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江戸幕府の基礎を確立し、逆境に立ち向かった徳川家光

徳川家光とは? 歴史と功績

徳川家光(とくがわいえみつ)は、江戸幕府第3代将軍として活躍した歴史上の人物です。ゲームや、テレビドラマでも多く取り上げられている徳川家光とは、いったいどのような人だったのでしょうか?

徳川家光は、徳川幕府第2代将軍の徳川秀忠(とくがわひでただ)と、徳川秀忠の正妻であった江(ごう)の次男として生まれました。江は、浅井長政(あさいながまさ)の娘で、織田信長(おだのぶなが)の姪でもあり、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の側室の淀殿(よどどの)の妹でもあります。また、父である徳川秀忠には、すでに長男の徳川長丸(とくがわちょうまる)が生まれていましたが、徳川家光が生まれた頃にはすでに亡くなっていたため、徳川家光は世継ぎとして育てられました。
1623年に父・徳川秀忠から将軍職を譲られ、江戸幕府第3代将軍となります。しかし、徳川秀忠は隠居後も大御所として実権を握ったため、1632年に徳川秀忠が亡くなるまで、幕政は父と子による二元政治でした。
父親が亡くなると、徳川家光は「私は生まれながらの将軍だ」と豪語し、外様大名(とざまだいみょう・徳川氏に従えていた諸大名)を中心に、少しの落ち度で次々と大名を改易(領地の没収)し権力を誇示しました。また、「老中」「若年寄」「大目付」といった役職を定めて、将軍を頂点とする幕藩体制を固めます。1635年には、『武家諸法度』(ぶけしょはっと・武家をまとめるための制度)を改訂して、大名への『参勤交代』(各藩主を定期的に江戸に出仕させる制度)を義務づけました。
また、キリシタン弾圧を強化します。1637年に起きた『島原の乱』が終わり秩序を回復すると、1639年に国内からポルトガル人を排除し、貿易と外交を朝鮮と琉球、長崎での中国・オランダのみに限定する、いわゆる『鎖国』の体制が築かれました。徳川家光は、このようにして、徳川家康(とくがわいえやす)、徳川秀忠の意志を受け継ぎ、幕政の基礎を築いていきました。

幕政の基礎を確立した徳川家光から学ぶ【教え】

徳川秀忠の長男・徳川長丸が死去していたため、世継ぎとして乳母の春日局(かすがのつぼね)に育てられた徳川家光でしたが、父や母に疎まれ、寂しい幼少期を過ごしました。父・徳川秀忠も母・江も、徳川家光の弟の徳川忠長(とくがわただなが)をことのほか可愛がっており、お世継ぎも徳川忠長に、と望んでいたようです。驚いた春日局は駿府(すんぷ・駿河国府中のこと)にいる徳川家康のもとに出向き、徳川家光を跡継ぎにしてくれるように頼みました。徳川家康は了解し、徳川家光が後継者に決まったとされます。徳川家光は、徳川家康に大変な恩義を感じ、尊敬の念を抱いていたと言います。

また、春日局は、徳川家光のお世継ぎに関しても尽力します。徳川家光は女性に興味を示さず男色(男性同性愛)にのめり込んでいたようで、30歳を過ぎても子がありませんでした。正妻・鷹司孝子(たかつかさたかこ)との夫婦関係も冷え切っており、世継ぎができぬことを案じた春日局は、大奥に『お万の方』(おまんのかた)という美しい少年のような尼を迎えます。徳川家光はこの女性を大変気に入り、寵愛しました。お万の方との間に子を儲けることはありませんでしたが、これ以降女性嫌いが直り、別の側室との間に無事、お世継ぎも生まれています。

もう一人、徳川家光を支えた人がいます。『独眼竜』(どくがんりゅう)の名で知られる伊達政宗(だてまさむね)です。徳川家光が、今後は諸大名を家臣として扱うという旨を宣言したとき、いち早く前に進み出た伊達政宗が「命に背く者あらば、この政宗めに討伐を仰せ付けくだされ」と徳川家光の後押しをしたという逸話が残されています。徳川家光も、偉大な祖父・徳川家康とも渡り合った伊達政宗のことを、『伊達の親父殿』と呼び、父のように慕い、尊敬していました。そのため、伊達政宗は格別の待遇を受けており、将軍の御前での『脇差帯刀』(わきざしたいとう・大小の刀を2本帯刀すること)を許されていました。しかしあるとき、将軍の側近が、泥酔して眠ってしまった伊達政宗の刀をこっそり確認すると、その刀は木刀であったそうです。
1636年、伊達政宗が死去すると徳川家光はその死を悲しみ、人々に江戸で7日、京都で3日の服喪(殺生や遊戯を禁止)を命じました。これは、徳川義直(とくがわよしなお)・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)・徳川頼房(とくがわよりふさ)の御三家以外では異例の命令でした。

徳川家光は、祖父の徳川家康、乳母の春日局、伊達政宗、そして、『六人衆』(若年寄の前進といわれる職)をはじめとした優秀な家臣たちに支えられていました。彼らの存在があったからこそ、江戸幕府の支配を確かなものとする幕藩体制の確立を成し遂げることができたのです。

私たちも、逆境に立たされたとしても一度冷静になり、周りを見渡してみることが大切なのかもしれません。苦しいときにこそ、手を差し伸べてくれる人は必ずいるでしょう。一人で頑張ることももちろん大切ですが、周りの人の知恵や力があるからこそ、乗り越えられる苦境もあります。そして、支えてくれる人たちへの感謝を忘れないようにしましょう。

徳川家光の墓『大猷院』へ行ってみましょう

『大猷院』(たいゆういん)は『日光山輪王寺』(にっこうさんりんのうじ)にある徳川家光の霊廟(れいびょう)で、世界遺産に登録されています。尊敬する祖父・徳川家康をしのいではならないという徳川家光の遺言により、『東照宮』(とうしょうぐう・徳川家康をまつった神社)に比べて華やかさが抑えられた造りとなっています。しかし、華美でない落ち着いた雰囲気がかえって重厚感を醸し出しているのです。『東照宮』とはまた違った趣を感じることができるので、ぜひ立ち寄ってみてください。

アクセスマップ

名 称:家光廟大猷院(いえみつびょうたいゆういん)
時 間:4月~10月は8時00分~17時00分、11月~3月は8時00分~16時00分(いずれも受付は閉門30分前)
休 日:なし
料 金:高校生以上550円・中学生以下250円(大猷院のみの単独拝観券)
住 所:栃木県日光市山内2300
電 話:0288-54-0531
※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
河合 敦(かわいあつし)
多摩大学客員教授。歴史研究家。1965年東京都生まれ。多数の歴史書を執筆するとともにテレビやラジオなどのメディア出演多数。
代表的な著書に『日本史は逆さから学べ!』(光文社知恵の森文庫)、『もうすぐ変わる日本史教科書』(KAWADA夢文庫)などがある。

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