2018/09/28

第127回 子どもの英語コミュニケーション能力を伸ばすための ‘ MAP ’ を大切に

ベネッセ教育総合研究所 主席研究員
加藤 由美子
 以前、シンガポールの語学学校で仕事をしていましたが、そこではたくさんの日本人駐在員が英語を学ばれていました。レッスン開始当初は、ほとんどの方が初級レベルで、最初は電話で学校までの道案内をする現地スタッフの英語が理解できず、私に ‘ Ms. Kato, Japanese customer! ’ と電話が転送されてくることが日常茶飯事でした。実際にお目にかかると、初めての海外駐在で、英語を聞くこと、話すことができずに本当にお困りのご様子でしたが、その後、目を見張るほどに英語を聞く・話す力を伸ばしていかれました。その方々には英語コミュニケーション能力を伸ばす「3つの条件」が揃っていたからだと思います。

英語コミュ二ケーション能力を伸ばす「3つの条件」

 「英語の運用能力を左右する主要な変数としては、どういった英語に触れたか、そして、どういうふうに、どれだけ英語を使ったか、すなわちlanguage exposureとlanguage useの質量を挙げることができよう。それに差し迫った必要性(urgent needs)があるかどうか、を変数に加えることができよう」と田中茂範先生(慶応義塾大学名誉教授)は述べています。(*1)まさに筆者が出会った駐在員の方々は、シンガポールで英語を使って仕事をするという状況において、「language exposure」(英語に触れる)、「language use」(英語を使う)、「urgent needs」(差し迫った必要性)という3つの条件の揃った環境で、英語コミュニケーション能力を伸ばされたのだと思います。
(*1)ARCLE編集委員会(2005).『幼児から成人まで一貫した英語教育のための枠組みECF: English Curriculum Framework』リーベル出版.

英語コミュ二ケーション能力を伸ばす「3つの条件」が揃っていない日本の環境

 グローバル化の進展により英語コミュニケーション能力を伸ばす必要性は益々高まる一方で、日本の中高生の英語コミュ二ケーション能力の低さは課題とされています。(*2)日本語話者が中級レベルの英語力を身につけるには4000時間以上の学習が必要であるが、日本の中学、高校、大学(教養課程まで)で学んでも現行の学習指導要領では1120時間程度であるという研究結果があります。(*3)また、地域差や個人差はあるにしても、日本の日常生活で英語が必要とされることはあまりありません。日本で生活し、学校に通っていても「英語に触れる」と「英語を使う」が量的に不足していることは明らかです。では、「差し迫った必要性」はどうでしょうか。ベネッセ教育総合研究所が行った調査では、4割以上の中高生が「将来、自分自身が英語を使うことはほとんどない」と言っています。(*4)この結果から日本の中高生の「差し迫った必要性」はあまり感じられません。このように、「英語に触れる」「英語を使う」「差し迫った必要性」という3つの条件すべてが不足しているわけですから、英語コミュニケーション能力が低いのも仕方のないことかもしれません。では、どうすれば日本の子どもの英語コミュニケーション能力を伸ばすことができるのでしょうか。そのためには子どもが英語を学習する場=学校の教室や家庭での英語学習が、「英語に触れる」「英語を使う」「差し迫った必要性」という3つの条件を備えられているかが鍵になります。

授業を英語で行うことは、子どもの英語コミュニケーション能力を伸ばす可能性を高める

 現行学習指導要領では高校、新学習指導要領では中学校の英語の授業で、「授業は英語で行うことを基本とする」方針が出されています。新学習指導要領(中学校)解説書(*5)には、その理由として、「生徒が英語に触れる機会を充実するとともに、授業を実際のコミュニケーションの場面とするため」と記されています。まさに授業の中で、「英語に触れる」と「英語を使う」を充実しようとしています。さらに解説書には、「『実際に英語を使用して互いの考えや気持ちを伝え合うなど』の言語活動を行うということは、教師と生徒の間でも英語によるコミュニケーションが当然に行われる、ということである」としています。「『授業は英語で行う』とは、指導言語を単に日本語から英語に変えることで済むものと誤解してはならない」と注意も促しています。すなわち「英語に触れる」と「英語を使う」の英語の「質」が大切であることを示唆していると考えられます。
(*5)文部科学省「中学校学習指導要領(平成29年度告示)解説・外国語編」平成29年7月

「英語に触れる」と「英語を使う」の「質」を高めるもの

 「これまで(language exposureと language useの)の質の問題は本質的でありながら、それを議論する枠組みは示されてこなかったように思う。(中略)結論をいうなら、生徒にとってmeaningfulで、authenticで、そしてpersonalな教材の提示と活動を行わせることに尽きる」と田中茂範先生はARCLEコラムで述べています。(*6)
以下がその説明です。
meaningful
子どもにとって理解可能であり、面白いと感じ、それをやる価値があると実感する

authentic
子どもが本物と感じる(リアリティを感じる)

personal
子どもが自分事として、自分の英語(my English)を構築することに役立つと感じる
「meaningfulで、authenticで、personalな活動を提供すれば、教室は英語を自然な形で使う場に変わる。そして、そういう場づくりが、英語を使うことに対する必要性を生み出すのである」とコラムは結ばれています。「英語に触れる」と「英語を使う」の「質」を確保するために、meaningfulで、authenticで、personalな要素を活動に組み込むことで、結果的に「差し迫った必要性」に当たるようなことを生み出せるということだと思います。

