2015/07/22
第75回 「子どもの未来を考える」③~保育の質向上における保護者の役割~
主任研究員 劉 愛萍
「小皇帝の涙」:受験競争に巻き込まれる子どもたち
2008年のお正月番組で、NHKが「小皇帝の涙」というドキュメンタリーを放映した。中国の一人っ子政策実施以降に生まれた子どもたちは、両親と祖父母による6ポケットで過保護にされ、まるで「小皇帝」のようだと世間に揶揄されている。しかし、その「小皇帝」と親たちは、し烈な受験戦争に巻き込まれ、壮絶なドラマが展開されている実態が伝えられた。それによって中国の子どもたちに対し「かわいそう」とか、「詰め込み教育で、受験戦争に巻き込まれている」というイメージが持たれるようになった。さらに、その2~3年後、アメリカに住む中国人が二人の子どもを中国式スパルタ教育を施した子育て体験本『タイガー・マザー』を出版した。世界16カ国で翻訳され、ベストセラーとなったことで、こうした猛烈な教育熱心の親を「タイガー・マザー」と呼び、中国の「タイガー・マザー」たちは世界中に知れ渡った。
中国では昔から遊びは学びとは対立する位置にあった。「業精於勤荒於嬉(業は勤むるに精しくて、嬉しむるに荒み)」、「玩物喪志(遊びによって志を失う)」などということわざが象徴的である。すなわち、遊んでばかりでは業を成し遂げることができないという考え方だ。
その伝統的な遊びと学び観も、社会の変化や海外との交流などによって、少しずつ変わり始めた。遊びは幼児期にとって重要な活動であるという認識が2000年代初めごろから持たれ始めた。しかし、その当時視察した中国のブロックを用いた教育では、部屋の中央のモニターにブロックで作った素晴らしい作品を映し出し、子どもたちはそれを見本として、忠実に再現していた。本来の遊びとはかなり距離があるように感じていた。
あれから10数年の実践や議論を経て、最近の中国の保育はどう変化しているのか。今年4月に上海で遊びを中心に据え、徹底的にレッジョ・エミリアの実践を中国ローカル化し展開したモデル幼稚園を見学した。
こうした取り組みは、中国ではまだ一部ではあるが、教育熱心な中国において、能動的な学び中心のこの園がなぜ成功しているのかをひも解いてみよう。
受験競争と真反対にいるレッジョの子どもたち
見学した幼稚園は上海市の中で遊びを中心とした保育で優れた実践をしたモデル園である。15年ほど前から、イタリアのレッジョ・エミリアをモデルに試行錯誤して実践を重ねてきた。子どもたちが「I can」(「できる」自信)、「I say」(「言える」表現力)、「I do」(「手を動かす」体験)、「I think」(「考え・創造する」)できるように、保育環境を整え、教師がかかわっているのが園の特徴だ。
まず案内されたのは、3歳児クラス。入口から入ってまっすぐ目の前大きなアルミホイルのホースが目に入る。子どもたちはそのホースの中に入り、ジャンプしたり、ハイハイしたり、蛇の脱皮のマネをしたりとマイペースで自由に遊んでいた。また別のコーナーでは粘土で小龍包を作る子もいれば、塗料で果物ジュース作りに夢中の子や磁石で想像に任せて絵を描く子、バーベーキューを楽しむ子もいた。
続いて、4歳児、5歳児のクラスを別々に案内された。4歳児クラスでは、ワイヤを使って大きな輪を作ったり、花やメガネなど好きな作品を作っている子どもたちの姿が印象的であった。5歳児クラスの「光」と「影」の部屋では、中国の学会や専門家からよく耳にする有名なコーナー「影クイズ」に出合えた。当園の美術担当の教師が発案した装置で、手作りのプラスチックのチップを型に挿し、光を当てることで、影の模様が壁に写し出される。チップの形、光の当て具合によって模様が変わり、動くこともできる。
ある子どもは、私たちがほかの子どもといろいろ話をしながら見学していることにまったく影響されずに、手に持った透明なホースと色のついたホースを光に照らし、その影の違いを何度も何度も不思議そうに試していた。
1時間ほどの見学だったが、子どもたちが伸び伸びと遊ぶ姿がとても印象的であった。また、遊びの素材は地域の方からのリサイクル品や教師による手作りのものが多く、既成のおもちゃよりも自由な発想で、子どもたちの工夫次第で遊びが変化することも特徴であった。
この園で見た子どもたちは涙の「小皇帝」たちとは全く異なった表情で、勉強に向かうエネルギーが遊びに向かっているように見える。
しかし、このような取り組みは、教育熱心でまるで「タイガー・マザー」のような中国の親たちにどのぐらい理解されているのだろうか。それとも教育熱心な親層が減ったのだろうか。
