2015/04/27

幼稚園でのICT活用は学びの効率化よりも動機付け 学校法人信学会

子どもたちの学びのあり方は多種多様であり、魅力的な理念やカリキュラムも多くあります。しかし、さまざまな制約からそのすべてを体験すること、そして選ぶことは難しいものです。
そこで本コーナーでは、それらの学びの現場における意図や問題意識に触れることで、私たち大人が子どもたちにどのような学びや、学ぶ環境を提供できるのかを考えていきます。
政府は21世紀にふさわしい学校教育の実現として、2020年までに、児童生徒一人に一台の情報端末を配備する計画を打ち出している。先行して東京都荒川区や佐賀県武雄市等の自治体では既に全小中学校でのタブレットの導入を進めている。その一方、就学前教育におけるICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)活用は発達段階の観点から子どもに良い影響を与えないのではという意見も根強く残っており、世界的にみても幼稚園での情報端末を用いた授業は少ない。
多種多様な意見があるなか、幼稚園でタブレットを使った授業を実践している長野県長野市にある裾花幼稚園とその運営法人である学校法人信学会(事務局:長野市南県町 理事長:市川雅朗)を訪ねた。

環境変化から次の「当たり前」を先取り、実践

裾花幼稚園の大井恵里子園長
JR長野駅から南西に約2km、安茂里駅近くにある裾花幼稚園のICT授業を見学し、信学会のICT教育推進を担当する次世代教育開発部の栗林聖樹部長、裾花幼稚園の大井恵里子園長にお話を伺った。
大井園長は「この辺りは住宅街ですが、自然環境には恵まれており、子どもたちは園庭のクルミやザクロの木から実をとったり、縄跳びをしたり、泥だんごを作ったりと、それは元気に遊んでいます」と、園や園児たちの様子を紹介する。この日の天気は園庭も真っ白になるほどの雪だったが、年中の園児たちは近くの飯縄山へ元気にソリ滑りに出かけたという。園の外では教職員が雪かきに追われていた。
長野県内21カ所で保育園と幼稚園を経営する信学会は、1953年より、幼児教育関連のほか、小中高校生を対象とする学習指導の塾、大学受験予備校、私立中学と高等学校、社会人向けカルチャースクールまで手がける全国でも有数の総合教育機関である。職員は800名、在籍する幼児・生徒・学生数は合わせて1万6,000名を超える。
取材当日は大雪で園児も大喜び
信学会は昭和40年代に、当時の幼稚園においては珍しく、ボンネットバスで園児の送迎を開始している。地域住民から「歩く力のない子になるのでは」との批判もあがったが、高度経済成長期にあって車が激増していた登園環境の変化に配慮して、「子どもたちを交通事故に遭わせてはいけない」との思いから始めた取り組みだった。
また、昭和50年代には「これから国際化社会を生きる子どもたちは英語に触れる機会が多くなる」と判断し、いち早く英語教育を取り入れている。

100年以上もほとんど変わらない教室

信学会のICT教育推進を担当する
次世代教育開発部の栗林聖樹部長
これまでも前例にとらわれず、常に時代の変化を意識した対応をしてきた同グループが今回取り組んだのが、すべての年長児がタブレットを使って授業を進めるICT教育プロジェクトである。
2012年4月からスタートしたプロジェクトを推進してきた栗林さんは、取り組みの動機についてこう語る。
「これからは学校の教科書もデジタル化が進んでいくだろうという時代、子どもたちはデジタル機器の使用を避けて通れません。ならば将来を見据えて積極的に取り組もうというのが最初の動機でした。大人社会を見ても働き方そのものが大きく変化しています。かつて仕事をするには専門的な知識や技術が必要でしたが、SNS等でその知識や技術を持つ人とつながれば仕事ができる時代です。
一方で学校環境は、黒板が画期的だった明治時代以降、一部に電子黒板が導入されたくらいで100年以上もの間ほとんど変わっていません。」
日進月歩で進化する実社会の変化に現在の教育現場が対応できていないのであれば、自分たちで牽引していくしかないという考えだった。
東日本大震災発生後から続けてきた支援活動も、ICT教育のメリットを見直すきっかけとなった。信学会では、宮城県石巻市で被災して仮設住宅に住む中学生に対し、地元教育委員会と教育系ソリューション開発を行うキャスタリア株式会社、通信キャリアのKDDI株式会社と連携して模擬テスト、タブレットを使った受験対策講座の遠隔授業などを無償サポートする「石巻プロジェクト」を実施している。プロジェクトを通して幼児教育だけでなく幅広い年齢や教育環境にICTの切り口で入り込んできた栗林さんは、ICTが教育にもたらす可能性を肌で感じてきた。