日本の子どもの英語学習の中に ‘ MAP ’ を取り入れる

 MAP(meaningful, authentic, personal)の要素を取り入れた授業の積み重ねが、英語コミュニケーション能力を伸ばすことを実感した授業を紹介します。ベネッセ教育総合研究所では、「英語コミュニケーション能力を伸ばしている学校」の研究を行ってきました。(*7・8)その研究で、2017年9月に北海道函館中部高校の3年生の授業を拝見しました。多くの高校3年生の秋以降の授業は、いわゆる入試対策の授業が多いと聞きますが、スピーキングを中心に据えた授業が行われていて驚きました。授業をされた弦木 裕先生によると、問題集を解いたりすることは家庭でできるから、学校では話すことを続けたいと生徒の方から要望があるとのことでした。授業では、大学入試センター試験の過去問題から「銃規制」をテーマに「ディベカッション」(ディスカッションとディベートを融合させたもの)が行われました。
流れは次のようなものです。
  1. Why is Japan safe?
    「なぜ日本は安全なのか?」という先生からの質問にグループで話し合う。
    「日本人は真面目」「日本の警察は優秀」などの意見が出た。
  2. Which countries are top10 of gun ownership rate?
    「個人の銃保有率が高い国トップ10は?」という質問に生徒はいろいろな国名を言う。アメリカが1位ではないこと、思わぬ国があることには驚きの声が上がった。
  3. Gun ownership should be prohibited more strictly. For or Against?
    「銃保有はもっと厳しく禁止されるべきである。賛成か反対か?」というテーマで、生徒は賛成か反対かの立場が決められ、その立場の理由を考えてペアで話す。
    話し合った結果をクラスみんなで共有。「銃犯罪がなくなる」というForサイドの主要な意見に対し、「銃産業の人は急に仕事を失ったら大変」というような Againstサイドから別視点の意見が出る。その意見には「んー」と考えるような声が漏れた。
  4. If you lived in America, would you like to own a gun?
    「もしあなたがアメリカに住んでいたら、銃を持つか?」という先生からの質問に対して、生徒は自分の意見を言う。
    「銃は持つべきではない」「自分の身を守るために銃は必要」と意見が分かれた。「銃は必要」と答えた生徒の一人に、先生が「アメリカで銃を持っているとして、もし家に強盗が入ってきたら、あなたは撃てますか?」と質問。クラス全体が一瞬沈黙した後、「私は撃てません」とその生徒は答えた。
一般的なディベートの活動では③の活動を行います。多面的にものを考えるために重要な活動です。しかし、それだけでは、そこに「自分事」は存在しません。今回の授業で生徒 は①や②の活動でリアリティを感じ(authentic)、③の活動を理解可能で、面白く、やる価 値があると実感して取り組んでいました(meaningful)。そして、④で質問された生徒も、 他の生徒も、自分は果たしてどうだろうと「自分事」として考えていたと思います(personal)。
「教科書や問題集の中の英語(自分の外にある英語)ではなく、自分が所有者となる、自分の中に息づく英語」と田中先生はmy Englishを定義していますが、④の活動の中で生徒たちは、自分の中に息づく、自分の英語を話し、仲間の英語を真剣に聞いていました。冒頭でお話ししたシンガポールの駐在員の「差し迫った必要性」と質や度合いは異なりますが、自分の切実な思いを自分の言葉で伝え、他人の考えや思いを知り、対話の中で一緒に考えながら、最後には、もう一度、自分事として自分で決めていくという意味では、同じような「必要性」を生徒は実感していたのではないでしょうか。

子どもの英語コミュニケーション能力を伸ばすために大切なこと

 このような授業実践を紹介すると、「文法や単語がしっかり身についていないのにできるのか」あるいは「自分の生徒はできない」とおっしゃる先生がいらっしゃいます。確かに、文法や単語が身についていないと英語でのやりとりはできません。基本的な「知識・技能」を習得するための練習は必要です。それは英語コミュニケーション能力を伸ばしている学校の研究からも明らかになっています。しかしながら、練習を練習で終わらせるのではなく、また、練習が終わってから実践に移すのでもなく、学習しつつある「知識・技能」を使いたいという思いを持ち、「聞く・読む・話す・書く」の活動の中で「知識・技能」を定着させながら、実践できる力を伸ばしていくことが求められています。函館中部高校の弦木先生も「発問の鍵」として「生徒の好奇心と英語レベルの両方につり合う発問」を紹介されていましたが、高校1年から段階を追って、テーマの難しさと英語レベルを一緒に上げていく3学年トータルでのカリキュラム設計をされていました。新学習指導要領(中学校)解説書の中にも「知識・技能が、実際のコミュニケーションにおいて活用され、思考・判断・表現することを繰り返すことを通じて獲得され、学習内容の理解が深まる」という記述があります。そうした活動が、子どもが自らの頭と心を動かす真の学びになるのだと思います。子どもたちは、正解が一つではないこれからの社会で、自ら考え、判断し、行動に移していくことが求められます。それを、たくましく、しなかやに、そして楽しみながら行ってくれることを応援したいと思います。その時に、MAP(meaningful, authentic, personal)は先生や保護者の皆さんにとって、大切なMAP(地図)、すなわち道の進め方を案内してくれるものになると思います。

著者プロフィール

加藤 由美子
ベネッセ教育総合研究所 グローバル教育研究室室長 主席研究員
㈱ベネッセコーポレーション大阪支社を経て、ベルリッツ・シンガポールの学校責任者として駐在。帰国後は、ベネッセの英語教育事業開発を担当。研究部門に異動後は、ECF(幼児から成人まで一貫した英語教育の理論的枠組み)開発や東京学芸大学附属小金井小学校の外国語活動カリキュラム開発などに携わる。英語教育が、子どもの成長やことばの力の育成にどのように資するのか、に関心を持っている。