2015/04/15
[第3回] 高大接続に向けた大学教育の対応 - 移行期の教育活動の効果と課題 - [2/3]
Ⅲ.移行期の教育活動の限界と課題
それでは、なぜ大学は初年次教育に比べて、リメディアル教育や入学前教育に苦慮しているのであろうか。その一端は、図4~図6のそれぞれの課題から推察できる。実は、実施体制面での課題については、それぞれの教育活動にそれほど違いはみられない。入学前教育では「教員の負担が大きい」(51.5%)、リメディアル教育では「実施のためのスタッフが十分にいない」(57.0%)、初年次教育では「実施のためのスタッフが十分にいない」(48.8%)と、およそ半数が実施体制に課題を抱えている。従来の大学教育にはなかったような新たな要素が加わり、大学はその対応に追われているとみることもできる。一見うまくいっているように見える初年次教育さえも、「教員間で初年次教育における指導力にばらつきがある」(51.1%)といった回答が最も多い。実施体制に関しては、これら移行期の教育活動に共通した悩みがあるといえるだろう。
図4 入学前教育の課題(入学前教育実施学科)
図5 リメディアル教育の現状と課題(リメディアル教育実施学科)
図6 初年次教育の現状と課題(初年次教育実施学科)
ところが、実施体制と並んでより深刻なのは学習者の意欲や取り組みの問題である。しかも、こちらは教育活動によってばらつきがみられる。すなわち、入学前教育では「入学予定者の間で、入学前教育に対する取り組み度合いに差がみられる」(61.7%)、リメディアル教育では「リメディアル教育に対する学生の意欲が低い」(58.2%)、初年次教育では「初年次教育に対する学生の意欲が低い」(32.9%)となっている。どうやら入学前教育やリメディアル教育に関しては動機づけが難しいようで、その回答は初年次教育のおよそ倍近くの数に上っているのである。
なるほど、入学前教育の場合は合格が決まった学習者に基礎学力の補強を行っても、動機づけがそれほど高まらないのは無理からぬことかもしれない。リメディアル教育に至ってはなおのこと、大学入学後まで高校や中学の延長のような授業を受けるのは学生にとっては苦痛であるといえるだろう。むしろ、そうした勉強を回避したいような、そこから離脱したいような学生が、大学に入って再び苦手な教科・科目と向き合い、前向きに取り組めるかというと、実際のところかなり難しいのではなかろうか。そもそも、リメディアル教育を受講するといったこと自体がネガティブなイメージを喚起するものといえるかもしれない。しかも、リメディアル教育は冒頭でも述べたように、本来は大学の正規課程に含むべきものではないため、単位認定の対象外になるはずである。今回の調査では、リメディアル教育を正規課程内で実施している学科は全体の25.8%、正規課程外で実施している学科は18.1%、計43.9%で前者のほうが多かった。おそらくその場合は単位認定の範囲内に相当するのだろうが、それでも約6割の学科は学生の意欲を低いと見ているわけである。単位認定外であれば、なおさら動機づけが弱まるであろうことは想像に難くない。
こうした課題は、移行期の教育活動のこれまでの展開過程をたどってみてもよくわかる。リメディアル教育を行う大学が増加するようになったのは、1990年代半ばあたりからである。この時期は、大学進学率が上昇していくなか、高等学校の学習指導要領改訂(1994年施行)による教育課程の多様化とともに、入学者確保への危機意識から大学入学試験の多様化が進んできた頃である。これらが影響し、折しも学生の学力低下や多様化が問題となっていった。文部省の調べでは、1997年当時、既修組・未修組に分けた授業や補習授業など、高等学校での履修状況に配慮した授業科目を開設する大学が、すでに全大学の約42%を占めるようになっていた(文部省大学教育研究会 1998)。しかし、その後リメディアル教育はそれほど増大することなく、それにかわって2000年代に入ってからは新入生が大学生活に円滑に移行・適応するための初年次教育が急速に注目を浴び、隆盛するようになっていったのである。
本稿でも、現在ほとんどの大学で初年次教育が行われているのに対して、リメディアル教育はその半数程度の実施率であることはすでに述べた通りである。これにはリメディアル教育へのニーズに偏りがあり、一部の学生や学科系統にしか当てはまらないということもあるかもしれない。しかし、それ以上に注目すべきは、リメディアル教育のような実践が学生の大学適応に十分な実効性を有するとは限らないことを示唆している点である。すでに当時の報告書にも、学生の未習科目・受験科目・得意科目とリメディアル教育のニーズとの因果関係が不透明で、単なる高校教育の補習では解決しえないことや、学生の能力不足に対する教員と学生の認識に乖離がある、などの諸問題が明らかにされている(荒井編 1996)。高校時代の履修経験や受験勉強の有無がそのまま学生の大学教育へのニーズに直結せず、単純に高校の知識を焼き直しするだけでは事足りないからこそ、今日、初年次教育がこれほどまでに普及してきたとみるべきではないだろうか。およそ20年前の問題状況はいまなお続いているといってよい。