2023/01/13

【授業レポート】倫理観(大学2年生対象)仏教学者である西本照真武蔵野大学学長が登壇「自分の軸は何か」「どうすれば人としての正しさを保てるのか」に正面から向き合う

武蔵野大学 アントレプレナーシップ学部 連載第5回
2021年4月、武蔵野大学に日本で初めて設置された「アントレプレナーシップ学部」(以下、EMC)。多くの実務家教員による指導の下、カリキュラムの3つの系統「マインド」「スキル」「アクション」(図1)を軸に、学生にアントレプレナーシップ(起業家精神)を育む様子を4回にわたってリポートしてきた。
連載第5回は、2年次の必修科目「倫理観」の授業をリポートする。「マインド」系科目の1つであり、EMCがアントレプレナーシップに必須の要素と定義している倫理観について、学生が考えを深めていく科目だ。
図1 アントレプレナーシップ学部のカリキュラムの構造
お話を聞いた方
西本照真

西本照真

武蔵野大学学長、アントレプレナーシップ学部 教授
東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専攻博士課程を単位取得後退学。博士(文学、東京大学)。1997年に武蔵野女子大学(現 武蔵野大学)文学部人間関係学科専任講師に就任。武蔵野大学附属幼稚園園長、学校法人武蔵野大学理事、武蔵野大学人間関係学部(現 人間科学部)学部長、同大学大学院仏教学研究科研究科長等を歴任。著書に、『三階教の研究』(春秋社)、『「華厳経」を読む』(角川学芸出版)等多数。
伊藤羊一

伊藤羊一

アントレプレナーシップ学部 学部長
東京大学経済学部卒業。株式会社日本興業銀行、プラス株式会社を経て、2015年ヤフー株式会社入社、Zホールディングス株式会社に商号変更後、Zアカデミア学長として、次世代リーダーを育成。グロービス経営大学院客員教授、株式会社ウェイウェイ代表。2021年より現職を兼務。主著に『1分で話せ』(SBクリエイティブ)、『FREE, FLAT, FUN これからの僕たちに必要なマインド』(KADOKAWA)、『「僕たちのチーム」のつくりかた メンバーの強みを活かしきるリーダーシップ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)等。

社会で活動を始める時期に、自身の倫理観と向き合う

 EMCでは、アントレプレナーシップを「高い志と倫理観に基づき、失敗を恐れずに踏み出し、新たな価値を生み出すマインド」と定義している。世界をよりよくしていくためには、高い志とともに、人としての正しさを強く認識し、守るべき善悪や是非を判断できる倫理観が必要不可欠といった考えが根底にある。そうした高い倫理観とは何かを学ぶ場として、2年次3学期(9月~11月)に必修科目「倫理観1」を開講している。
 開講の時期を2年次3学期としているのは、学生が授業の一環として社会での活動を本格化させる時期を踏まえてのことだ。伊藤羊一学部長は、次のように説明する。
 「2年次の夏以降、インターンシップが本格化し、プロジェクトやゼミナールの授業では、自分たちのアイデアを形にし、社会で実践していきます。社会で活動する以上、社会の一員として、学生には倫理観を強く意識して行動してほしいと考えています」
 授業では、食品偽装問題や大学スポーツの不祥事など、社会で起きた倫理観が問われた事件を取り上げ、倫理観とは何か、人はなぜ不正を犯すのか、どうすれば倫理観を高めることができるのか、といったことを、個人ワークとグループでの対話を通じて考える。
■「倫理観1」の概要
◎履修者(必修科目):アントレプレナーシップ学部2年生 60人
◎単元計画(2年次3学期に開講)
「倫理観1」の概要
※武蔵野大学では、1コマ100分間。

