2016/10/18

[第4回] 社会人は、自らの大学教育の経験を通した成長をどのように認識しているのか —若年層の「ゼミ・研究室活動」経験の自由記述回答から見えてきたこと [1/6]

飯吉 弘子 ● いいよし ひろこ

大阪市立大学大学教育研究センター教授、博士(学術)
銀行総合職、大阪市立大学大学教育研究センター講師、准教授を経て、2015年4月より現職。専門は、大学教育史、高等教育論、教育学。研究テーマは、社会における大学のあり方や教養教育のあり方に関する歴史的・実践的研究、大学教員論・FD研究など。
主な著書に、『戦後日本産業界の大学教育要求—経済団体の教育言説と現代の教養論』(2008)

Ⅰ.はじめに

 今回の大学卒業社会人2万人対象調査(以下、本調査)では、社会人若年層=23~34歳(本稿では、若年層と略す)と社会人中年層=40~55歳(同、中年層)が、大学での学習や活動・経験をどのように捉えているのか、どのような学習・活動・経験から、学んだり成長したりしたと捉えているのか、ということをさまざまな角度から聞いた。
 その結果の一つとして、社会人としての現在の「自己効力感」に最も関連付いているのは、就労年数でも、卒業大学の偏差値でも、アルバイト・インターンへの傾倒や部活・社会活動への傾倒でもなく、「大学時代の学びの印象」であることが明らかとなった (松本、2015)
 この「大学での学びの印象」には、大学時代における「深い学びの経験」と「情緒的サポート」に関する10項目が含まれているが、中でも大卒社会人の印象に強く残っていたのは、「深い学びの経験」における「相当の努力をして課題(単位取得や論文作成)をやりとげる厳しさがあった」、「学問固有の物の見方や考え方に触れられた」、「大学の個性や特色をいかした教育を受けられた」および「情緒的サポート」の中の「教育に対して熱意のある教員がいた」、「教員の指導に基づきながらも、自主性を尊重されて学習を進められた」などだった。いずれの項目も若年層で5割以上が「とてもorまあ印象に残っている」と回答していたが、これらは、主に正課学習での経験と関わりが深い項目であると考えられる。
 ところで今回の調査結果から、大学時代の各学年における、これらの「学びの経験の充実度」と「成長実感」は、異なる傾向を見せることもすでに明らかになっている (山田、2016)
 すなわち、学びの充実度は、4年制大学の場合、3年次に最も高くなる一方、成長実感は、「経年で上昇し、4年生がピーク」になっていた。
 このように、学びの経験の充実度と成長実感が異なる動きを見せている中、本稿では、社会人の自己効力感とも深い結びつきがあると推察される正課学習の中の、どのような学びの経験が成長実感とつながっているのかを、より詳細に明らかにすることを目指す。そのために、大卒社会人が最も成長を実感した学びの経験とその具体的中身に関する自由記述内容を分析する。大学卒の社会人は、大学時代の正課学習のどのような具体的学習活動や経験を通して成長を実感し、記憶し、それを言語化して語っているのだろうか。社会人が成長を実感した学びの具体的経験と、上述の「学びの印象」や、「学びの機会」として、本調査で仮説的に設定してあった各種項目との重なりはどこにあるのか、あるいは、具体的経験の自由記述事例から新たに拾い出せる特定の活動や経験の要素はあるのだろうか。
 本稿では、これらの点を明らかにするために、大学の正課学習の中の、社会人若手層の、「ゼミ・研究室活動」における経験と成長の実感との関係を中心に分析を行う。自由記述と一対で設定した選択式設問の、正課学習の活動・経験の選択肢のなかで最も選択者が多かったのが、この若手層の「ゼミ・研究室活動」であった。「ゼミ・研究室活動」では、比較的少人数でかつ主体的学びやグループワークも取り入れつつ論文等を作成していくなかでの「深い学びの経験」や、教員をはじめとする「情緒的サポート」など、多様な経験を得ている可能性が高く、それらの経験の具体的内容を幅広く拾い上げられる可能性も高いと考えられる。また、ゼミや研究室活動に関する、教育実践研究、個別事例研究などは多様に進みつつある一方で、学習者である学生からみた成果の調査研究の蓄積は不足していることが指摘されている(伏木田ほか、2011)なかで、新たな研究の蓄積になることも期待できる。
 なお、この若年層の世代は、大学教育改革が本格的に実施された2000年代以降の大学教育を経験した世代でもあり、現在の大学教育改革への評価にも比較的近いものとしてとらえることもできると考えられる。そのような世代の社会人の、大学の正課学習の成長経験とその言説化の状況を踏まえて、大学での正課教育・学修活動のあり方や、学生への教育・学修成果の意義付けへの示唆を得ることを目指したい。