“普通”であり続けること 桐生祥秀 選手

 陸上100mで、日本人で初めて10秒台を切るのは誰か——。ここ数年、多くの人が関心を抱いてきた問いに答えを出したのは、桐生祥秀だった。2017年9月、桐生は日本学生陸上対抗戦で、遂に日本人悲願の9秒98を叩きだした。歴史的快挙を達成すれば、親のコメントがテレビや紙面を賑わすのが普通だが、この時、桐生の両親はほとんど登場しなかった。桐生の父・康夫さんと母・育代さんは「普通であり続けることが大切」と常々語り、それが息子の環境を守るための最大の方策と考えているからだ。

滋賀県彦根市にある桐生家の玄関には、小石や松ぼっくりなどが加工された手製のオブジェがぎっしり並べられている。母がはにかみながら言う。
「息子たちが子供の頃、遠足や旅行に行き持ち帰ったものを、私が形にして残しておいたんです。彼らの思い出の品ですから」
 母がいかに丁寧に家族の時間を編み上げてきたか、玄関のオブジェの数々が雄弁に語っているようだった。
 流通関係の会社に勤務する父は企業戦士。しかしその分、週2回の休みは、4歳上の兄と祥秀を公園や広場に連れ出し、朝から日が暮れるまで遊んだ。父が言う。
「僕が子供の頃、父とキャッチボールをすることが何より楽しかった。だから僕も息子たちに同じことをしたかったんです」

 父は息子たちが飽きないように、いろんな遊びを教えた。野球、サッカー、テニス…。
父がいないときは兄とその友達が遊び相手だった。祥秀は4歳上の兄たちと一緒に遊ぶため、必死に身体を動かす。大谷と同様、桐生もこの時期に運動機能が発達。小学校からサッカーを始め、高学年になると彦根市選抜になるほど腕を上げた。だが、中学に進学するとき、父は祥秀にアドバイスをした。
「小学校の時は団体競技で仲間の大切さを学んでほしかったからサッカーでも良かったのですが、根が優しいからかすぐに相手にボールを奪われてしまう。足が速かったので、妻とも相談し陸上を勧めたんです。でも、選んだのは本人の意思。これまでも子供たちには自分のことは自分で決めさせてきました」

父も母も、子供の成長を丁寧に見続けてきたからこその助言だった。中学入学以降は数々の大会で入賞し、“ジェット桐生”としてその名は全国区になったが、表彰状類は一切リビングに飾られていない。息子が天狗にならないよう敢えて栄光の匂いは消している。父が言う。
「本人にもそういう趣味はないし、家族が普通であり続けることが、最終的に周囲の注目や騒々しさから息子を守ることでもあると思いますから」
 有名選手の家族が“普通”を保つことは、実は意外と難しい。だが、桐生の両親には“普通”であることの大切さが分かっていたからこそ、息子は伸びやかに未知なる領域へ挑むことが出来るのだ。

(文=吉井妙子)

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プロフィール


吉井妙子

スポーツジャーナリスト。宮城県出身。朝日新聞社に勤務した後、1991年に独立。同年ミズノスポーツライター賞受賞。アスリート中心に取材活動を展開し2003年「天才は親が作る」、2016年「天才を作る親たちのルール」など著書多数。