2023/01/16

美術大学が実施する「デザイン経営」を学び、実践する社会人対象のプログラム デザイン×ビジネスのマインドセットと人脈づくりを支援

多摩美術大学 TCL(多摩美術大学クリエイティブリーダーシッププログラム)
多摩美術大学は、2020年9月、デザイン経営を社会に実装することを目的とした、社会人対象の講座をスタートさせた。3か月間の講座を2022年末までに7期開講し、これまでに大手企業やベンチャー企業、官公庁、地方自治体などから200人以上が受講した。美術大学が提供するビジネス講座は、どのような内容なのか。そして、受講生にどのような成長をもたらしているのか。講座のプログラム・マネージャーを務める丸橋裕史特任准教授に話を聞いた。
丸橋裕史

丸橋裕史

多摩美術大学 特任准教授
多摩美術大学美術学部卒業。慶應義塾大学大学院修了。広告会社や外資系企業でマーケティングに携わる。MBA取得後、独立し自身の会社を設立。上場企業を始め、複数企業の顧問に就任し、商品開発や新規事業戦略立案、及びそのプロジェクトマネジメントを行う。TCLのプログラム・マネージャーを担当。

美術大学として、デザインとビジネスを架橋する人材を育成

 変化が激しい現代において、社会人となっても学び続けることが重要であり、知の集合体である大学には、リカレント教育の提供が期待されている。そうした中、多摩美術大学では、「デザイン経営」を実践的に学べる社会人対象の講座「TCL(多摩美術大学クリエイティブリーダーシッププログラム)」を開講している。
 デザイン経営とは、ブランドの構築やイノベーションの創出などに、デザインの力を活用する経営手法だ。海外ではAppleやNIKE、TESLAなどがデザイン経営を実践しており、企業価値向上のための重要な経営手法として注目されている。日本でも、2018年、特許庁が「『デザイン経営』宣言」を出し、デザイン経営の実装が企業の産業競争力を向上させるものとして、人材育成が急務であると提言した。
 同大学は、まさにそれに資する教育を提供できるリソースとナレッジを持つ。アートディレクターの永井一史教授をエグゼクティブ・スーパーバイザーとし、プログラムディレクションはデザインディレクターの石川俊祐氏らが率いるKESIKI、学内でデザインマネジメント実践の科目を受け持つ丸橋裕史特任准教授らにより、デザインとビジネスを架橋する人材を育成するプログラムを開発した。
  • TCL(Tama Art University Creative Leadership Program)概要
  • 開講期間 3か月間(年3期実施)
  • 開講日 毎週土曜日(初回は土日の2日間)10〜17時、全11日間
  • 内容 午前:デザイン経営を実践する経営者らによる講義
    午後:受講生が自らのパーパスや課題意識を基にした、愛されるプロダクトやサービスを企画・提案するPBL(Project-Based Learning)
  • 定員 30人
  • 受講料 35万円(税込)
  • ※厚生労働省「教育訓練給付制度」指定講座、文部科学省「職業実践力育成プログラム認定制度」認定講座
 TCLの目標は、デザインとビジネスの先端の知識を学び、デザインを生み出す具体的な経験を通じて、戦略性、論理性と感性のいずれかだけに偏るのではなく、それらを同時に併せ持つハイブリッド人材の育成だ。受講生の目指す姿には、美意識、認識力、思考力、リーダーシップ、課題力、表現力の6つを掲げる(図1)。
 「『美意識』を『0』としたのは、美しいビジネスを生み出す姿勢にこだわってほしいと考えるからです。美術大学の本学では、開学以来、美しさを形にすることを続けてきました。TCLでも、身体感覚に基づく直感や観察なども含めて、自分の審美眼を磨き、自分の美意識を持つことの大切さを伝えています」(丸橋特任准教授)
図1 TCLで受講生が目指す姿(Goal)として6つを掲げている。
図1 TCLで受講生が目指す姿(Goal)として6つを掲げている。
 申し込み時には、「仕事における課題や問題意識」「仕事の中でのデザインの生かし方」「創りたい事業と投げかけたいメッセージ」の3つの課題を提出してもらい、書類選考、面接を経て、受講生を決める。
 受講生は、20〜40代が中心で、50代や60代も少なくない。業種は、国家公務員、地方公務員、製造業、サービス業、建設業、商社、マスコミ、ITなど、多岐にわたり、役職も一般社員からマネージャー、経営者まで多様だ。地域も、首都圏のみならず、これまで山形県、新潟県、京都府、大阪府、広島県などから通う受講生もいた。また、受講生の約9割がデザインのバックグラウンドを持っていないが、講座の中で学べる仕組みになっている。
 受講動機は、「デザイン経営」という新しい経営手法を学べることへの期待が大きい。60代の商社役員は、「商社のビジネスモデルは昭和時代のものであり、この先、立ち行かなくなります。そこで、ビジネスエコシステムとして業界を超えてよい関係を築くため、デザインやアートという新しい視点を持ちたいと考えて受講しました」と述べたという。