園内の業務効率化で"園児のために時間をつくる"

園児の出欠や当日の様子を簡単な操作で報告・共有
キャスタリア株式会社と提携し、幼稚園へのICT導入による先生たちの「業務効率化」を一つの柱としてプロジェクトを開始した。まずは先生自身のデジタルリテラシー向上が不可欠であり、業務効率化を先生が体感することでICT導入への理解が得られると判断したからだ。
そしてもう一つの柱として、幼児教育の活動においての「ICT教材活用」も同時に進められた。
2012年秋から、同グループの佐久幼稚園で先生を対象とした研修を実施し、園児の状況管理のICT化と一元化をはかった。それまで園内では、園児の当日の出欠情報に加え、旅行等で数日間お休みしている場合の情報は担任のみが把握しており、メモや口伝えでの情報伝達だったために伝達ミスもあった。これらを一元管理してミスを減らすと、同時に先生たちの負担も軽減していった。
バス乗車時にも共有された出欠データを活用
また、園バスのロケーションシステム導入も行った。天候や交通状況によって送迎バスの遅れがあるたび、保護者から問い合わせの電話が入っていたが、園バスの走行状況を保護者がスマートフォンで閲覧できるようにしたことで問い合わせは激減し、関連稼働の削減としては最も大きな成果となった。翌2013年には、児童の出欠管理とバス乗車名簿を連動させ、バスへの園児乗せ忘れミスの防止につなげた。
先生の意識改革の重要性について、栗林さんは「幼稚園の先生方はとてもまじめで、子どもたちのために一生懸命ゆえにどんどん業務を増やしてしまいます。『ICTに頼るのは手抜きになるのでは』という懸念を、『園児のための時間ができる』という意識に切り替えてもらうため、マネジメント側も本気度を示して取り組んだのです」と話す。

100以上のアプリから、ひらがなのアプリを選出

事前に放課後の実験授業(出席任意)を通して
授業のテーマや手法の検討を重ねた
これと平行して、園児へのタブレット実験授業が2012年秋からスタート。年長児を対象に保護者説明会を経て、放課後に1回40分、毎回異なるアプリを使いながら取り組んだ。
プロジェクトメンバーは、事前に100以上のアプリを選出し検討した。創造力を伸ばす絵本づくりや集中力を養うアプリ等多くの魅力的なアプリがあるなかで、どのアプリが子どもたちに最適なのかの確信が得られないまま、選択には試行錯誤を繰り返したという。最終的に、先生から「ひらがなを正しい書き順で書けているか全園児のチェックは困難、ひらがなのアプリがいいのでは」という意見を取り入れ、実践に即した検証を経て、2013年1学期に同グループの長野幼稚園で4回を1セットとするひらがな練習のカリキュラムをテスト実施した。
2学期から正式導入。ノウハウの蓄積のために専任の先生を募集する際には、ICTスキルよりも子どもとの関わりを重視して幼稚園教諭経験者を採用した。
この日見学したタブレット授業は、全4回のカリキュラムの最終回だった。1回目は「タブレットに触ってみよう!&数を数えてみよう!」、2回目は「数字を書いてみよう!」、3回目は「文字を選んで言葉を作ってあそぼう!」としてすでに終了しており、4回目となるこの日は、「ひらがなを書いてみる」という時間だった。