そんな疑問を園長先生にぶつけてみた。
保護者の理解と協力は園運営の支え
学歴社会が変わらない限り、親たちは、子どもへの高い学歴を望むだろう。そのため、子どもたちが無駄な遊びをさせる時間が勿体ないと考える保護者には、遊びの意味をきちんと説明し、理解してもらう必要がある。
「遊びの中には必ず学びがある」と自信にあふれた口調で語ってくれた園長先生。保護者会では、「光」と「影」の活動を例に、親たちに以下のように説明していたようだ。
「光と影の活動をしている子どもたちは生き生きしています。子どもがこんなに楽しく、夢中になれることはありますか?そして、ただ遊んでいるように見えるかもしれませんが、この活動を通して、子どもたちは、立体図面への感覚的な理解、光と影の関係への理解など、科学的な知識を知らず知らずに体得しています。そんな魅力的な学習がかつてあったのでしょうか。」
保護者も子どもたちの生き生きした姿を目の当たりにしたり、帰宅後に園の体験や学んだことを熱く語ったりすることを見て、思わずうなずき共感し、園の活動に理解を示し、積極的な協力サポート関係が築かれているようだ。
実際に保護者のアイディアで子どもたちと一緒に作られた「作品」もあった。それは、4月の活動テーマ「管」の中から生まれた、段ボール製の「人体模型」だ。生活の中には、たくさんの「管」がある。水道、ホース、パイプなど、生活の中では欠かせない役割を果たしている。ひとりの子どもが、私たちの体の中でも「管」があるのでは?と問題提起した。体の中の「管」はどんな形をしているのか、何種類あるのか、それぞれどんな役割を果たしているのか、を調べることにした。図書館で調べたり、保護者に聞いたりする活動をする中で、医者である保護者が「人体模型」を作ることを提案してくれた。子どもたちは自宅から廃段ボールやホースなどを集め、その保護者に教えてもらいながら、写真のような「人体模型」を作り上げたそうだ。
この活動を通して、子どもたちは、楽しく夢中に作る体験をしながら、小学校の高学年で学ぶ生物の知識を体得した。自分たちが問題意識をもち、課題を設定し、調べ学習や保護者の協力を通して自ら学ぶことによって、より高度な学習活動につながった貴重な事例と言えるだろう。保護者はもはや園のサービスを受ける「お客様」という受動的な存在ではなく、子どもの育ちをともに考える園の「パートナー」という能動的な存在なのである。
一見遊んでいる活動の中に、学びの要素を見える形で保護者に説明することで園への理解をはかり、保護者を巻き込み、子どもの育ちを一緒に考える園と保護者のパートナーシップが、保育活動を成功させるひとつ重要な要素ではないだろうか。
まとめにかえて
レッジョ・エミリアを参考に、園独自の理念を子どもの「I can」「I say」「I do」「I think」というわかりやすい方針に変えて、そして見事に子どもの能動的な学習を実現していく当園の試み。子どもの遊びが学びにつながることが見えるよう、中国の「タイガー・マザー」たちへ説明し、保護者の園への理解、さらに能動的な関わりへと結びついたこの事例は、日本の保育も参考にすべき取り組みではないだろうか。
社会のグローバル化が進み、日本でも21世紀スキルやアクティブ・ラーニングについての議論が盛んになってきている。幼稚園、学校教育の中でも、自主的な学びが求められており、イノベーションを起こせる人材の育成は喫緊な課題となってきている。幼児期は遊びを通じて能動的な学びが必要である。しかし、保護者のニーズは多様化し、「遊んでばかり」だと、目に見えない成果へ不安を抱く保護者もいる。
園の活動を支える基盤の重要な要素としては、やはり保護者の理解と協力が挙げられる。海外では親が園の運営や活動に積極的に参加することは普通に行われており、『親が参画する保育をつくる』(池本美香編著、勁草書房)では、親の力を生かす12カ国を取り上げている。
今回紹介した中国上海での実践は一例ではあるが、日本の保育に少しでも参考になるところがあればと願う。
著者プロフィール
劉 愛萍
りゅう あいぴん
りゅう あいぴん
1996年(株)ベネッセコーポレーションに入社後、語学事業の立ち上げ、教材編集、マーケティング等を経て、現在はベネッセ教育総合研究所に所属し、チャイルド・リサーチ・ネットの活動を運営。 ※チャイルド・リサーチ・ネット(Child Research Net: CRN)世界の子どもを取り巻く諸問題を解決するために、従来の学問分野を越えて学際的な研究を集め、日・英・中の3言語で情報収集・発信をしているインターネット上の「子ども学」研究サイト