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『大化の改新』が起こった理由は? 今は「645年」とは習わない!?

『大化の改新』とは?何時代?主要人物と逸話を紹介!

645年に起こった政変。それが『大化の改新』のきっかけとなるのです。小学生時代に『大化の改新』を「645年」と習っていた保護者が多いと思いますが、現在はその習い方が変わっています。

実は、「645年」は『乙巳の変』(いつしのへん)という反乱が起きた年になります。そしてそれ以降に始まる数年間に及ぶ一連の政治改革を『大化の改新』というのです。

それでは『乙巳の変』とそこから始まる『大化の改新』について、ご紹介していきましょう。

厩戸王(うまやどのおう・聖徳太子)の死後、豪族・蘇我氏の権力が天皇家を上回るほどに強くなっていました。蘇我蝦夷(そがのえみし)は大臣として権力をふるい、皇極天皇(こうぎょくてんのう)の時になると、曽我氏は聖徳太子の息子である山背大兄皇子(やましろのおおえのおうじ)を攻め滅ぼし、蘇我蝦夷の息子・蘇我入鹿(そがのいるか)が実権を握りました。

そんな蘇我氏の天下をこころよく思わなかった人たちがいました。唐(昔の中国の王朝)から帰国した留学生や学問僧、また彼らから最新の政治技術を学んだ者たちが、国家体制を整備し、その中に諸豪族を編成することによって、官僚的な中央集権国家を建設し、権力集中をはかろうとする動きが起こりました。その代表的な人物が、後の天智天皇(てんちてんのう)となる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と、後の藤原鎌足(ふじわらのかまたり)こと中臣鎌足(なかとみのかまたり)です。彼らが中心となり、645年、蘇我入鹿を謀殺し、蘇我蝦夷は自殺に追い込まれました。

その後、中大兄皇子は軽皇子(かるのみこ・孝徳天皇(こうとくてんのう))を即位させて自らは実権を握り、人事を刷新。翌年、孝徳天皇は満を持して『改新の詔』を発令したといわれています。ただ、これは日本書紀に記されたことであり、この詔の信憑性に関しては、現在もさまざまな議論が起こっています。ここからが本格的な律令国家の基礎となる古代政治史上の一大改革の始まりです。

さて、『改新の詔』に記された内容は次の4つです。

●第一条「公地公民制」
それまで土地や人民は、王族・豪族がそれぞれ支配していましたが、この「公地公民制」は「これからは豪族が所有していた土地や人民も国(天皇)が支配します、所有することを禁止します」というものでした。

●第二条「国郡制度」
続いての「国郡制度」は「全国を国(60以上)に・国をいくつかの郡に分ける」というもの。今の日本が47の都道府県に分かれているようなものです。地方行政組織を定め、中央の朝廷からは国司が派遣され、政治をとることを定めたものでした。

●第三条「班田収授法」(はんでんしゅうじゅのほう)
「班田収授法」には、まず「6年に一度、みんなの戸籍をつくる」という前提があります。そのうえで「戸籍に従って土地(公地)をみんな(公民)に分け与える。そして亡くなったら国に返してもらいます」という内容が示されています。

●第四条「租調庸の税制」(そようちょうのぜいせい)
そして、「租調庸の税制」とは「みんな(公民)に税を負担してもらいます」というものなので、いわゆる統一的税制のことです。

国も人も改革は一日にして成らず 『大化の改新』から学ぶ【教え】

『大化の改新』とはそもそも、中大兄皇子と中臣鎌足らが唐から帰国した留学生とともに、唐の律令制を参考にして天皇中心の「中央集権国家建設」を目指したのがきっかけでした。

とはいえ、「改新の詔」に記された内容がきちんと達成されるまで実は50年以上の歳月を費やすことになるのです。

701年の大宝律令(たいほうりつりょう)の制定で、ようやくその目標としていた政治制度がほぼ確立されるのでした。

「ローマは一日にして成らず」ということわざがありますが、「『大化の改新』は一日にして成らず」ともいえそうですね。世の中の仕組みを大きく変えるほどの大改革は、すぐに成し遂げられるものではないということでしょう。

もしかしたら、それはひとりの人間にもいえることかもしれません。

「自分を変えたい」、「今よりもっとできる人間になりたい」、「何か大きなことを成し遂げたい」と思っても、次の日にすぐ変わることは難しいものです。

『大化の改新』からは、本当になりたい自分像があるのならば、何か月、何年かかろうとも根気よく努力し続けることが大事だということを学べるのではないでしょうか。

藤原鎌足をまつった『談山神社』に行ってみましょう

藤原鎌足が祭神である『談山神社』(たんざんじんじゃ)は、藤原鎌足の死後、「父の冥福を祈ろう」と彼の息子たちが678年に建立したのが、『談山神社』のシンボルとなっている『十三重塔』(じゅうさんじゅうのとう)でした。現存している塔は1532年に再建されたもので、世界唯一の木造十三重塔なのです。

アクセスマップ

名 称:談山神社
時 間:8時30分~17時00分(受付は16時30分まで)
休 日:無休
料 金:大人600円・小学生300円・小学生未満無料
住 所:奈良県桜井市多武峰319
電 話:0744-49-0001
※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
河合 敦(かわいあつし)
多摩大学客員教授。歴史研究家。1965年東京都生まれ。多数の歴史書を執筆するとともにテレビやラジオなどのメディア出演多数。
代表的な著書に『日本史は逆さから学べ!』(光文社知恵の森文庫)、『もうすぐ変わる日本史教科書』(KAWADA夢文庫)などがある。