「戦争が好き」と綴る詩の作者に、手紙で何を伝えるか

 同科目は伊藤学部長の担当だが、今回取材した5週目の授業には、EMCの教授でもある仏教学者の西本照真学長が登壇した。
 授業の導入では、西本学長が、お寺の子に生まれた自身の倫理観にかかわる経験を語った。幼少期に、近隣の畑からスイカを取って食べようとしたが、そこにいるはずのない祖母の声が聞こえて思いとどまったこと。中学時代に学校で悪さをした時に、自宅の本堂で父親から「仏様が悲しんでおられるよなあ」と言われ、怒鳴られるよりも心に堪えたことなどだ。
 その上で、西本学長は学生にこう語りかけた。
 「この世の中で、誰が悪いのか。あなたが悪いのか、私が悪いのか、それとも、あなたも私も悪いのか。そんなことを一緒に考えてみたいと思います」
 西本学長がワークの題材に示したのは、18歳の女性が書いた「一番好きなもの」というタイトルの詩だ。約30年前、西本学長自身が寺の案内書で読み、衝撃を受けた詩である。
◎詩の概要
「私が好きなもの」として、「高速道路、スモッグで汚れた風、魚の死んでいる海、ゴミでいっぱいの街」が挙げられている。「殺人、詐欺、交通事故、そしてなにより戦争」が好きであり、「人が次から次へと死んでいくことを思うと、心がゆったり」するとし、「無感情な時の流れに、たまらなく喜びを感じる」と締めくくられている。
◎ワークの内容
西本学長は、詩の最後の5行をあえて伏せて、ワーク1を実施した。そして、本当は5行の続きがあると明かした上で、ワーク2を行った(写真1・2)。
ワーク1 ワークシートに、作者宛てに手紙を書く(無記名)。それを回し読みして、みんなに知ってほしいと思った手紙を3人が発表。
ワーク2 詩には5行の続きがあり、作者になったつもりで5行を書き足す(無記名)。それも回し読みして、みんなに知ってほしいと思った残り5行を3人が発表。
ワーク3 ワーク1・2を通じて感じたことや考えたことをグループで話し、3人が発表。
写真1 詩を読み、作者に手紙を書く、詩の続きを書くワークに取り組む学生。
写真1 詩を読み、作者に手紙を書く、詩の続きを書くワークに取り組む学生。
写真2 学生が書いたワークシート。
写真2 学生が書いたワークシート。
 ワーク1で書いた手紙には、作者を非難する内容のものがある一方、普通は忌み嫌われるものを「好きだ」という作者の心情を察すると苦しいというものもあった。
 ワーク2で書いた詩の加筆には、この詩は反意的な内容であり、「好きだ」とするものが嫌いであると捉えた内容や、作者はこの状況から助けてほしいと訴えているとする内容などが挙がった。
 最後に、ワーク1・2を通じて感じたことや考えたことでは、次のような発表があった(写真3)。
 「作者に宛てた手紙の中に、『みんな、誰かを傷つけています』という一節がありました。それを読み、この詩は、無意識に他者を傷つけていることを訴えているのだと感じました」
 「5行の加筆では、最後まで社会全体が嫌いと綴って終わるものや、最初に文章を悪い例として、それを疑問に思う人が好きだというものもあり、人によって捉え方は様々なのだと改めて思いました」
 「詩を文字通りに捉えたら、作者の考えていることに疑問しか感じませんが、見方を変えると、『科学が発展した町が好き』とも捉えられると思いました。書き方次第で、読み手の感情を揺さぶることができるのだと実感しました」
写真3 詩が訴えていることは何かを想像したという学生の発言に対し、西本学長は、詩が発するメッセージについて語った。
写真3 詩が訴えていることは何かを想像したという学生の発言に対し、西本学長は、詩が発するメッセージについて語った。

