真っ直ぐに子と向き合い続けること 井上尚弥選手
ボクシング史上初めて高校生にして7つのタイトルを獲得、プロ転向後は8戦目で2階級制覇し、国内最速記録を樹立した井上尚弥。
一見、ボクサーには見えない穏やかな尚弥が、何気なく呟いた一言に驚かされたことがある。
「試合中は自分の意思3割、父の指示が7割で闘っています」
ボクシングだけでなくほとんどのスポーツは、自分の頭脳をフル回転させて自分で判断しなければ頂点には辿りつけない。だが尚弥は闘いの中でも父の存在を明確に口にした。そこに父と息子の関係を超え、一心同体になった姿を見た思いがした。尚弥の言葉を父・真吾さんに告げると、遠くを見やるように言った。
「ボクシングは子どものころから一緒に積み上げてきたものだし、ステップの踏み方、あるいはフックの角度ひとつとっても、すべて語り合いながら作ってきました。リングの上でも、尚弥の意思と自分の考えに違いはないと思います」
神奈川県座間市で塗装会社を経営する父、母・美穂さんの長男として生まれた尚弥は、父への憧れからボクシングを始めた。だが父はボクサーではない。19歳で同級生の美穂さんと結婚すると、すぐに起業。がむしゃらに働いた。母子家庭で育った真吾さんは、温かい家庭を作ることが何よりの夢だった。
「両親と子どもがいつも笑いあっている家族を作りたかった。家族に楽をさせたい一心で昼夜問わず働いていたところ、物心ついた長女を抱っこしたら泣かれてしまいました。子どもにそっぽを向かれては本末転倒。それ以降、夜の仕事や付き合いを一切やめました」
その後、尚弥、次男・拓真と3人の子どもたちに恵まれたものの、かつて空手を習っていた身体が疼き始めた。友人の紹介でボクシングジムに通ったが、家族との時間を削られるのが嫌で、自宅でトレーニングを始めた。黙々と汗を流す父の姿に憧れを抱いたのが尚弥と2歳下の拓真。尚弥が小学校1年生の時だった。
「僕もボクシングがしたい」
父は、自分の好きなスポーツに息子が興味をもってくれたことがうれしく、尚弥の目を真っ直ぐ見据え、聞いた。
「父さんはボクシングに嘘をつきたくないから一生懸命にやっているんだ。お前も、ボクシングに嘘をつかないと約束できるか。どんなに辛くてもがんばり通せるか」
父と息子の二人三脚が始まった。父は次第に自分のことより息子に傾注して行く。ただ、仕事があるため、学校から帰った尚弥を練習させるのは、母の役目だった。母が笑う。
「主人が作ったメニューを、私がただやらせていたというだけなんですけどね。うちは、3人の子どもに“お父さんの言うことは絶対”と幼いことから言い聞かせているので、私がコーチ役をしても、息子は主人の作ったメニューに手を抜くようなことはなかったです」
もちろん、父の言動がすべて正しいというわけではない。母は、違うと感じたことは子どもたちが寝静まった後に夫に告げた。父と母が違うことを言い、子どもたちを惑わせたくなかったからだ。
両親は子どもたちにこんな約束をさせていた。「嘘はつかない」「約束は守る」「挨拶はきちんとする」「間違ったことをしたらすぐに謝る」。そのため、両親もそれぞれ包み隠さず子どもに話している。父は、自分がやんちゃ時代のことを話し「父さんはこんなことで苦労した。だからそういう間違いはするな」と自分を反面教師にし、尚弥らを育てた。
練習でも背中を見せた。
「息子たちが成長するにつれ、一緒に練習するのは僕も体力的にきつくなるけど、絶対に手を抜かない。坂道ダッシュで足の裏の皮がめくれることがあっても、それでも走る。そういう姿勢を見せないと“自分ができないくせに言うな”となる。それは仕事も一緒。きつい仕事は経営者が自らやる。そうしないと職人さんがついてきてくれません」
父が身を挺して背中を見せ続けた息子は、やがて歴史に残る世界王者になった。
(文=吉井妙子)
<こどもちゃれんじ>編集部が解説!
“伸びる”子育てポイント
井上選手のご両親の「嘘はつかない」「約束は守る」「挨拶はきちんとする」「間違ったことをしたらすぐに謝る」を3人の子どもたちに約束させ、自分たちも包み隠さず何でも話していたと言う接し方が、素敵です。
トップアスリートが多く師事する脳科学者の林成之先生も育脳の観点から、「素直な性格を育む」ことや「自分のミスや失敗を認める」ことが重要であることをお話しされています。井上選手のご両親の教育方針は、幼児期から地頭を鍛えるベースとなっていたのだから感服します。
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