
1966年神奈川県生まれ。中央大学卒。
「教育新聞」記者として文部省をはじめ教育行政の取材を担当。1998年よりフリー。国際ジャーナリスト、カメラマンとしても活躍。共編著に「子ども虐待 教師のための手引き」(時事通信社)他。
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私も、教員の免許があります。2年程教師をしたのですが、やはり、教師のお仕事は大変で、短大卒で、未熟、知識量の不足などで、なかなか、1年目は苦労したのを覚えています。生活時間のすべてを授業に生かそうという程でないと、なかなか教師は認めてもらえないと、自分の子供を持ちまして様々な事柄を、自分の子供と学ぶうちに分かってきました。先生という漢字の意味を考えて見ましても、先に生まれると書きますから、例えば相手の方と同じ年齢や年上の方でもでも、大人という自覚を持って世の中のすべての事柄に中らないといけないと思うようになりました。分からないことがある、知らないことがあるということが、周りの子供たちにいかに損失を与えてしまったかを考えるようになりました。教科が、家政科ですので、今なら、もっときめ細かく詳しく指導することが出来るのではと考えています。親戚に先生のいなかった私はよく分かってませんでした。兄は物理博士ですが、教諭免許はありません。学生時代のお友達に公立の先生をされていらした方がいらっしゃいますが、夜の12時位まで勉強して、朝も5時30分ぐらいには起きていらっしゃったような記憶があります。教師は体力的にも勝ってないとなかなか続きません。最近やっと自分のこととして捉えることが出来るようになりました。(自分の子供に様々な習い事をさせましたので。)あのころは本当に分かってませんでした。毎日何をするべきかを。
あまりにも豊かになり過ぎ、自分で考えることなくレールに乗った生活をしているので、少しでもレールから外れると生活できない人が多くなっているからでは無いでしょうか。
教師は沢山の、いろいろな考えを持った家庭から集まって来ている子たちを一つの考えに納めようとしているのだから大変だと思います。
学校で勉強を受けようと思う気構えが同じでないと難しいと思います。先生と子供の立場を同等にしている家庭が多いから問題が出ると思います。
間違ったことは伝えなければなりませんが。
私は正直言って、鬱病と診断されて求職を願いたくなるほど、教員の職場はゆとりを失ってきています。制度的にゆとりを奪われてきています。教師に気持ちの上でゆとりが、不足しているので、その影響が目に見えない形で、教科指導やクラス運営にひずみが生じていると反省しています。さらに家庭内での親子関係や夫婦関係にもほころびが伝染していると予想しています。今、教員を取り巻く環境は、私が教師になった20数年前とは、はっきり言って違います。社会が変化しているのですから、余りわがままは言えないのです。でもこのままでは、休職者の減少には歯止めがかからないと思います。
私が教師になり始めたとき、当時の校長先生が、これからクラスに1人の不登校生徒がいるようになるかもしれないと警告されました。当時は400人の学年に1名いるかいないかの状況でした。40名のクラスに1名程度の割合になったのはすぐでした。話は違うかもしれませんが、心身疾患の教師が、学校に1名はいる時代が到来しつつあるのではないでしょうか。心配です。
私が中学校を退職したのは10年ほど前ですから、今とは状況が違うと思います。しかし、当時でも30人のクラスに1人不登校児が出ることで、不登校の子の保護者との連絡や相談、家庭訪問、関連教育機関との相談や訪問、教育委員会への報告書の作成、学校内の会議への参加及びそのための資料作成、クラスの保護者への説明など担任として求められました。さらに、学校内での公務分担、地区での教科研究委員会や部活での分担、部活指導や大会への引率、校内校外の行事の参加や準備、研究授業を初めとした研修、そして学級担任としての雑多な事務手続き、日々の授業と、毎日が綱渡りのような生活でした。私は、同僚の先生や生徒・保護者の方々が支えてくださったので幸運にも3月を向かえることができましたが、寝ても、期日厳守の書類の山に追いかけられる夢にうなされ、満足のいく授業ができない自分の未熟さを責め、保護者との関係で「マスコミに公表」「教育委員会に直訴」と言われるような大きな溝が出来たら退職する覚悟で生活していました。後日談ですが、父(中学校教員でした)が、私がクラス担任になると言った時に「生きて帰って来てほしい」と神社に願をかけ、無事終えたときには、お礼の鳥居を奉納したそうです。まだまだ先生様と言われる時代の、そんな考えの強い地方での教員生活ですが、やってみたからこそ、父の行動が物理的にも精神的にも大変だったからだと理解できます。私は、教員の生活を外から見るようになり、初めて、教員の雑多な仕事の量の多さが理解されていないことにびっくりしています。
私の娘の中学校の先生方も休職されたり退職して別の職業に変わられた方が何人もいらっしゃいます。PTAの役員としてよく学校へ行くので雑用の多さ、生徒や保護者への対応の大変さなどしみじみ感じてます。問題を起こしがちな生徒の親は学校へ任せきりなのに問題を起こして指導すると逆切れしてうちの子は悪くないと言い張ります。間に入る先生方が精神的に参ってしまうのは当然と思えます。カウンセラーなど外部の第3者に入ってもらい先生や生徒の心の問題の解決を図って行かなければますます深刻化するばかりです。
今の先生達は、「教師」というより「何でも屋」と言うべきだと思います。本分の「授業」、自分勝手な「親」の指導、不登校生徒及び親のカウンセリング、給食費等の未納者への督促・・・
多種多様な分野での要求を一手に引き受けているような気がします。
能力がある先生は多くの仕事を引き受けさせられ、「できない」と拒否する先生は、定時に帰り・・・
たまに学校に行くことがありますが、遅くまで残って仕事をしている先生はいつも同じであることに頭が下がります。
頑張りすぎる先生ほど、ぴんと張った糸が切れた時の落差は大きいのではないかと思います。
世の中で教師の不祥事が取り上げられますが、もっと先生たちの頑張っている部分を取り上げ、未来のある子供たちが期待できる学校を地域が作り上げることを考えていくべきではないでしょうか?
今頃になってトラック・バックしてと思われるでしょうが、「Yahoo」の08年12月25日付けの各新聞の記事からリンクして来ました。
私は、うつ病で休職3年目の小学校教師です。渡辺悟さんの記事、及び皆さんのトラック・バック、全くおっしゃる通りです。自分が現在置かれている状態を考えると、更にそう思います。
1年目に職場復帰訓練に入ったことがありました。でも、途中で挫折しました。これが最後の機会だったのかもしれません。
今年度末で退職することにしました。自分にはもう、教室で子どもたちと向き合い、教壇に立つ気力と体力がないからです。
でも、教育は何も「学校教育」だけではない、そう「社会教育」という分野があるではないかと、少しは前向きになってきています。
今後の残された人生の生きがいとして、たとえボランティアという形でも(経済的な不安はありますが)、自分の資格と経験を生かして、社会と関わって行きたいと考えております。