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西郷隆盛は超がつくほど愛犬家? 人々に愛された西郷隆盛の素顔に迫る

西郷隆盛西郷隆盛

『上野恩賜公園』にある銅像の顔は似ていない? 西南戦争を起こした西郷隆盛とは?

西郷隆盛(さいごうたかもり)と聞いて、どんな姿を想像しますか?

おそらく、多くの人は体格がよく、意思が強い性格の人物をイメージするでしょう。『上野恩賜公園』(うえのおんしこうえん)の犬を連れた西郷隆盛像や歴史の教科書に載っている肖像画のあの人です。

しかし、上野の銅像の顔は実際の西郷隆盛とはあまり似ていないようです。何と西郷隆盛の妻である西郷糸子(さいごういとこ)によれば除幕式のとき「夫はこんな人ではない」と言ったそうです。

西郷隆盛は江戸時代の幕末から明治時代初期にかけて活躍した薩摩藩(現在の鹿児島全域と宮崎県の南西部を領有した藩)の武士です。藩主の島津斉彬(しまづなりあきら)の抜擢をうけ、側近として『尊王攘夷運動』で活躍しますが、後に二度島流しに遭ってしまいます。1864年に復帰し、『禁門の変』では長州軍を退ける働きをしました。1866年、朝廷を中心とした雄藩連合政権の必要性を認識し、宿敵であった長州藩と、坂本龍馬(竜馬・さかもとりょうま)の仲介を得て同盟を結びました。これを薩長同盟と言います。その後、新政府側の参謀(作戦・用兵などの計画や指示を受け持つ)として大軍を率いて江戸へ向かいますが、徳川家の責任者となった・勝海舟(かつかいしゅう)の依願により『江戸城』総攻撃の中止を決断、平和的に無血開城させました。

戊辰戦争終結後、西郷隆盛は鹿児島に戻って藩政改革に力を尽くしますが、新政府の木戸孝允(きどたかよし)や大久保利通(おおくぼとしみち)らは政権を安定させるため、西郷隆盛に上京を求めました。西郷隆盛は政府の改革を一任されるという条件で東京に戻りました。木戸允孝と大久保利通は、新政府の中央集権化をはかるため廃藩置県を画策、その実現のためには強大な軍事力を持つ西郷隆盛の協力が必要でした。薩摩藩を愛していた西郷隆盛の説得は難しいと思われました。西郷隆盛はあっさり協力を約束します。これにより1871年7月、廃藩置県が断行され、その年の年末には3府72県になりました。

明治政府内では要職である参議や陸軍大将を務め、明治維新で大きな活躍をしたので、大久保利通、木戸孝允と並び維新の三傑(いしんのさんけつ・倒幕と維新に尽力した3人を指す言葉)と称されます。

しかし、1873年、国交が緊張状態にあった朝鮮への派兵をめぐって大久保利通らと意見が衝突しました。自らが大使となって朝鮮へ赴こうとしていた西郷隆盛は政争で敗れ、政府をやめ鹿児島へと戻るのでした。

その後、西南戦争が起こると士族(武士の家柄)側の指導者となり、明治政府に反旗をひるがえします。しかし、巨大な兵量と物量の差を前に戦は敗北に終わり、敵から身を守るためにたてこもっていた城山にて自害し、人生に幕を下ろしました。

――というのが西郷隆盛の略歴です。元は下級武士の出でしたが、才覚が認められて出世した人物です。

最終的には政府に刃向かってしまったのですが、『上野恩賜公園』の銅像は、全国の人々からの寄付によって建てられたものです。西郷隆盛はとても他人に好かれた人格者だったと言えるのではないでしょうか。

ちなみに銅像が犬を連れているのは、西郷隆盛が生涯に20匹もの犬を飼っていたほどの愛犬家だったからです。

西郷隆盛の名言『敬天愛人』とは? 西郷隆盛から学ぶ【教え】

西郷隆盛が好んでよく使っていた言葉に『敬天愛人』(けいてんあいじん)という言葉があります。

これは「人にはそれぞれ天命があり、それに従って生きている。天は私たち一人ひとりを平等に愛してくれているのだから、私も天のように分け隔てなく人々を愛そう」という意味が込められています。

反逆者となりながらも民から愛され、『上野恩賜公園』に銅像まで建てられたのは西郷隆盛が一人ひとりに対して慈愛をもって接していたという証です。国を想い、民を愛した西郷隆盛は私たちに人を思いやることの大切さを教えてくれているのではないでしょうか。

また、西郷隆盛をはじめとしたこの時代の志士(命を投げ出して国家・民族のために尽くそうという志をもつ人)たちの多くは、天から与えられた役目を全うすることこそ人生だと考えていました。使命に燃え、命をかけて戦った維新の志士たちは今、日々を何気なく過ごす人が多い現代人を見て何を思うのでしょうか。

『上野恩賜公園』の犬を引き連れた西郷隆盛像を見に行ってみましょう

桜の名所として毎年桜のシーズンになると全国から多くの花見客が訪れる『上野恩賜公園』は、『東京国立博物館』や『国立西洋美術館』、『国立科学博物館』など多くの文化施設が隣接する東京都を代表する観光スポットです。西郷隆盛の像は上野駅広小路口を出てすぐのところにあります。

アクセスマップ

名 称:上野恩賜公園
時 間:5時00分~23時00分
休 日:無休
料 金:無料(一部有料施設あり)
住 所:東京都台東区上野公園・池之端3丁目
電 話:03-3828-5644
※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
河合 敦(かわいあつし)
多摩大学客員教授。歴史研究家。1965年東京都生まれ。多数の歴史書を執筆するとともにテレビやラジオなどのメディア出演多数。
代表的な著書に『日本史は逆さから学べ!』(光文社知恵の森文庫)、『もうすぐ変わる日本史教科書』(KAWADA夢文庫)などがある。

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