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邪馬台国の女王「卑弥呼」について。「魏志倭人伝」についてもあわせてご紹介

ミステリアスな女性、邪馬台国の女王卑弥呼について

王様というと男性を思い浮かべる人も多いでしょう。しかし歴史上、女性の王・女王はたくさんいました。今でも世界には女性が治める国があります。

実は日本でも女性が国を治めていた時代があります。聖徳太子(しょうとくたいし/厩戸王・うまやどのおう)の時代には、女性が天皇になり、男性(聖徳太子)がそれを補佐していましたし、源頼朝(みなもとのよりとも)の死後、鎌倉幕府を実質動かしていたのは、頼朝の妻だった北条政子(ほうじょうまさこ)でした。このように、日本の歴史の中にもたびたび権力を持った女性が出てきます。

そんな日本の歴史の中で、最も古い女王とされているのが、邪馬台国(やまたいこく)の卑弥呼(ひみこ)です。

卑弥呼は今から約1800年前の弥生時代に活躍した、日本の女王です。邪馬台国で、鬼道(きどう)と呼ばれるまじないを使って、政治を行っていたといわれています。

卑弥呼が女王になる前、日本は男性の王が治めていました。しかし、その後長い間内乱が続き、その結果、王にまつりあげられたのが卑弥呼です。

卑弥呼といえば有名なものが「親魏倭王」(しんぎわおう)の称号と金印です。当時の中国では魏・呉・蜀(ぎ・ご・しょく)の三国に分かれて中国の覇権を争っている最中でした。有名な『三国志』の時代です。

卑弥呼は三国の中で最も大きな勢力を持っていた魏に使者を送り「親魏倭王」の称号と金印を与えられます。つまり「魏が認めた倭(日本)の王」ということです。

卑弥呼はあまり人前に出ることがなく、弟が政治を補佐していたといわれています。結婚はしておらず、食事を運ぶ男が1人、仕えていたとされます。

卑弥呼が亡くなると、大きな墓が作られました。その後は男性の王が即位し、また争いが起こりましたが、卑弥呼の一族の娘を王にすることで落ち着きました。

卑弥呼のことが書いてあるのは「魏志倭人伝」のみ?

実は卑弥呼は日本の歴史書には一切書かれていません。卑弥呼のことが書かれているのは、中国の歴史書『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)だけです。

正確に言うと『魏志倭人伝』という歴史書はありません。『魏志倭人伝』とは、ある歴史書の一部のことです。
そしてその歴史書が『三国志』です。日本ではこれをアレンジして面白い小説にした『三国志演義』がよく知られています。

歴史書の『三国志』は国ごとにまとめられており、魏の国を書いたものが『魏書』、呉のことを書いたものが『呉書』、蜀のことを書いたものが『蜀書』と呼ばれています。卑弥呼が登場するのは、この中の『魏志倭人伝』で、倭人(わじん・日本人)のことを書いた部分です。

卑弥呼が魏に使者を送り「親魏倭王」の称号と金印を賜ったことや、邪馬台国という国に都をおいて政治をしていたことなどは、この『魏志倭人伝』の倭人の条の中に書かれています。

人は日本の歴史について調べるとき「日本のことはやはり日本の文献で」と、思い込んでしまいがちです。しかし日本の書物に一切書かれていない卑弥呼のことが、隣国の中国の書物で詳細に書かれているのです。

もし日本の書物や史料ばかり調べていたら、卑弥呼の存在は誰も知らないままだった可能性すらあります。
そのことを考えると、内側だけではなく、ときには外側からの目線で見ること、また、視点を広げることも大切だといえるでしょう。

あっと驚く発見をする人は、いつでも「違う視点」から物事を見ているものです。広い視点を持つようになれれば、いつか世の中を驚かせるような発見につながるかもしれません。

ここが邪馬台国? 『吉野ヶ里遺跡』へ行ってみましょう!

実は「ここが邪馬台国」といえる場所は、どこかわかっていません。『魏志倭人伝』の中には邪馬台国までの距離と方角と日数がきちんと書かれているのですが、それをたどっていくと、日本列島を飛び越えてしまいます。このため「九州にあったのではないか?」「畿内(きない・近畿地方)にあったのではないか?」とさまざまな議論を呼んでいるのです。

ただ『魏志倭人伝』には「宮室、城柵、樓觀(きゅうしつ、じょうさく、ろうかん)があった」という記載があり、これが揃っているのは現在佐賀県の『吉野ヶ里遺跡』(よしのがいせき)だけなので、邪馬台国が九州地方にあったという説の根拠の一つになっています。

『吉野ヶ里遺跡』がある佐賀県吉野ヶ里町は、豊富な自然と歴史に育まれたところです。弥生時代の代表的な遺跡である『吉野ヶ里遺跡』はもちろん、日本のお茶栽培発祥の地として約800年前の茶畑が残されています。

自然も豊富で、緑豊かな遊歩道や清流などはハイキングにぴったりです。広大な自然の中で癒されながら、卑弥呼の足跡をたどってみてはいかがでしょうか。

アクセスマップ

名称:吉野ヶ里歴史公園
時間:4月~5月・9月~3月…9:00~17:00
6月~8月…9:00~18:00
休日:12月31日、1月の第3月曜日とその翌日
料金:大人(15歳以上)420円、小人(小・中学生)80円、
シルバー(65歳以上)200円、幼児(6歳未満)無料
住所:佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
電話:0952-55-9333
※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
河合 敦(かわいあつし)
多摩大学客員教授。歴史研究家。1965年東京都生まれ。多数の歴史書を執筆するとともにテレビやラジオなどのメディア出演多数。
代表的な著書に『日本史は逆さから学べ!』(光文社知恵の森文庫)、『もうすぐ変わる日本史教科書』(KAWADA夢文庫)などがある。

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