2013/08/02

第15回 よく遊び、よく学べ!-時間のある夏休み。子どもたちに主体的な活動を

ベネッセ教育総合研究所 初等中等教育研究室
室長 木村 治生

夏休みのある一日

子どもたちが、夏休みに入って1週間ほどがたった。わが家も子どもの声で「うるさい日々」がしばらく続く。昨日から、小6の息子は日光への修学旅行に行ったが、その間隙を縫って小4の娘は仲のよい友だち2人をお泊りに招いた。女の子3人、キャーキャーワーワー、やかましい。今日の午前中は、狭い家のなかでかくれんぼ!? 「数えるのは20まで」「『もういいよ』がなかったらオニは探しはじめてOK」「隠れていい部屋はここ限定」。次々と即興でルールを決めている。何も狭い家で隠れ場所を限定しなくても、と思うが、あえて限られたスペースで見つからない場所を探すのが楽しいらしい。彼女らなりの工夫だ。

遊びの役割

その様子を見ていて、子どもたちの自由な遊びの中には、いろいろなことを学ぶ機会が内在されていると改めて感じる。わが国の遊び研究の第一人者である森は、他者との受け答えなどの「相互作用能力」、役割やルールを理解して守る「組織的行動能力」、面白そうなことへの興味や発想や工夫といった「創造的能力」が遊びによって育つと述べる(森楙『遊びの原理に立つ教育』黎明書房、1992)。身体、認知、言語など、人が自立するための基礎的な能力の発達に影響するだけでなく、共同での遊びは人の社会的発達の原型をつくる。そこで育成される技能は、「ATC21s」(The Assessment and Teaching of 21st Century Skills)が提唱する「21世紀型スキル」とも多くの部分で関連しているように思う。「21世紀型スキル」とは、グローバル化や情報化が進み、変化の激しい社会を生き抜くために必要とされる力を指す。そのなかの「創造力」「批判的思考力」「問題解決力」「意思決定力・学習力」「コミュニケーション力」「コラボレーション力」などは、遊びのなかの創造、協働、共感、競争、交渉、作戦などの行為によって培われるスキルと一致する。

子どもの遊びの状況

そうした重要な役割をもつ遊びだが、その機会が子どもに十分に保障されているかというと心許ない。私たちベネッセ教育総合研究所は、2000年代から行ってきた「子ども生活実態基本調査」のなかで、子どもたちの遊び場の中心が「家の中」になっていることを指摘してきた。
冒頭に紹介したわが家の事例も、家の中だ。休日に公園に行くと、遊んでいるのは親子が多く、友だち同士が少ない。学年が上がるにつれて、テレビゲームや携帯ゲームの時間が増える。身体を使った自由な遊びを仲間集団でする機会は減っているだろう。子どもたちも習い事などで忙しくなり「時間」がない。その結果、遊ぶ「仲間」を見つけづらい。都市化や安全性に対する配慮から、自由に遊べる「空間」も少ない。外遊びに必要な「三つの間」が失われている。
では、夏休みはどうか。2009年に行った「小学生の夏休み調査」では、外遊びの時間もそれなりに確保されている様子に、安堵する思いをもった。類似の調査で比較できる小学5・6年生を取りだして、学校がある平日を比べると(図1)、「屋外で遊ぶ・スポーツをする」は倍以上の96.1分。低学年や男子は、もっと時間が長い。とはいえ、「テレビやDVDを見る」「テレビゲームや携帯ゲーム機で遊ぶ」「ゴロゴロする・ボーっとする」などの室内で過ごす時間も大きく増える。自由な時間の振り分け方として適切なのかは、疑問も残る。
図1. 夏休みと学校のある平日の生活時間の違い(小学5・6年生)
図1 夏休みと学校のある平日の生活時間の違い(小学5・6年生)
*青は夏休みのデータ(保護者回答)、灰色は学校のある平日のデータ(子ども回答)

学びとのつながり

さらなる大問題がある。夏休み、遊び呆けてばかりでいいのかという問題だ。机に向かう時間が少ないのも、保護者としては頭が痛い。図を見ると、「学校の宿題をする」「学校の宿題以外の勉強をする」は学校のある平日よりも少なく、合わせても1時間程度しかない。この調査で、「夏休みは宿題がないと勉強しない」を肯定する保護者は77.0%。なかなか勉強しない子どもにイライラするのは、私も保護者の一人として共感する。
しかし、単なる暇つぶしとしての遊びではなく、主体的に選んでいる遊びであれば、できるだけ積極的に後押ししたい。ボーっとする時間さえも、内的な思索をしているのであれば成長に有益だろう。自分の興味や楽しさを追求する行為には必ず、教育的な効果がある。
加えて、学びの観点で言えば、興味や楽しさの追求を社会的に望ましい対象に向けたい。たとえば、自由研究。他者から与えられるのではなく、自分の興味や関心を端に、課題を設定して解決する学びには、多くの遊び的要素が含まれている。図2は、M.J.エリスの著書(『人間はなぜ遊ぶか』訳書2000年、黎明書房)のなかで示されているものである。
図2. 教育の連続線
図2. 教育の連続線
ここには、制約的な側面の強い「訓練」と自由度が高い「遊び」の中間に、「問題解決」が位置づけられている。自分の関心のあるテーマの追究、仲間との協働的な課題の探求などの問題解決には、自由度が高い遊びの要素が含まれているということだ。
わが国の教育は、どちらかというと「与えられたものを覚え、それを吐き出す」ことを繰り返す訓練的な学びが多くなりがちだ。それよりも、子どもが趣味に没頭するように、もしくは、仲間と遊びをより楽しむ工夫をするように、学びの中にも遊びの要素を加えることで、主体的に問題解決を図るような活動を増やしたい。それが、21世紀を生き抜く力を育てることにつながるのではないか。

よく遊び、よく学べ

夏休みの宿題をするのは、最低限のこととしてもちろん重要。でも、遊びにも多くの学びにつながる要素があることを忘れてはならない。遊びが暇つぶしではなく、主体的に考え、行動するような要素を含んでいるかが大切だ。それがあれば、保護者はときどき様子を確認するだけで、基本は放っておいていい。 時間のある夏休みは、主体的な活動を豊富にできる絶好のチャンス。そう考えて、遊びに向かうわが子の背中を見送ることにしよう。子どもたちよ、よく遊び、そして(そこから)、よく学べ!

著者プロフィール

木村 治生
ベネッセ教育総合研究所 主任研究員
ベネッセコーポレーション入社後、初等・中等教育領域を中心に子ども、保護者、教員を対象とした意識や実態の調査研究、学習のあり方についての研究、教育市場(産業)の調査などを担当。文部科学省や経済産業省、総務省から委託を受けた調査研究にも数多く携わる。専門は社会調査、教育社会学。これまでにかかわった主な調査研究・論文は以下の通り。
その他活動:東京大学社会科学研究所客員准教授(2007年)、中央大学非常勤講師(2005~2008年)など