2015/02/05

「貧困が引き起こす子どもの就学・進学問題」フォーラム 立教大学 湯澤直美教授編【前編】

 本テーマ4回目のフォーラム「立教大学 湯澤直美教授編【前編】」では、貧困問題の可視化や日本人の貧困観、貧困解消に欠かせない所得再配分政策の現状と課題、また「子どもの貧困」という言葉が持つ二面性について、お伝えします。

「子どもの貧困」をみんなが認識できる社会問題に

 湯澤直美先生は、大学に勤務する以前は児童養護施設・母子生活支援施設に勤務していた。こうした経緯から、ジェンダーや社会福祉という分野で研究を始めたが、近年はこれらの分野と密接に関係のある「貧困」という社会問題に取り組んでいる。
 貧困問題に取り組む人の間では、2008年は「子どもの貧困元年」と位置付けられている。貧困世帯で育つ子どもたちはそれ以前にも存在していたが、国内では一部の関係者以外にはほとんど認識されておらず、2008年になってようやく「子どもの貧困」という言葉でこの社会問題が可視化されたからだ。
 国が「相対的貧困率」や「子どもの貧困率」といった数値を公表する前の2008年3月、湯澤先生は他2名の編者の方々と共に『子ども貧困—子ども時代のしあわせ平等のために』という本をまとめた。この本を世の中に送り出した目的のひとつは、「子どもの貧困」という言葉を表に出してこの社会問題を可視化することだったと湯澤先生は話す。

分野を超えたネットワークが鍵

 もうひとつの重要な活動も、この頃始まった。先の本を出版するタイミングで、子どもの貧困対策について話すための分科会を開催したところ、教育関係者や福祉施設職員、弁護士、一般市民など、さまざまな立場から多くの人の参加があったという。この分科会が開かれた際の気づきを、湯澤先生はこう話す。
立教大学 湯澤直美先生
 「分科会に参加されたみなさんは各々の現場で多くの経験をしているにもかかわらず、それらの経験を共有できるような『横』のつながりがなかったんです。みんなで話をしてみると、貧困は領域を問わず横断的に広がっている問題だということが改めてわかり、これを解決していくには、この問題に携わっている人同士がつながっていかなければいけないと感じました。」
 こうしてネットワークの必要性を感じた頃に、子どもの無保険問題や就学援助の自治体間格差の問題が取り上げられるようになり、ネットワークづくりへの思いは強くなっていった。
 そして2010年4月、共同代表の一人として設立したのが「なくそう! 子どもの貧困」全国ネットワークだ。このネットワークでは、シンポジウムや研究会での学び合いや政策提言、各種調査による「問題の見える化」、メーリングリストによる情報の共有等を行っている。分野を超えて関係者が集える場ができたことで、新たな動きも見られるという。
 「最近の事例でいえば、夜間中学校の先生たちがこのネットワークに参加してくれました。ネットワークが広がったことで、夜間中学に携わる人だけが夜間中学のことを考えるのではなく、直接つながりのなかった人たちがみんなで夜間中学の課題について考える動きが出てきています。お医者さんが子どもの貧困問題について考えるシンポジウムを開き、医療の分野からの取り組みを進めている事例もあります。」

改善したい情報流通と待遇

 一方で、こうしたネットワークを作っただけでは解決できないこともある。たとえば、「なくそう! 子どもの貧困」全国ネットワークの参加対象は主にこの問題の解決に従事する人たちであるが、貧困の当事者から相談が持ち込まれることがあるという。これは、貧困に陥ったときに当事者がどこに相談すればいいのかわからない現状の表れだと湯澤先生は話す。
 「『生活保護を受けたいわけではない。でもお金には困っている。こんなとき、どこに相談にいけばいいの?』と言われることがあります。」こうした声に応えられるよう、情報提供のためのWebページも作り始めているが、当事者と支援策をつなぐ機能はいまだ不十分だ。
 ネットワークを通して情報交換を重ねるなかで、それぞれの分野での働き手の待遇改善も大きな課題だということを実感している。婦人相談員、母子自立支援員等の給料は決して高くはない場合が多く、非常勤での雇用も多い。長年従事しても給料が上がらず、仕事の内容に対して報酬が見合っていないと考える人も少なくない。この問題に携わる人たちの待遇をどう改善していくかも、大きな課題となっている。

所得再分配では改善しきれない貧困率

 ネットワークに多分野の人が参加していることから見てもわかるように、子どもの貧困への関わり方は人それぞれだが、現場を知る関係者ほど、政策の不備に気づく機会が増える。 国の貧困対策を評価する際のひとつの方法として、所得再分配前後の貧困率の変化を見る方法がある。所得再分配とは、政府が税金や社会保険料のようなかたちで国民からお金を集め、集めたお金をさまざまなかたちで国民に再分配していくことをいう。
 所得が再分配される前とされた後の貧困率がどう変化しているかは、貧困に関連する政策の有効性を計るひとつの指標となる。「再分配」されるものには、子どものいる世帯の場合には児童手当や児童扶養手当等の貧困解消には欠かせない現金支給も含まれており、再分配がうまく機能していれば、再分配後の貧困率は低下するからだ。
 2008年に『子どもの貧困(阿部彩著)』という書籍が出版された際、この本の中で著者が「(調査した)18か国中、日本は唯一、再分配後所得の貧困率のほうが、再分配前所得の貧困率より高い(※)」という逆転現象を指摘し、多くの人を驚かせた。同著者によると、2010年の貧困率ではようやくこの逆転現象が解消されたそうだが、解消の幅は小さく、日本の政策は貧困削減効果が非常に小さいことを指摘する専門家は多い。湯澤先生もその一人で、「日本では政策が貧困を作ってしまっているのが現状です」と話す。
所得再分配前後の子どもの貧困率の変化
出典:『子どもの貧困Ⅱ(阿部彩著)』P.153より 厚生労働省「国民生活基礎調査」2007年、2010年から推計。所得は調査前年(2006年、2009年)のもの/出所:内閣府(2011)
※阿部彩著『子どもの貧困 日本の不公平を考える』P.96より。2000年時点の子どもの貧困率についての言及で、データの出所はOECD。

