2015/09/14

「発達障害のある子どもたちの学びに関わる問題」 フォーラム NPO法人特別支援教育研究会 未来教室 秋山明美先生(東京都文京区立柳町小学校 元校長)【前編】

特殊教育から特別支援教育へ

 今回のテーマとなる「インクルーシブ教育」とは何か。
 「インクルーシブ教育とは、障害のあるなしにかかわらず、すべての子どもたちが地域の学校で共に学べる教育のこと」だと秋山先生は言う。
 地域の公立小中学校には、通常学級のほか「特別支援学級」があるが、この学級に障害のある子どもたちが通うことを意味するのではなく、一人ひとりのニーズに合った教育支援を通常学級のなかで行うことがインクルーシブ教育なのだという。
参考: NPO法人特別支援教育研究会 未来教室 秋山明美先生
 では、これまで文部科学省では、障害のある子どもたちに対する教育をどのように位置づけてきたのだろうか。
 かつて、障害のある子どもたちの教育は「特殊教育」と呼ばれ、障害の種類や程度に応じて特別な教育支援を行うことに重点が置かれていた。しかし、2002年文部科学省が実施した「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国調査」によって、特殊教育の枠に当てはまらない通常学級にいる発達障害と思われる子どもたちが6.3%いるという問題が浮き彫りになった。このことから、グレーゾーンの子どもたちを含め、「一人ひとりの教育的ニーズに合わせた教育支援」へと方針が変わった。
 さらに2007年(平成19年)4月から、「特別支援教育」として「学校教育法」の中に明確に位置づけられるようになった。それまでの養護学校、盲・ろう学校等、障害の種類や程度に合わせた専門的な対応ができる学校を「特別支援学校」として、小中学校内にあった特殊学級、心身障害学級を「特別支援学級」として設置した。そのほか、新たに幼稚園から小中高等学校すべての通常学校においても、障害のある子どもたちの支援を充実させていく方向へと転換している。
参考: 参考:「特別支援教育の現状と課題」文部科学省 初等中等教育局 特別支援教育課(平成26年12月4日)

特別支援教育実施の采配は校長に

 では、新たに加わった通常学級での特別支援教育とは、各学校で誰がどのように行うのか。
特別支援教育実施の責任者は各学校の校長が務め、学校内の体制整備や必要な取り組みを行う。校長は、特別支援教育を推進する中心的役割を担う「特別支援教育コーディネーター」を指名して、教育・医療・福祉機関等との連携を図りながら校務分担をする。
 秋山先生もインクルーシブ教育の実践にあたっては、経験豊かな教師でもある特別支援教育コーディネーターになんでも相談できたことや専門的で具体的なアドバイスをもらえたことが、大きな助けになったという。インクルーシブ教育の取り組みにあたって、特別支援教育コーディネーターの役割は大きい。
 特別支援教育コーディネーターは、特別な教育的支援の必要な子どものために「個別の教育支援計画」を作成する。障害のある児童生徒の一人ひとりのニーズを正確に把握し、教育の視点から適切に対応していくためだ。これにより、長期的な視点で乳幼児期から学校卒業後までを通じて一貫して的確な教育的支援を行うことが可能になる。

公立学校のインクルーシブ教育の取り組み方には大きなばらつきがある

 すべての学校で支援を充実させることになった背景には、2006年の国連総会で採択された「障害者の権利に関する条約」の影響が大きい。障害者の権利に関する条約は、障害者の人権や基本的自由の享有の確保、障害者の固有の尊厳尊重の促進を目的とし、障害のある子どもたちが地域社会の中の一員として豊かに生きられる「共生社会」の実現を目指して制定された。
 「インクルーシブ教育システム」(Inclusive education system: 包容する教育制度)は、障害者の権利に関する条約の第24条で示されている。これを受けて中央教育審議会が「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システムの構築のための特別支援教育の推進」を打ち出した。
 これによると、「インクルーシブ教育システムとは、人間の多様性の尊厳等、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的のもと、障害のある者と障害のない者が共に教育を受ける仕組み」だという。
そして「障害者を包容するあらゆる段階の教育制度及び生涯学習を確保すること」が重要だとしている。その実現にあたって必要なことは何か。
「障害のある者が一般的な教育制度から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な『合理的配慮』が提供されること」等としている。
【参考】
「障害者権利条約」UNESCO(2005) Guideline for Inclusion
「障害者の権利に関する条約への対応/中教審初中分科会報告概要インクルーシブ教育システムについて」より抜粋
 秋山先生は日本のインクルーシブ教育について次のように話してくれた。
 「障害云々ではなく、『みんなちがって、みんないい』という金子みすヾの言葉のように、誰もが違うことを大前提とした、すべての子どもたちのための教育がインクルーシブ教育の本質です。ただ、障害のある児童が通常学級の学校行事の時にだけ参加することを『インクルーシブ教育の実践』と謳っている学校もあり、そうしたケースも含めて公教育の現場では『インクルーシブ教育』と呼んでいるのが現状です。一人ひとりのニーズ合った教材が準備され、それを使いながら一斉授業ができているかどうかを見極めることが大事だと思います。」
 制度は整ってきているものの、全国各地での公立学校の取り組み方、考え方にはまだばらつきが大きいようだ。