消しゴムアニメーションの動き1つにも歓声

タブレットを落とさないよう、
大事に両手で運ぶ園児たち
30台のタブレットを入れた大きなかごを運びながら専任の櫛引幹子(くしびきまさこ)先生が教室に入ると、楽しみに待っていた子どもたちから歓声が上がる。直感的で楽しそうな操作画面、園児たちの好奇心と興味をそそるタブレットのツールとしての魅力が、授業の楽しさの要素となっている。
先生から一人ずつ名前を呼ばれ、園児は元気に返事をしてクッションパットに入ったタブレットを両手で大事に受け取り席に戻る。クッションパットは上部に持ち手が付き、両側からしっかり握れるデザインで安定感がある。園児たちはタブレットを前に背筋を伸ばして着席し、先生の指示に従って一斉に電源ボタンを押して画面を立ち上げる。
電源を入れる際のワクワク感が教室に充満している
タブレット自体は専用にカスタマイズされたものではないので、市販のタブレットと同様に画面に標準搭載アプリも並んだ状態で起動するが、園児は先生の指示に従って必要なアプリのみを立ち上げて授業の準備を進める。すでに何度かタブレットを使っている子どもたちは、正しい機器の使い方を身につけているようだ。
一つひとつのアニメーションに歓声があがる
ひらがなアプリを開いて練習画面を表示し、先生の説明を聞く。
まずは画面に表示される文字の書き順を確認する。確認は何度でもできる。次に、実際に指で画面の文字をなぞる。はみ出したりして、書き直したいときには消しゴムのボタンをタップする。
消しゴムのアニメーションひとつにも歓声があがる。
すべての説明を熱心に聞いたあと、実際に一筆書きで「く」のお手本を指でなぞる。
試行当初はタッチペンを利用していたものの、タッチペンの持ち方の練習に時間を費やしてしまうことが分かった。そこで「文字を書く楽しみを知る」という目的にフォーカスするため、人差し指で直接タッチパネルに書くことにした。握力がなく鉛筆がうまく持てない子も、苦手意識を感じることなく操作が可能だ。一つひとつが検証の成果である。

一人一台だからできる、それぞれのペース、それぞれの反応

全員集中して取り組んでおり、
喜びの表し方もそれぞれ
書き順を繰り返し確認できるのも、書き直しも好きなだけできるのも、一人一台の学習環境だからこそ。園児それぞれのペースで練習ができる。
園児たちが文字をなぞると、教室内のあちこちから「たいへんよくできました」のファンファーレが響く。さらにお手本通り書けると赤いはなまるのイラストレーションが表示され、音楽が鳴る。隣の子どもに見せる子、覗き込む子、静かにガッツポーズをとる子と反応もさまざまである。
画面が大きいと自然にコミュニケーションも生まれる
「く」の練習後は、画面に向かう園児の名前で使うひらがなが一文字ずつ順番に表示される。教室内は自分の名前のひらがなが現れることで、いっそう盛り上がる。
画面のお手本からはみ出すと、はみ出した部分はすぐ赤色表示される。完璧には書けなくても「にこにこマーク」が表示され、先生は「はなまるでなくてもいいんですよ」と励ます。
「消しゴムボタン」をタップすると、消しゴムが素早く動いて消してくれるため、間違いを意識させない。このような細かい工夫が、たとえやり直すにしても園児たちのやる気をそがない。

あくまで年間計画の一部としてのタブレット授業

それぞれの授業を連携させることで学習効果が高まる
園児たちは年少の秋から、正しい鉛筆の持ち方、一本の線の引き方に始まり、徐々に難しい線を描く「せんのあそび」のワークに継続して取り組んでいる。
タブレット授業はこのワークと連携して、ひらがな練習にスムーズに移行する動機付けの役目となっている。鉛筆の練習よりハードルが低く、ゲーム感覚で正しく名前を書くことができるので、「ひらがなを書くって楽しい」「もっと書いてみたい」という興味と意欲を喚起させるのだ。
一人一台をあてがわれながら、集団の取り組みよって生まれるコミュニケーションも動機付けとなっている。家で一人ゲームをするのとは異なり、周囲の反応のなかで学習の楽しさを体感する。今回は教室形式で座ったが、数人で机をまとめてグループに分かれると、グループ内で画面を見せ合ったり覗き込んだりと、園児たちのコミュニケーションはさらに活発化するという。