デザイン経営を自分の組織で実践できるよう学び、経験する

TCLの特徴として、次の5点が挙げられる。
1.デザイン経営の実践者による講義
 午前の講義は、大手企業の新規事業担当者やベンチャー企業の経営者など、毎回異なる講師が務める。例えば、第7期では、クラウドファンディングサービスの創業者や、金型を使わず3D金属プリンタで金属加工を行う精密機器メーカーの経営者などを講師に迎えた。デザイン経営の考え方やノウハウのみならず、その人自身のあり方や想い、立ち振る舞いなど、言語化できない情報も含め、受講生が自分に置き換えながら吸収することをねらいとしている。
 「講師の方には、どんな想いや考えがあって製品やサービスを社会に提示しているのかを語ってもらっています。社会から熱く支持されている、人から愛される製品やサービス、組織とはどのようなものなのかを、受講生が感じ取ることを期待しています」(丸橋特任准教授)
 また、リベラル・アーツの一環として、様々な気づきが得られるよう、同大学の教員陣によるeラーニングを提供。「インフォグラフィックス」「モノのつくられ方」「社会とつながるコミュニティ表現」などをテーマとした動画を作成し、2時間以上の受講を必須としている。
2.正味1週間でゼロからイチを生み出す
 午後のPBLでは、問題意識が近い受講生が5〜6人でチームを組み、3〜9回でチームとしての問いを立て、その問いに応える製品やサービスを製作。10回で全体発表を行う。一連の学びのプロセスでは、プロトタイプを製作し、ユーザーの反応を見て、問いに戻る「反復」を大切にしている。
 「チーム内ではいいアイデアだと思っていても、プロトタイプをユーザーに試してもらうと、ニーズと合致していないことはよくあります。アイデアを形にし、試してもらった結果を検証することで、問いに再び向き合い、製品・サービスの質が高まっていきます。実際、どのチームも議論の過程でどんどん形が変わり、最初の問いや製品とは違うものを最終的に発表します。問いと答えの反復には、迷いや苦しみが生じますが、それを乗り越える情熱や粘り強さ、ひらめきも含めた、まさにゼロからイチを生み出す経験となります。講座日以外も作業をするチームが大半ですが、勤務時間に換算しても正味1週間で新規事業を開発できることを知ってほしいと考えています」(丸橋特任准教授)
 考えやアイデアを絵に描いたり、形にしたりすることは、個の作業でも勧めており、受講生にボールペンを1本ずつ渡し、「それを使い切るまでいろいろなものを描いてみましょう」と呼びかけている(写真1)。
写真1 受講生が手にしているボールペンは初日に渡される。TCLは美術大学の講座であることから、描く表現力を培うプログラムを取り入れている。
写真1 受講生が手にしているボールペンは初日に渡される。TCLは美術大学の講座であることから、描く表現力を培うプログラムを取り入れている。
3.2つのチームによって視点を多様化
 講座には、PBLを行うプロジェクトチームのほかに、内省の充実を目的として、講義での学びを語り合う「ラーニングチーム」を設けている。メンバーは、受講生の職種や業界などの属性を踏まえ、同じプロジェクトチームのメンバーが2人以上は入らないように、運営側が決めている。
 受講者は異なる2つのチームに所属することで、学びの視点が多様になり、メンバーから他チームのプロジェクトについて知ることもでき、自分たちのプロジェクトを客観視する機会になるという。
4.学びを個人の課題に落とし込む
 10回目の全体発表後、11回目では、個人プレゼンテーションが行われる。それまでの学びを振り返り、自分が所属する組織、または社会にTCLでの学びをどう生かしていくかを発表する場だ。
 さらに、講座修了の4か月後、受講者が再度集まるフォローアッププログラムを1日実施している。それぞれの受講生が、自身の職場に戻り、プログラムでの学びを生かして何を実践し、どんな価値を生み出したかといった、現在の活動を共有する。
 「講座を提供して終わりではなく、講座での学びを生かして、職場で成果を出すことを重視しています。デザイン経営は、一般的にはまだ知名度が低く、職場で理解を得にくい状況もあります。職場でいい成果を得られるようにするためにどうすればよいのかを、苦楽を分かち合った仲間とともに考える場にしています」(丸橋特任准教授)
5.修了生のネットワークを構築
 修了生が交流する「TCLアルムナイ」組織を発足させ、定期的に会合を開き、情報交換やデザイン経営の自社への導入の支援などを行っている。
 「受講時期が異なっても、同じ経験をした仲間として、年齢や業種、立場を超えた交流が生まれています。仕事面だけでなく、食事をしたり、遊びに出かけたりと、よき仲間となっています」(丸橋特任准教授)