「特別支援教育=学校教育」と捉える

 このような現状で、秋山先生は、公立小学校でどのようにインクルーシブ教育を実践されてきたのだろうか。
 「東京都を例にすると、就学前の段階で発達の遅れの可能性があると思われる場合、発達検査、行動観察、専門医の診断等を経て、就学相談委員会で『この子にはどのような支援をすればよいか』が話し合われます。その結果を教育委員会が示し、保護者と就学先の小学校を最終決定します。公立小学校の場合、通常学級と特別支援学級のどちらかに進みます。」
参考:障害のある児童生徒の就学先決定について ~手続きの流れ~
 秋山先生が文京区立柳町小学校校長として着任した当初は、特別支援学級の中に通級学級の「知的障害学級(たけのこ学級)」と固定学級の「情緒障害学級(どんぐり学級)」の二学級があったという。
 通級学級では、通常学級から週一回程度、発達障害のある子が情緒面の支援を受けたり、集団の中で力を発揮できるよう指導を受けたりしていた。また、発達障害の児童が通常学級にいる際には、教室に支援員がついて学習を支援していた。
障害のある子と通常学級で個別には「交流共同学習」を行っていたが、多くの小中学校がそうであるように、それまでの通常学級の児童や教師との交流はあまりなかったようだ。
 秋山先生は、NHKの「シリーズ発達障害とともに(首都圏版)」の取材で、公立小学校でインクルーシブ教育に取り組んだ校長として取り上げられたこともある。しかし、着任当初からインクルーシブ教育の実践を推進していたわけではなかった。当時の柳町小学校の保護者会からの強い要望と熱心な働きかけが文京区教育委員会にあり、実践へ向けた動きが始まった時期に、たまたま校長として着任したことからインクルーシブ教育に取り組むことになったのだという。
 「2007年の特別支援教育の施行開始がちょうど重なり、柳町小学校に着任した4月からいきなりインクルーシブ教育がスタートしました。しかも、特別支援学級の教師たちが全員校外へ異動して多くの新任教師が着任してきました。右も左もわからないまま、数ヶ月は毎日必死で準備と実践とを進めてきました。」
 そんななか、秋山先生がインクルーシブ教育の実践にあたって、まず初めに取り組んだことがあるという。
「『柳町小学校での特別支援教育の考え方』を定めて、全教師で共有を徹底しました。その考え方とは、障害の有無に関係なく、支援を必要とするすべての児童を対象にすることで、『特別支援教育イコール学校教育』というものでした。例えば、通常学級でも家庭の問題で学校に来られない子もいれば、ネグレクト(育児放棄)のようなケースもありました。それぞれの子どもに合った教育をすべて特別支援教育と捉えたのです」と話す。
 文部科学省では、あくまで通常学級にいる発達障害の子の支援までを特別支援教育としていたが、インクルーシブ教育を実践するには、その範疇を超えていく必要があった。秋山先生は、すべての子の教育ニーズに応えていくことを決断したのだ。
 しかし、公立小学校の教師たちは既存の業務だけでも手一杯であるといわれる中、児童一人ひとりに合った教育を実践するための労力は並大抵のことではなかったはずだ。現場の教師たちの協力と理解をはじめ、保護者等からどのように協力を得て進めていくことができたのだろうか。

児童・教師・保護者ともに心の壁をなくす学校づくりの実践

 秋山先生が校長として学校全体で子どもや教師、保護者と共に取り組んだことを伺った。「子どもに対して」「教師に対して」「保護者に対して」「行政に対して」それぞれができることから具体的に実践されていたのかがよくわかる。
 まず、「子どもに対して」。

一人ひとりのニーズに合った個別支援計画づくり

 すべての子どもたちについて把握することを目的として、個別の教育支援計画と個別支援計画の作成を実施した。

「所属級」で朝の会、帰りの会、学級会等を実施

 通常学級と特別支援学級とを分けるのではなく、同じ学年の子は全員同じ「所属級」に在籍することにした。クラスメイトとして一体感を持って過ごすことを目的として、毎日の朝の会と帰りの会、また学級会等も一緒に行った。発達障害のある子に対しては重要な、落ち着くことができる毎日のパターンを定着させることを重視した。

発達障害の子のための「柳ルーム」を設置

 通常学級に在籍して個別支援を必要とする子が通う教室(リソースルーム)として、別室の「柳ルーム」を設けた。発達障害の子たちが苦手とする挨拶や友だちに対する接し方などの基本を身につけることを目的として、ここで、発達障害の児童にSST(ソーシャルスキルトレーニング)を実施。