失敗を許容してくれるタブレット

タブレットの活用にさまざまな
可能性を見出している栗林部長
タブレット授業の大きな効果として、栗林さんは「これまで全体の活動に入りにくかった子が、タブレットの活動は集中して取り組めていた」と話す。他の授業では極端に失敗を恐れて消極的になりがちな園児が、タブレットを使った授業には積極的に参加できたという。
「気軽にトライアンドエラーを繰り返せることは、予想外の効果でした。自分のペースで何度でもやり直せるタブレットだと失敗に対するプレッシャーがかからないのかもしれません。」
今後は、何度でも挑戦できるタブレットの特性を活かしたアプリ、園児たちが協力し合って解決できるアプリの導入を検討する。また、専任の先生を増やすか、担任の先生でもタブレットを用いた授業をできるようにすることで、授業回数を増やすことも検討している。

先生のひらがな指導負担が軽減

21カ所の園でのタブレットを利用した
授業を担当する櫛引幹子先生
授業後は、毎回担任の先生から感想を回収し、プロジェクトメンバーで改善のための話し合いを重ねてきた。この際、専任の幼稚園教諭が21カ所の園を回って指導したことが奏功し、指導経験値が集約されて改善がしやすかった。
楽しみながらも集中して取り組めた園児が予想以上に多かったこと、授業後に自主的にひらがなを書く子がいたこと等から、園児たちがひらがなに興味をもち、楽しくひらがなを学ぶ姿勢を作れたことで、今回のプロジェクトの目的は達せられたとの共通認識を持てた。
黒板を使わないと園児とむきあえる時間がふえる
一緒に活動に参加した50人の年長担任に取ったアンケートでも、タブレット活動を支持するという先生が9割を超えた。
櫛引先生は「黒板を使った授業では、どうしても園児に背中を向けている時間があったのですが、タブレットを利用した授業では基本的に園児の方を向いているので、園児の様子を把握しやすくなりました」とタブレット利用の効果を語る。

保護者も実施後は「また学習をさせたい」と支持

体調が優れなくてもタブレット授業の日だからと登園したがる子がいたり、インフルエンザで出席人数が少なかったクラスでは、欠席園児たちの強い希望で授業日を振り替えたこともあったことから、園児たちの支持を集めたこともわかっている。
保護者の大きな変化もあった。園児たちが家に帰って「『タブレットは楽しい』とうれしそうに話すので、どのような授業なのか一度は見てみたい」といった意見が多くあがるようになった。そこで同グループの上田北幼稚園では、タブレット授業を平日の自由参観日に設定したところ、年長の保護者の約8割が参加した。
保護者アンケートによると「タブレット授業の内容や様子を過半数の子どもが自宅で話している」こ答えた人のうち95%は「楽しそうに話している」。保護者の95%が「またタブレット学習をさせたい」と回答しており、導入前には不安視していた保護者も、ほぼ全員が肯定的に受け止めるようになった。
今後も幼児期のICT教育は、その用途や用法が丁寧に検証されることで、前向きに捉えられることが多くなっていくかもしれない。

Editor's eye

思わず小さくガッツポーズ
ICTを活用した教育は、その特性から効率に注目する傾向がある。本プロジェクトも結果的に多くの効率改善に貢献したことは事実だが、あくまで主目的を「学習の動機付け」に設定したことは特徴的に見えた。
学習の動機付けには、ツールそのものの魅力や表現力豊かなリアクションから「やる気を向上させる」側面はもちろん、失敗を失敗と認識させず、すぐに何度でもやり直しができる、「やる気を低下させない」側面も重要である。ICTを活用した教育には、これらを実践できる可能性が大いにあるようだ。
大人として考慮すべきは教材それぞれの特性を理解して活用していくことだが、同時に子どものやる気を阻害しない関わり方、例えば子どもの試行錯誤を見守る余裕、失敗したことをとがめるよりも挑戦したことを褒めるといったことに留意することも重要だと改めて感じた。
【企画制作】(株)エデュテイメントプラネット 柳田善弘、羽塚 順子
【取材協力】学校法人信学会、裾花幼稚園