量より質の究極形 宮原知子 選手
トップアスリートの両親は、例外なく仕事と子育ての時間配分で悩む。この両立の難しい課題をクリアしてきたのが、フィギュアスケート日本女子のエース・宮原知子の両親だ。父・亮さん、母・裕子さんは共に京都にある総合病院の勤務医。しかも亮さんは呼吸器外科の部長、裕子さんは血液内科の副部長という重責に就いている。重篤な患者を抱えながら、最も手がかかるフィギュア界で娘をトップに育てあげた。母が言う。
「私たち夫婦は、大変と思う閾値が少しばかり高いのかも。大概のことは出来ると思っていますし、事実、知子のサポートに対し、“私、倒れるかも”と思ったことはあるけど、“もう、無理”と考えたことはありません」
父は、知子が4歳の時に夫婦で研修留学した米国時代に価値観ががらりと変わり、それが娘のサポートに繋がったと語る。
「日本の病院は不夜城でしたが、米国のラボは17時に終わる。もちろん残って研究することも自由ですが、米国の医者は家族が第一。ですから僕たちも3人いつも一緒でした」
知子は家族以外とほとんど口を利かない子だった。研修先の大学付属幼稚園の先生から、精神科の先生に診てもらうよう勧められたが、父は、家で喋る以上、無口なのは個性と捉えた。ただ夢中になれるものを早く見つけてあげたい。いろいろやらせてみたが、ショッピングモールにあるスケートリンクに立った時、最も目を輝かせたのを両親は見逃さなかった。
以来、ラボが終わると夕食を済ませ、母と娘のスケートリンク通いが始まった。時には父も加わる。だが幸せなひとときは3年で終わる。留学期間が終了したのだ。両親は、スケートを続けさせたかったが、京都のリンクは帰国直後に閉鎖。毎日、大阪や神戸、奈良のリンクまで送り迎えをしなければならなかった。母が述懐する。
「選手になれるかどうかわからないけど、知子が好きになった以上、私たちも真剣に応援してやるのは当然のこと」
だが、二人とも急患を抱えることもある臨床医。急な呼び出しは日常茶飯事。時には祖父母や同僚の手を借りながらも夫婦で何とかやり繰りし、練習時間が30分でも取れればスケートリンクに車を走らせた。そんな二人の最大の敵は渋滞だった、と母が笑う。
「苦労の閾値は高いと思っていますが、渋滞だけはどうすることも出来なかった」
幼い頃から両親のがんばりを間近で見てきた宮原は、コーチ陣が涙するほど練習する選手となり、関係者やファンから「ミス・パーフェクト」と呼ばれるようになった。
(文=吉井妙子)
<こどもちゃれんじ>編集部が解説!
“伸びる”子育てポイント
宮原選手のお母さまの「子どもが好きになった以上、私たちも真剣に応援してやるのが当然のこと」と言いきる姿、とても素敵ですよね。
お子さまの目がキラキラ光る興味をもったタイミングを見逃さず、夢中になったらどんなに忙しくとも家族が全力で応援する。そうしたいと思っていても、なかなか実践するのは難しいことだと感銘を受けます。
子どもが取り組んでいることを一番身近な存在として信じて応援し続けることが、子どもにとって自信となり自己肯定感を育むといわれています。
お子さまの自己肯定感は声のかけ方ひとつで大きく伸ばせます。〈こどもちゃれんじ〉では、お子さまが「できた!」という喜びを感じる体験を通じて自信を育めるよう教材設計に工夫を凝らしています。たくさんの体験を通じて、ひとつでも多くの「できた!」が生まれ、お子さまの自信につながることを願っています。