障害者種別ではなく特別支援教室を学齢で分ける

 一般的な特別支援学級は、1年生~6年生までを全学年一緒にして人数で学級編成をする。当時の柳町小学校においても、それまでの情緒障害と知的障害という学級の分け方にはせず、A教室は低学年、B教室は中学年、C教室は高学年の教室と、学齢で3つの教室に分けた。より個別ニーズに対応することを目的として、子どもたちは所属級をベースに、個別支援計画に基づいて個別授業の時間は特別支援の教室に移動するようにした。
参考: 特別支援学級の学級編成(秋山先生ご提供資料)
 次に、「教師に対して」。

子どもたちがやりたくなる授業を研究

 小学校教員は全科目指導が必要なので、いかに子どもたちにわかる授業が提供できるか、やる気の出る授業にできるかの研究を学校全体で話し合いながら進めていた。

特別支援学級の職員室を撤廃して職員室を一つに

 以前は、通常学級の職員室とは別に特別支援学級の職員室があり、電話も引かれて職員が交わることが少なかったため、全教職員が一つの方向に向かってまとまることを目的として、特別支援学級の職員室をなくし通常学級の職員室と同室とした。

職員室内の配置は学年ごとにまとめる

 職員室を同室にし、教師の机を学年ごとにまとめた。このことにより、通常学級と特別支援学級の担任同士ですぐに日常の細かい連絡事項や申し送り、情報の交換、意思伝達ができるようになった。

通常と特別支援学級の両方を経験する機会を持つ

 年度末ごとに学級担任を代えた。また、通常学級の担任に特別支援学級の担任を充てるなど校内人事異動も試みた。教師同士の相性、子どもとの相性がうまくいかない場合も、1年で交替することで循環し、問題が解消されることも多くなった。教師が学内のすべての子どもたちについて把握し、理解を深めることを目的として、特別支援学級の担任は他の担任のクラスの学級会などでチームティーチングとして授業の中に入って個別指導に当たることもした。それにより、教師が休んだ際の補教に誰もが入れるようになった。
 そして、「保護者に対して」。

保護者間の敷居を取り払う

 子どもたちの所属級と、職員室を一つにまとめたことと同様、保護者間の敷居を取り払い一つにまとめた。PTA会長や役員などの選出も通常学級と特別支援学級と分けずに、PTAとして話し合いをし決定するようにした。特別支援学級の保護者がPTA会長として学校の代表になることもあった。柳町小学校として、どの子にも障害のある・なしに関わらず支援をすることを保護者にはいつも伝えていた。柳町小学校の保護者は、通常学級の保護者が新しく作られた文京区の「文京区立学校 交流及び共同学習~共に育つためのガイドライン~」を見て、「既に柳町小学校では実践しているので必要ない」と言うほどに理解されるようになった。

特別支援教育の進め方を保護者に提示

 学校としてのインクルーシブ教育の取り組み姿勢を、保護者会などで積極的に発信し続けた。常に学校側から理解と協力を求め、常に話し合う姿勢を保つことで保護者の理解も増えていった。
最後に「行政に対して」。

インクルーシブ教育モデル校を引き受ける

 インクルーシブ教育のモデル校として手を挙げ、3年間、実践と発信を続けた。学校をあげてインクルーシブ教育の実践を本気で取り組む姿勢を内外に示すため、都内だけでなく他府県、海外からの見学も積極的に受け入れた。それが、文京区のインクルーシブ教育のガイドラインの策定につながった。
そして、教育活動も工夫したという。

一学期の中間報告を含め、通知表は年に5回出す

 中間報告としての評価を1学期の期末までに1回、2学期の期末までに1回を加え、年間で計5回の通知表を出した。学校が真剣に取り組んでいる姿勢を保護者に対して示し、理解してもらうことが目的。わずか1学期間で子どもたちが成長していく姿を可視化した。教師間の情報共有にもなり、また子どもや保護者の励みにもなった。

教育活動は縦割りですべて一緒に取り組む

 上級生のリーダーシップ精神も育てるために、6年生をリーダーとして、1年生~6年生をグループにする縦割りのグループ活動を積極的に行った。清掃はこの縦割りグループで全校一斉に実施。一緒に取り組む機会を増やすこと、全校児童同士が知り合い、理解を深めることが目的だ。

行事参加をスムーズにする準備の情報共有

 障害の軽重にかかわらずすべての子が、行事に参加できる工夫をした。社会科見学であれば、先にカラー写真を載せたパンフレットを渡し、当日現地で写真と同じものを見つけたら丸印をつける。それらを通常学級の発達障害の子も共有できるようにした。子どもが同じ行事に一緒に楽しく参加できることが目的。教師同士の工夫も促した。
 後編では、インクルーシブ教育の学校生活の1日の流れや、学校内のユニバーサルデザイン、子どもや教師、保護者たちの変化を紹介する。さらに、秋山先生の現在の取り組みについても伺う。
【企画制作】(株)エデュテイメントプラネット柳田 善弘、寺本 亜紀、水野 昌也、ライター 羽塚 順子
【取材協力】NPO法人特別支援教育研究会 未来教室 秋山明美先生