「もやもや」に徹底的に向き合うことで、局面を打開できる

 PBLで丸橋特任准教授が注視しているのは、チーム内での対話の量だ。プロジェクトチームの活動は、各チームに委ねられており、例えば、「活動は22時まで」「違和感があったら平日でもミーティングを行う」など、チームごとにルールを決めたり、合意を得たりして進めている。それでも、第7期までの結果を踏まえると、チームでの会話の量と発表内容の質には相関関係があると、丸橋特任准教授は語る。
 「チームとして、コミュニケーションの量が多いのは、それだけ各自が考えを出し合い、徹底的に違和感に向き合っているということです。議論は侃々諤々で、プロトタイプの数が増えていきますが、その過程で局面を打開する瞬間が訪れ、アウトプットのレベルが格段にアップしていきます」
 そうしたチームでの対話が活性するよう、チームビルディングを重視。2日間かけて、各自のパーパスや価値観などを可視化した上でチームを組み、チームビルディングの講義を挟んでさらに2日間をチームづくりに費やす。
 「発言は得意だけど、書くのは苦手など、強みや弱みを共有する場を設けています。事前にチームで苦手などを共有、自己開示することによって、自分を出してもよい安心・安全な場になります。それによって、チームにコミットでき、対話が増え、それが質に転換していきます」(丸橋特任准教授)
 2022年9〜11月の第7期のあるチームは、メンバーのライフスタイルの違いを考慮して、開講日のみに議論や作業をし、大きな議論の衝突もなく順調にチームとしてのアイデアを固めていた。ところが、6日目に、丸橋特任准教授から「チームのコミュニケーション量は、足りていますか?」という問いかけがあった。メンバーの1人は、次のように振り返る。
 「正直に言って、痛いところを突かれたと思いました。私たちのチームは、コンセプトも成果物もまとまっていて、順調すぎるくらいうまく進んでいました。しかし、ほかのチームを見ると、開講日以外も作業をしています。私たちは、授業とSNSのやり取りだけでまとめて、本当によいのかといったもやもやをそれぞれが抱えていました」
 その日を境に、毎晩オンラインで集まり、対話を積み重ねた。ビジョン以外は白紙になり、How might we(「我々はどうすれば〇〇できるか」という形で解くべき問題を定義する方法)とコンセプトの間を何度も反復していくと、お互いの理解が格段に深まり、プロジェクトへの温度感がともに上がっていった。そして、メンバー全員が納得する成果物ができあがったという(写真2)。
 「1人で集中して取り組めば、作業ははかどり、コンセプトもぶれずに進みますが、自分1人では、ここまでたどりつきませんでした。チームでの作業は、意思疎通を図りながらするという意味で大変でしたが、飛躍的にジャンプできることを実感しました」
 丸橋特任准教授は、これまでの経験から、該当のチームは対話が少なく、今後行き詰まるだろうと考えて声をかけたという。実際、その一言がチームを大きく変えた。
写真2 丸橋特任准教授の一声で、対話の量が格段に増えたチーム。もやもやと徹底的に向き合ったことで、メンバー全員が納得する成果物ができた。
写真2 丸橋特任准教授の一声で、対話の量が格段に増えたチーム。もやもやと徹底的に向き合ったことで、メンバー全員が納得する成果物ができた。

