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福澤諭吉のあの本の名言、実はアメリカ独立宣言をマネていた?

福澤諭吉福澤諭吉

明治六大教育家の一人! 中津藩出身の藩士・福澤諭吉とは?

1万円札に描かれたあのご尊顔。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という格言からにじみ出る人柄。

福澤諭吉(ふくざわゆきち)は子どもの頃から優しく、器の広い人徳あふれる人物だったのでしょうか。

福澤諭吉は江戸時代に大阪で働いていた豊前国中津藩(ぶぜんのくになかつはん)の下級武士、福澤百助(ふくざわひゃくすけ)の子どもで、5人兄弟の末っ子です。父が早くに亡くなったため、母の福澤於順(ふくざわおじゅん)に連れられ一家全員で豊前国中津藩(大分県中津市)に戻りました。

福澤諭吉の少年時代はと言うと、神社の祠にあった御神体を道端の石と取り替えて、拝みに来る人を眺めていたり、お札を踏んでみたりとかなりの悪童ぶりでした。背丈も大きく、剣術(居合)を習っていたそうです。

偉大な教育者として知られる福澤諭吉のイメージとは、大きくかけ離れているように感じる方もいらっしゃるかもしれません。

さらに、勉学を始めたのも14、5歳頃とまわりよりも遅めで、「自分だけ読書をしないのは恰好悪いから」という理由だったと伝えられています。

そんな悪童だった福澤諭吉ですが、勉学に夢中になるとぐんぐん実力をつけていきました。19歳で長崎に行き、オランダ語で西洋の文化や学術を研究し、砲術を学んだそうです。

やがて日米修好通商条約の批准(ひじゅん、条約作成の最終手続き)に向かう使節団の護衛として咸臨丸(かんりんまる・江戸幕府が保有していた軍艦)でアメリカに渡ったり、文久遣欧使節(ぶんきゅうけんおうしせつ・江戸幕府が、新潟・兵庫と江戸・大阪の開港開市延期交渉と、ロシアとの樺太国境画定交渉のためヨーロッパに派遣した使節団)の翻訳方として渡欧に同行したりと世界を巡ります。

福澤諭吉は幕末の動乱の最中も学びの姿勢を貫き、『蘭学塾』(のちの慶應義塾大学)を開いて教育活動に専念しました。

年号が明治に変わり、新政府が成立しても官職(具体的な職務と責任をもっている地位)に就くことはなく、政治に一定の距離を保ちながら啓蒙活動を行い、後継者の育成に尽力します。そうした教育活動の功績から教育家の代表者として表彰され、明治六大教育家に数えられるようになりました。

福澤諭吉が記した『学問のすすめ』から学ぶ【教え】

福澤諭吉が『学問のすすめ』を出版したのは1872年(明治5年)。それまでの日本の封建制度と儒教的思想に対するアンチテーゼとして、欧米の政治思想に習い、日本も近代的な民主主義国家になるための意識改革の必要性を述べたものです。

「古い考えを捨てて、学によって身をたて、独立自尊の心がまえをもち国民全員でこの国を盛り上げていきましょう」ということですね。

また、本書中の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という冒頭の一節はあまりに有名ですが、この言葉、実はアメリカ独立宣言が元になっており、続きがあるのです。

それは、「人には生まれながらの身分の上下はないが、実際には身分の差が存在する。それは勉強をきちんとしたかしていないかの差だ」というもの。身分の差はそれまでの学問に対する姿勢の差であって、生まれながらのものではないと言っているのです。

江戸時代、身分は固定制で武士に生まれたら武士として、百姓に生まれたなら百姓として死ぬまでその身分で生きるというのが原則でした。幕末の時代はそれがひっくり返り、実力のある人たちが国を改革していったのですが、それでも主導したのはやはり武士の身分の人たちでした。

今の世の中は昔と違い、個人の努力が将来の生き方に反映されるようになっています。どんな人でも総理大臣になるチャンスは平等に与えられていますし、保護者がどんな仕事をしていても、お子さまの人生はお子さまの自由です。

しかし、自由だからこそ、お子さまの人生がどうなるかはお子さま自身の責任とも言えるのです。勉強をしなければ学が必要な職には就けませんし、努力をしなければ夢は叶いません。

ただし、小さい頃から全てお子さまに任せていては、お子さま自身もどうしていいかわからず悩んでしまうかもしれません。そのため、小さいうちは保護者のかたがある程度、導いてあげることも大切です。

子どもは成長すれば自然と自立していくもの。独立したときにお子さまが行き先に迷わないよう、自分で考え、自分で決めることの大切さを教えてあげてください。もちろん勉強は全ての基礎となる部分なので、学校での勉強にもしっかり取り組みましょう。

福澤諭吉の一生がわかる! 『福澤諭吉旧居・福澤記念館』に行ってみましょう

福澤諭吉が父・福澤百助の没後、母・福澤於順とともに移り住んだ中津藩内の旧家です。その横に併設されている記念館では、福澤諭吉の生涯やさまざまな側面についての資料が展示されており、福澤諭吉の人生や当時の暮らしぶりを感じることができます。近くの『中津公園』には福澤諭吉の人生訓である「独立自尊」という文字が刻まれた石碑が建てられています。

アクセスマップ

名 称:福澤諭吉旧居・福澤記念館
時 間:9時00分~17時00分(受付16時30分まで)
休 日:12月31日
料 金:高校生以上400円・中学生以下200円(20名以上団体割引あり)
中津城との共通券 高校生以上600円・中学生以下300円
住 所:大分県中津市留守居町586
電 話:0979-25-0063
※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
河合 敦(かわいあつし)
多摩大学客員教授。歴史研究家。1965年東京都生まれ。多数の歴史書を執筆するとともにテレビやラジオなどのメディア出演多数。
代表的な著書に『日本史は逆さから学べ!』(光文社知恵の森文庫)、『もうすぐ変わる日本史教科書』(KAWADA夢文庫)などがある。

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