹介してくれた。「叡山電鉄には、同志社中学校の生徒に八幡前駅を使ってほしいという思いがありますし、我々も生徒に社会とつながっている活動をしてほしいという思いがあったので、それがうまくつながりました。八幡前駅とうちの学校とを結ぶところや八幡前駅のまわりを同志社カラーに変えさせてもらう活動など、生徒がいろいろとアイディアを出しています。」
同志社中学校内に飾られた「同志社中学算額絵馬」
校内に飾られた「同志社中学算額絵馬」
滋賀県大津市の三井寺と連携し、生徒が作成した問題・解答を書き込んだ絵馬を「同志社中学校算額展」として奉納するという取り組みも、2012年度から続けている。算額とは、絵馬や額などに和算の問題を書き、参拝者が解き合うという日本独特の文化。三井寺には江戸期の算額が伝わっていたことから、こうした活動が実現した。生徒はこの活動を通して、数学の知識を深めるだけでなく、日本の伝統文化や社会とのつながりを、実感を持って学んでいくことができる。同志社中で数学を教える園田毅先生は、「数学が『好き』な子を増やしたい」と話してくれたが、教科書や問題集ではなく「地域」と数学という意外な結びつきは、数学への興味関心を高めるきっかけとなることだろう。

Editor's eye

冒頭に書いたように、昨今文科省を中心に、学校と地域が連携した活動を推進する動きがある。しかしこれは、そうした事例がこれまで少なかったという現実の裏返しだろう。 この記事でも紹介した照沼小は、コミュニティ・スクールではない。しかし実態を見れば、地域と密接な関係を持ち、地域住民と学校がそれぞれの役割を担いながら、一体となって児童の成長に関わっているという点で、まさに「コミュニティ・スクール」そのものだ。一方で、こうした状況は一朝一夕には作れないことや、「仕組み」も重要だがそれ以上に仕組みの運用という日々の地道な取り組みが必要だということも痛感した。
地域と学校が連携していくには、学校側の安全管理への配慮や、当事者同士の意思疎通をどう図るかなど、課題はいろいろある。これらを「面倒だ」と思ってしまえば、連携は進まない。学校と地域が、共通の目的を見つけ、共に歩み寄ることが連携を進める第一歩なのではないだろうか。
【企画監修】千葉大学大学院工学研究科 建築・都市科学専攻教授 柳澤要氏
【企画制作協力】(株)エデュテイメントプラネット 山藤諭子、柳田善弘、水野昌也
【取材協力】京都市立京都御池中学校(京都)、東海村立白方小学校(茨城)、西南学院小学校(福岡)、東海村立照沼小学校(茨城)、同志社中学校(京都) ※学校名五十音順
※原稿内の役職は、取材当時のものです