2017/02/09

Shift│第15回 ニューロダイバーシティ教育が、未来のイノベーションを生みだす -突出した個人の将来を追求する人間支援工学者の挑戦- [2/5]

字が書けないことと、知能が高い低いは無関係

 中邑さんは香川大学で助教授を務めた後、米英の大学で客員教授を経て、2005年に東京大学先端科学技術研究センター特任教授に就任し、「DO-IT Japan」の設立に大きく関わる。
 「DO-IT」とは「Diversity, Opportunities, Internetworking and Technology」の略だ。障害や病気をもつ子どもたちの将来をITで支援するための活動で、子どもたちの高等教育への進学や、その後の就労への移行支援を行っている。
 中邑さんは、「DO-IT Japan」について、次のように説明した。
 「DO-ITは大学などの高等教育を受けたいとか、就労したい子どもたちにICT機器を渡して、学んで、働いてもらおうというプロジェクトです。特に入試はICT機器を活用して受験することに高いハードルがあります。この壁をぶち破ろうということで、障害のある子どもたちにアプリを入れたタブレットやパソコンを配り、最適な勉強の仕方と試験を受ける方法を教えて、受験しなさいという活動です。一方で、教育委員会や大学入試センターなどにその合理性を説明し、現状の制度変更を訴えかけていく活動でもあります」
 「DO-IT Japan」では、例えば、文字の読み書きが苦手な子どもたちのために、新しい学びのスタイルを提示している。中邑さんは、知的な遅れがないにもかかわらず、読むことや書くことが苦手な子どもたちの現状について、次のように話した。
 「例えば、書字障害の子どもは大勢います。彼らは、書けないわけではなく、書けます。字もきれい、漢字も知っています。だから、たいていの場合、学校側は彼らには問題がないと思ってしまいます。ですが、実際は書く速度がすごく遅い。子どもたちは、速く書けないと中学校で不適応を起こします。小学校の時に比べて板書量は多くなり、そのノートの提出を求められる。感想文なども自筆で書かされます。結果、学校に行かなくなる子どもはたくさんいるのです」
 書字ができない子どもたちは「サボっている」と見られることが多々あり、当人たちは「自分はダメな人間だ」とふさぎ込んでしまい、登校できなくなるという悪循環に陥る。中邑さんが、彼らに「本当に書けないの?」と聞くと「書けます」と返ってくる。「だけど遅いの?」と続けると「遅いです」と。そこで「しんどかったな」と声をかけてあげると、「はい」となる。中邑さんは、これまで子どもたちとさんざんそうしたやりとりを続けてきた。
 こういった子どもたちは書くのが遅いので、学校の試験ではたいてい最後の問題までたどり着かず、点数は低くなる。中邑さんはそんな子どもたちに対して、「彼らは書字が苦手なだけで、頭が悪いわけではないです。字が書けないことと知能は関係ありません。書字はテクノロジーを使って補えばいい」と言い続けている。「DO-IT Japan」では、そういう支援を実践しているのだ。
中邑賢龍教授
 中邑さんはこうも言う。
 「腹が立つじゃないですか。なんでこの子たちがこんなにいじめられなきゃいけないのか、差別されなきゃいけないのか。普通の学校は、字を書くのが苦手な子どもにも同じように書かせます。
 だから、そういう子どもは、帰宅してから夜の9時頃までの時間を宿題に費やします。当然、遊びには行けません。そういう様子を見て、なんとも思わないことのほうが僕は何かおかしいと思います。子どもたちのことをもっと注意深く見ないといけません」
 実際にそのように中邑さんが話すと、「子どもが漢字を書けなくてもいいと思うのですか」と言われることもある。字は書けないよりも書けたほうがいいに決まっているが、書けない子どもがいたら、それはそれで仕方がないだろうというのが中邑さんの考えだ。

東京大学の教授は、世の中を動かす義務がある

 他方、中邑さんは東京大学の教授という立場でもある。中邑さんは「そういう立場だからこそできること」にこだわりをもつ。
 「日本の教育は制度に厳しく準拠して進めるから、制度を変えない限り現状は変わらない。だから、まずは民意から変えていこうと思っているわけです。僕は幸い東京大学の教授という立場にあります。僕個人が何かできるわけじゃない。でも、肩書きがあるからできることがある。こういうポジションにいる人は、この肩書きを使って世の中を動かす義務があると思います」
 文字が書けない子どもはワープロを使えばいいと、十数年来言い続けてきた中邑さんだが、最近は少し風向きが良くなってきたと感じている。2016年4月から施行された、障害者差別解消法の影響がその理由だ。教育現場でも、合理的な配慮という考え方が少しずつキーワードとして出てくるようになったという。
 教育領域での合理的配慮とは、それまでの現場のしきたりに縛られて書字が困難な人に無理に筆記用具で書かせようとしたり、発声が困難な人に電話をさせたりするのではなく、ワープロの文字やデジタル機器を使ったメッセージでのやりとりなどを認めるのはもちろん、学校や教室においてそれらの使用を考慮した変更や調整を行わなければならないことを指す。とはいえ、法律は施行されたばかり。社会の仕組みが根本から変わるには時間がかかりそうだ。中邑さんは、この法律にまつわる社会の現状について次のように話す。
 「面白いことに、僕の大学の研究室には一般の会社をクビになった人がたくさんいます。彼らにクビになった理由を聞くと、例えば、会社を病欠するときに電話をかけられず無断欠勤扱いにされたからだという。電話ができないのなら、メールで連絡をすればいいじゃないかと言うと、会社の規則でダメだからと。また、研究室の別の人間は、文章を書いて送ることもできない。こういう人の病欠の連絡は、LINEのスタンプでもいいと思うのですが、普通の組織はそこまで柔軟には対応できていません」
 中邑さんは、「DO-IT Japan」でやるべきことはまだあるが、この活動は一定の軌道に乗ったので、プロジェクトリーダーを後継者に譲った。彼の軸足は、次なる活動にシフトしている。それが、冒頭でも触れた「ROCKET」プロジェクトである。