2016/02/29
Shift│第12回 「おおさか☆みらいシティ」から考える、「10年後になくなる職業」の意味 -小学生がつくる未来の街を歩いて- [3/4]
日本のエリートたちに突き付けられた学び直し
取材班が「おおさか☆みらいシティ」のことを知ったのは、京都大学総合博物館の准教授、塩瀬隆之さんとの出合いからだ。塩瀬さんは、東日本大震災をきっかけに、本当に社会で必要とされる仕事と学び方は何だろうという問題意識から、京都大学を飛び出して、一時期は経済産業省にも勤務していた変わり種である。彼が関心をもっていたのは、20年前に大学の工学部を優秀な成績で卒業してエンジニアになった人々が、時代の変化に左右されずに活躍できているかどうかだった。
インタビューに応える塩瀬さん
「20年前、大学の工学部を卒業した人たちは、当時の日本経済を支えていた半導体事業や自動車産業にこぞって入っていきました。しかし、半導体業界は急激に失速。まさか自分の前に大きな壁が立ちはだかるとは思ってもみなかったのです。ただ、重要なのは、実際にそうなってしまったときの行動です。どんなふうに路線を変更して、働き直すという選択肢も選べるかということです。
しかし、ある調査によると、90%のエンジニアが『すでに自分たちの働いている分野には未来がない』と回答しているにもかかわらず、そのうち73%は『今の分野でそのまま仕事を続けたい』と回答していました。これは、いまだに『勤め上げる』という言葉が残っているように、何かひとつの仕事を一意専心で継続することこそに価値があるいう認識があるからです。つまり、そういう認識以外の働き方について見聞がないこと、そもそもの学び方、キャリア教育に問題があるということです」と塩瀬さん。
一方で、OECDが2011年に行った調査では、25歳以上の人が大学などの高等教育機関で学び直す比率は加盟国平均は20%であるのに対して、日本は2%という結果だった。この「一度社会に出たら、学び直す機会がない」という文化も、うまく機能していた時代は良かったが、現代では日本の抱える大きな課題だという。
塩瀬さんは、学び直すことを必然性をもって感覚的に受け入れられない大人よりも、社会に出る前の子どもや学生ひとり一人の背中を押していくことが、社会に強いインパクトを与えられるのではないかと考え、経済産業省から教育現場である京都大学に戻った。
安心して挑戦し、失敗し、再挑戦できる街を
現在、塩瀬さんが「ミニ・シティ」に関わる理由を次のように話してくれた。
「企業が周到な準備をしてくれる職業体験では、パッケージ化された仕事を子どもたちに体験させるのですが、『ミニ・シティ』は正反対。子どもたちが自分で職業を決め、自分たちで仕事をつくりだすのです。だから、好きな職業になれる。例えば、砂鉄が好きだからと『砂鉄屋』を開くことはできますが、実際には需要がないでしょうから、その店は長続きしません。そうすると、職業を変える必要が出てくるのです。
「企業が周到な準備をしてくれる職業体験では、パッケージ化された仕事を子どもたちに体験させるのですが、『ミニ・シティ』は正反対。子どもたちが自分で職業を決め、自分たちで仕事をつくりだすのです。だから、好きな職業になれる。例えば、砂鉄が好きだからと『砂鉄屋』を開くことはできますが、実際には需要がないでしょうから、その店は長続きしません。そうすると、職業を変える必要が出てくるのです。
『ミニ・シティ』には、起業も廃業もあります。私はあらかじめ職業が用意され、体験できる環境だけではなく、失敗や成功を繰り返しながら仕事の必要性を自分で知り、必要な職業をつくり出せる『ミニ・シティ』という仕組みに注目しています」
さらに、「ミニ・シティ」の発展形である「ミニ・フューチャーシティ」についても開発中で、2015年11月に同志社大学で開かれたヒューマンインタフェース学会の研究会で塩瀬さんが発表を行った。
ミニ・シティにICTを組み込んだ発展形がミニ・フューチャーシティだ。先述した通り、今ある職業の多くは20年後にはAIやロボットに代替されている可能性が高い。ならば、街にAIやロボットを先に置いてしまおうというのが、ミニ・フューチャーシティのコンセプトのひとつだ。ICTを導入することで、子どもたちの活動ログもリアルタイムで採れるし、イベントの運営コストを下げることもできる。実際、ミニ・シティでは子ども7名に対して大人が1名付いていたが、ミニ・フューチャーシティでは、子ども15名に対して大人1名で済んでいる。大人の手が空いた分、スタッフは子どもたちの一挙手一投足を観察することに集中できるようになったのだ。
もうひとつ、ミニ・フューチャーシティには、ミニ・シティと異なる仮説を盛り込んだ点がある。
「街をつくる仕事や経済活動が、現在の大人がすでに知っているモデルだけではいけないのではないかという点です。ミニ・シティは、花屋さん、本屋さん、八百屋さんなど、大人にとって昔懐かしい商店街になりやすい傾向があります。
しかし、既存の仕事がなくなるかもしれないという危惧がある現在、子どもたちの街が昔の商店で構成されることに疑問をもったのです。そこで、今のデジタルネイティブの子どもたちがつくる未来の街、大人たちが想像も及ばないような街にしてほしいと思ったのが、ミニ・フューチャーシティを開発した理由です」と塩瀬さんは話した。
一方、ICTを導入することで、ミニ・シティが街づくりで大切にしている豊かなコミュニケーションが失われないようにする設計も必要だった。この点は、これまで8年間にわたってミニ・シティでアナログのコミュニケーションを続け、実績を積み重ねてきたcobonのノウハウが大いに活かされた。単純に、ICTシステムをもちこんだ街をつくるのは比較的容易だ。だからこそ、cobonが大切にしてきた「子ども同士のコミュニケーションと創意工夫あふれる温かい街」を残しつつ、ICTシステムを導入することで、新たな価値をもったミニ・フューチャーシティが生まれたのだ。
他方、塩瀬さんは、ミニ・フューチャーシティの最初の開催場所として、大阪を選んだ理由を次のように話してくれた。
「大阪の北エリア開発のおかげで、たくさんの人が集まる活気あふれた場所でスタートを切れたことは重要です。大阪の地にたくさんの知的資本を集めておられるナレッジキャピタルが、私たちの趣旨に賛同してくださり、最初の挑戦を支えてくださいました」
「大阪の北エリア開発のおかげで、たくさんの人が集まる活気あふれた場所でスタートを切れたことは重要です。大阪の地にたくさんの知的資本を集めておられるナレッジキャピタルが、私たちの趣旨に賛同してくださり、最初の挑戦を支えてくださいました」