「子どもの貧困」という言葉の二面性

 昨今は「子どもの貧困」という言葉がメディアで取り上げられることも多く、人々の関心も高まっているが、「子どもの貧困」という言葉には2つの側面があると湯澤先生は話す。「プラスの側面としては、貧困に『子ども』という言葉がつくことで、貧困という言葉で一括りに捉えることのできない子ども期の特性をふまえ、どう対応していくかを考えなければいけないという認識が生まれました。これはとても重要な変化です。」
 その一方、マイナスとなり得る面もあるという。「『子どもの貧困』という言葉によって、貧困が輪切りにされてしまう懸念もあります。子ども、女性、若者、高齢者、障がい者等にそれぞれの貧困がある、という認識を持たれている方もいますが、貧困はそのように輪切りにできるものではありません。」
 2013年に衆議院・参議院ともに全会一致で可決され、翌年1月に施行された「子どもの貧困対策の推進に関する法律」は、「貧困」という言葉が初めて付された法律として、非常に画期的かつ意義のあるものだと評価する人は多い。一方で、「子ども」の貧困解消にだけ力を注いでも貧困問題は解決されにくいため、この法律だけでは不十分だという意見もある。

もはや「一億総中流」ではない日本

 貧困対策を充実させていくには、多くの人に現状を知ってもらい、対策の必要性に納得感を持ってもらうことが必要不可欠だ。けれどこうした意識の面でも、日本は危うい状況にあると湯澤先生は話す。
生活の程度(一部抜粋) (中の上・中・下のみ値を表示)
出典:内閣府大臣官房政府広報室「国民生活に関する世論調査」(2014年)
※5年ごとの値を表示。2000年は該当する調査結果がないため、代わりに2001年の結果を表示。
 1956年の経済白書に「もはや戦後ではない」と記述され、その後日本経済は驚くべきスピードで発展を遂げてきた。1970年代に入ると、「国民生活に関する世論調査」で自分の生活を「中の中」と回答する人が最も多く、かつこの頃日本の人口が1億人を突破したこともあって「一億総中流」ともいわれる時代になった。
 そして多くの日本人はこの意識をつい最近まで持ち続けてきたが、実際にはこの「一億総中流」は崩れつつある。「平成25年国民生活基礎調査の概況(厚生労働省)」では相対性貧困率が16.1%、子どもの貧困率はそれより悪い16.3%で、子どもの約6人に1人が貧困というのが、今の日本の現状だ。

ゆらぐ日本の貧困観

 一世帯当たりの平均所得金額が減少している一方で、貧困率は上昇傾向にある日本。この状況下では、本来なら「貧困」に対する世間の認識が高まっていってもおかしくないはずだが、湯澤先生はそれを否定するようなある調査結果を共有してくれた。
 この調査によると、生活保護を受給して生活している人のことを「貧困にある」と考えている人は公務員で約3割、民間企業に勤める人だと3割を切っている。「ホームレスで路上生活をしている人は貧困だと答えた人が公務員で約5割、民間企業に勤める人では5割を切っています。住む家がなく、路上で生活せざるを得ない人が貧困でないとしたら、貧困とはどのような状態を指すのでしょうか…。多くの人がこうした『貧困観』を持っている現実を認識し、なぜこのような結果になってしまうのかということを常に考えながら、貧困対策を考えていかなければいけません。」
あなたは、もしも人々が以下のような状況にある場合、それを「貧困にある人々」と考えますか(一部抜粋)
出典:現代日本の「貧困観」に関するアンケート結果報告(2) 青木紀(2007年)より一部抜粋
 貧困の定義は多様だが、世界的に見ると、貧困には「絶対的貧困」と「相対的貧困」という大きく2つの定義がある。「絶対的貧困」とは必要最低限の生活が満たされていない状態で、主に開発途上国で食料や飲料水、住居、教育、医療、仕事等が圧倒的に不足している状況を意味する。一方、日本を含む先進国における貧困は多くの場合が「相対的貧困」だ。「相対的貧困」の状態にある人とは、その人が属する地域社会の大多数よりも貧しい状態で生活している人を指す。
 日本のように毎日の生活を支障なく送ることのできる人が多い国では、「相対的貧困」の人、すなわち日々の生活はなんとか送っているが相対的にみて明らかに貧困状態に陥っている人は貧困とみなされるべきだ。しかし近年は、「少なくても賃金を得ているのだから」「なんとか生活できているのだから」「餓死するレベルではないのだから」という感覚で、相対的な貧困状態の人を貧困とみなさない風潮がある。そして、その人が貧困であるという認識がなされなければ、支援の対象ともなり得ない。
【企画・取材協力、執筆】(株)エデュテイメントプラネット 山藤諭子、柳田善弘
【取材協力】特定非営利活動法人 国際協力NGOセンター(JANIC)、立教大学 湯澤直美教授