母に憧れ、父に背中を押されて 石川佳純選手

 女子卓球界の女王・石川佳純の卓球人生は両親が山口市に家を新築した時から始まった。父・公久さん、母・久美さんは福岡市にある大学卓球部の先輩後輩。母は福岡の実業団でも活躍していたが、結婚を機に会社も卓球も辞め、山口市のアパートで暮らし始めた。間もなく佳純が誕生。母は佳純を乳児の頃から、1分以上泣かせたことがないという。

「娘が将来どんな人間になるかは私の接し方次第。子どもを授かってから、ひとりの人間として接しようと準備し、自分の時間はすべて子どもに捧げようと考えていました。赤ちゃんが泣くのは何かを訴えているということ。もし自分がその立場だったら、放っておかれるのは嫌なはずです」

 将来、子どもがどんな道に進もうが困らないように知力と体力、そして発想力をつけさせてやろうと考えた。そのため1歳からフラッシュゲームを用いた知育教育、2歳から公文、そして3歳からピアノ、バレエ、水泳を習わせた。その一方、山口県から国体代表として要請を受けていた母は、子育てを優先しながらも市内の体育館で卓球の練習も再開した。

「私にも教えて」
 佳純が母にそうねだったのは小1の時。母は正直困ったなと思ったものの、娘の希望を無下にできない。次女も生まれ、てんてこ舞いの日々の中、佳純に卓球を教え始めた。
「親が言うのもなんですが、天才肌だと思いました。教えたことをすぐに覚えるのはもちろん、教えていない技もできた。私の練習をじっと見てイメージしていたのかも」
 会社勤務の父がにやりとしながら言う。
「国体に出場するママを子ども心にかっこいいと思い、同じようになりたいと考えたのでは」 佳純は母の背中を常に見ていたのだ。

 一方父は、過労で今にも倒れそうな妻を見かね、自宅に卓球場を造れば遠くの練習場に通わなくて済むと家を新築することにした。佳純が小学3年の時だった。
「僕たち夫婦の趣味は卓球。そんな家を作っておけば老後を楽しめるし、卓球好きの友人が気兼ねなく遊びに来られると思った」

 だが佳純は、新築された自宅を見て違う思いでいた。後にこう述懐している。
「やばい。家に卓球場を作るなんて、両親は本気だ。私も懸命に取り組まないと、って」
 多額なローンを組むことになったが、父の決心が娘を本気にした。母に憧れ、父に背中を押された娘は今や日本の卓球界の第一人者。
 子どもは親の言動を常に見ている。

(文=吉井妙子)

<こどもちゃれんじ>編集部が解説!

“伸びる”子育てポイント

 石川選手のご両親の共通の趣味が卓球で、お母さまの現状をみかねて卓球場つきの家を新築したという決意には驚かされます。両親の姿に触発され、石川選手もこれまで以上に練習に打ち込んだというから、親の背中を常に子どもが見ていることを思い知らされます。
 子は親の鏡。と頭ではわかっていても、つい目の前のことに追われて、そっけない相づちをうったり、応対を後回しにしたりしがちなかたも決して少なくないと思います。
 〈こどもちゃれんじ〉は、限られた時間の中でも濃密な親子のかかわりを生み出せるよう、たくさんの工夫がつまった教材をお届け。たとえ1日15分でも、朝の出勤前、週末しか時間がとれないかたでも、それぞれの生活サイクルにあわせてご活用いただけます。

プロフィール


吉井妙子

スポーツジャーナリスト。宮城県出身。朝日新聞社に勤務した後、1991年に独立。同年ミズノスポーツライター賞受賞。アスリート中心に取材活動を展開し2003年「天才は親が作る」、2016年「天才を作る親たちのルール」など著書多数。