自分か、あなたか。倫理観のベクトルは、誰に向いているのか

 すべてのワークを終えると、西本学長は、伏せてあった最後の5行、「こんな私を助けてください 誰か助けてください(中略)私の名前は人間といいます」を読み上げた。そして、自分が最初に詩を読んだ時、詩の内容から作者が抱える心の闇を感じ、作者に批判的な姿勢で読み進めていったが、最後の5行を読み、それまで作者に向いていた倫理観のベクトルが、自分に向けられたと話した。
 「自分は正しくて、相手は間違っているというベクトルの向き方だけでは、どちらが正しいかの競争になり、ぶつかり合うしかありません。それが、今の国際社会における紛争にもつながっていると思います。ベクトルを相手に向けるだけでは、平和で安らかな世界は生まれないのではないでしょうか」
 続いて、西本学長が読み解いた、詩が伝えたいことを語った。
 「作者は、倫理観のベクトルを自分に向けて、同じ人間同士が苦しみの中におとしめ合っている状況について、人間はそんな存在なのか、一体どうしたらいいのかと問いかけています。命にはいろいろな側面がありますが、この詩が訴えかけている命の側面は、私たち人間は悲しい命を抱えているのではないか、ということです。自分中心であるけれども、他者を介さなければ命の営みはありません。その命の悲しさ、愚昧さ、残虐さ、自己中心性、それは決して、作者のことではなく、ほかの誰のことでもなく、私自身がそういった側面を抱えているということではないでしょうか」
 そして、倫理観のベクトルを考える上でヒントとして、荘子の『渾沌』や、下村湖人の『お母さんのかんじょう書き』、相田みつをや磯村英樹の詩などを紹介した。
 「高い倫理観を目指して、鍛えることは大切ですが、同時に、自分自身を見つめる目を持ち続けなければいけません。倫理観のベクトルは、今どこを向いているのかを意識しつつ、自らを映す鏡を求め続けて、磨いていってください」と語った(写真4)。
写真4 授業の最後に、西本学長は倫理観を考える上で大切なことを問いかけた。
写真4 授業の最後に、西本学長は倫理観を考える上で大切なことを問いかけた。

倫理観を高めるために続けたい5つのこととは?

 5週目の授業のように、この「倫理観」の授業は、実例とワークを通じて、学生が抱いている倫理観を揺さぶり、「自分自身が正しいと思えることは何か?」を問い続ける。
 そして、最終回となる7週目の授業で、学生が各自、前日までにレポートにまとめた内容、①授業での気づき、学び、②自分の倫理観の基準、そう考える理由、③自身の倫理観を守る上での難所と、それを乗り越える鍛え方、についてグループで対話をした。そして、②や③について、数人の学生が発表した。
 「私の倫理観の軸は、自分が他者にされて迷惑だと思うことをしないことです。その倫理観を他者に期待しているわけですが、裏切られた時には悲しみや怒りが生まれると思います。それをどう制御するかが、倫理観を鍛えることにつながると考えています」
 「かっこいいか、かっこよくないか、それが自分の軸です。自分の倫理観を正常に向けさせてくれる人を自分の中に持つことで、周りから圧力があっても、正しくいられるようにしたいと思っています」
 「倫理観は環境に左右されるものだと思うので、違和感があるなら、自分から環境を変えるように動いていこうと考えました。そして、自分の言動を客観的に見る努力を続けていきたいです」
 伊藤学部長が再三、強調したのは、「価値観」と「倫理観」の違いだ。
 価値観は、何に価値を持つかであり、人それぞれ違っているものであり、他者に押しつけるものではない。一方、倫理観は、人として守るべき善悪や是非の判断、判断基準についての捉え方・考え方だと、改めて伝えた。
 「倫理観は、価値観の一種ですが、その場所、その時代に生きる人たちが合意形成をしていくものです。例えば、今の日本の倫理観は、アメリカやイスラム圏では通用しない場合があります。つまり、正解はありません。だからこそ、自分なりの軸を持ち、それを社会に働きかけていくことが、よりよい社会を築く上で大事になります」と、学生に語りかけた。
 そして、倫理観を高めるためにすべきこととして、①自分の基準を持つこと、②毎日考えること、③周囲と話すこと、④行動すること、⑤高い志を持つことの5つを挙げ、具体例を交えながらその重要性を強調して、授業を締めくくった。
取材日:2022年10月26日、11月9日
連載第6回、7回は、実際に行動し、実現に向けて動く「アクション」系科目である1年次、2年次通年で履修する必須科目「プロジェクト」の最終発表を中心に学生の取り組みをリポートする。