新規事業の立ち上げや大学院入学など、それぞれの目標に向けて一歩踏み出す

第7期では、6つのチームが次の製品・サービスを提案した。
  • 手持ちのジャケットの裏地を、お客様の秘めた内面を表すデザインにし、製作するサービス
  • 心の状態を可視化し、励ましやアドバイスを表示するパーソナルウォッチ
  • テーマを設けた4つの浴槽を設け、自分と向き合い、他者との対話を楽しむ銭湯
  • 自分のもやもやに応じたオリジナルソングを制作し、それを聞いた人からメッセージが届くアプリ(写真3)
  • 毎月テーマを設けて、人との出会いを後押しするBar(写真4)
  • チョコレートを1粒ずつ食べながら、自分の大事なものを見つけていくギフトボックス
写真3 あるチームは、もやもやを吹き込むと、それに応じたオリジナルソングが流れてくるアプリを提案。チームの問題意識とそれに対応したサービスの内容を説明し、アプリのモデル画面もプレゼンした。
写真3 あるチームは、もやもやを吹き込むと、それに応じたオリジナルソングが流れてくるアプリを提案。チームの問題意識とそれに対応したサービスの内容を説明し、アプリのモデル画面もプレゼンした。
写真4 毎月テーマを設けて、人との出会いを後押しするBarの発表では、入店者に配布するBarの説明書と使用するコースターを会場にいる全員に配布し、Barを具体的にイメージできるようにしていた。
写真4 毎月テーマを設けて、人との出会いを後押しするBarの発表では、入店者に配布するBarの説明書と使用するコースターを会場にいる全員に配布し、Barを具体的にイメージできるようにしていた。
 講座修了後、受講者からは次のような声が上がった。
 「講座を通じて、手を動かしながら言葉にならない部分も含めて考えることが習慣化されました。仕事では左脳ばかりを使っていましたが、絵や形にして、右脳も使って考えることで、アイデアに磨きがかかっていくのを実感しました」
 「仕事では予算があり、使える技術などが決まっていますが、今回のプロジェクトでは、自分たちの違和感から創り出しました。だからこそ、ちょっとしたもやもやを無視せずに、意見を出し合い、納得できるいいものができ、曖昧さを残さないことの重要性を学びました」
 また、代表取締役を務めているという受講生は、講座での学びを生かして、会社のパーパスづくりをするという。「会社の有志を集めて、2023年2月までにパーパスを固める予定です。チームでの対話の重要性に気づいたので、会社経営に活用していきます」
 3か月間の濃密な学びは、受講生に大きな影響を与えている。国内外の美術系大学に進学したり、社内に新たにデザイン関連の部署を立ち上げたり、転職をしたりと、それぞれの目標に向かって実際に動いている。社内研修の一環として社員に受講を奨励している企業では、「人生が変わる3か月間」と告知して社内募集をしているという。
 また、TCLアルムナイでの交流から、有志がチームを組み、中高生向けの進路アドバイスのサービスの実用化に動いている。中高生や教員に話を聞いてニーズを調査し、クラウドファンディングで資金調達に動くなど、メンバーそれぞれが本業のかたわらで活動中だ。
 それらの成果を踏まえ、本講座の展望について、丸橋特任准教授は次のように語る。
 「講師陣のスケジュールの問題もあり、規模拡大に簡単には踏み切れません。一方で、遠方からの受講生も多く、地方でのニーズがあることは実感しています。プログラムの質を維持しつつ、そうした期待にどのように応えていくのかが、今後の検討課題です」
取材日:2022年11月5日