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教育再生会議が少し勘違いをしていると思うのは、【いじめを根絶する】という考え方。もちろん、いじめはあってはなりません。しかし、いじめが発生した時に、いじめた人間、いじめられた人間を囲み、仲介する人が現れ、こじれた関係を修復する。それができれば、今よりもずっと子ども達は楽になるのではないでしょうか?
そして子どもたちに修復する力をつけさせてやるのが、親であり、教師であり、地域の大人だと思うのです。
関係修復のための教育をやりもしないで、いじめた人間を処罰しても、どの子もみんな傷つきっぱなしの状態は変わらないのです。
夜回り先生で有名な水谷氏も、大切なのは「和解」と言っています。
人と人を繋ぐ関係を大人が無理だとあきらめてしまっては、子ども達がいったんこじれた相手とは二度と戻らない関わり方しか身につけられないことは目に見えています。いじめを根絶するのではなく、いじめが起こった時にどう修復していくのか。その方法を大人が子どもに教えていくべきなのだと思います。
同じ学校でも、先生によって対応が違う、考えも違う、いじめがあっても、どこからをいじめとして認識するか難しいと思います。
学校だけに任せるには不安があるのと、提言されても、実際にどの子にも、それが当てはまるかもわからない
子供達が、悩みを打ち明けられる大人が身近にいるなど子供の不安に即対応できる環境も必要ではないかと思います。
「いじめ」は、子供社会にだけあるわけではない。大人になってからも会社や、あるいは子供を通した親同士の関係にもそれは時折見られる。どんな環境にいてもきっと何かしらの「いじめ」的な行為はあるのだろうと思う。
本当にいじめをなくすのであれば、宗教や国という境を越えた、人類に共通する絶対的な何か、そいういったものが誰の目にもわかるように存在しない限りは、無くならないのがこのおろかな人類の性なのではないかとも思う。
だからこそ大事なこと。いじめられたらどうするか、いじめを受けることばかり恐れるのではなく、全ての親は自分の子を加害者にならないように育てる、ということ。私も含めて、親となったもの一人一人が、自分の心をつくしてつくして、将来の加害者・犯罪者を作らないように、もっと必死に教育をしていかなければならないと思う。
これまで仲の良かった同士があるときから急にいじめる・いじめられるの関係になってしまうことがある。
このごろ「キレる」という言葉をよくききます。程度が
極端と感じます。許容範囲を学ぶ必要があると思います。
現在いじめでなやんでいる子供の気持ちとこれから自分と周りがどうすれば良いかを本人たちと先生達で、特に大人がしっかりと考えなければなりません。中途半端な解決法では絶対にいじめはなくなりません。 教師がまずいじめられている子供の話を良く聞いて信じてあげなければ先はまったく見えないのです。 苛めている子は心が曲がっているので、親も真剣に受け止めて教育していかなければいけないと考えます。
大人のモラル、教育力の低下等、大人の抱えている問題が子ども達に影響していると思います。地域で子どもを育てて行く、自分の子どもだけでなくよその子どもにも、社会的ルールや命の尊さ・思いやり等の道徳心を根気良く教えて行くことが必要だと思います。しかし、これはやはり家庭が基本でしょう。家庭でのそうした教えがあってこそ、子ども達の心の眼を地域・学校へと向かわせるのだと思います。家庭と学校そして地域が一人ひとりの子どもを皆で育てる。その為に大人たちも多くの対話によって築かれた共通理解が持てればと思います。
パート1
ここまで来て,2つの意見があるようですね。
一つは,いじめを学校や家庭のみの範疇で考えて,教育の問題のみとしてとらえようとしているが,そこが誤りなのではないかという意見です。
家庭も学校も社会を構成する小さな単位です。職場も各種公営や民営の施設も社会構成単位です。もちろん,会社や各企業もです。
不登校や自殺などの現象面から学校にだけいじめが存在すると思われがちです。その事実もあるかもしれません。
しかし,そもそも,一体「いじめ」とは何でしょうか。
いじめとは,今や社会の常識となっている「人権侵害問題」の1つです。
家庭で言えば,ドメスティックバイオレンスが顕著でしょう。配偶者からに寄る執拗ないやがらせは,いじめ=人権侵害以外のなにものでもありません。
障害者に対する差別や自立支援法によって生活が困難になっているとテレビで訴える人々,
外国人に対する冷たい視線やコミュニケーションを意図的に避ける傾向,
受刑して出所した人々への社会復帰がままならないという困難,
女性に対する賃金制度などの格差づけ,
経済的困窮者に対する配偶者特別控除廃止や高齢者への課税強化など,
これらはすべて人権侵害のなにものでもありません。広い意味での構造的ないじめです。
パート2
学校でのいじめは,当事者がはっきりしていることや具体的な問題行動として,家庭と学校の両面で顕在化して現れるため,大きく騒がれます。
自殺などになれば,家庭と学校で数多くの人々が一生の心の傷を負います。
それで,いまやっているように,「では教育関係の法律を変えよう」とか,「家庭や学校の教育のあり方を議論しよう」ということになるのではないでしょうか。
しかし,これでは小手先の手法でしかありません。学校から,ではいじめが減少したとして,それで根本的な解決になるのでしょうか。つまり,その後の成人期というのはどうなのでしょう。
ホームレスの人を殺害したり,学生などの子どもたちを襲ったり,肉親を危めたりなど大人の世界の犯罪には,枚挙にいとまがないのではありませんか。
これらは犯罪であり,触法行為ですので,本来のいじめとは直接の関連はありません。
しかし,共通項があります。
それは,「いらいら」や「いらだち」をおさめる,押さえるためにいじめや犯罪が行われているという心理的な背景です。
様々な理由で,社会的経済的に自分に行き場が無くなり,当たる先がこの2つ,いじめと対弱者犯罪だということです。
いじめは明らかに人権侵害なのですが,触法行為ではありません。
いじめは文部科学省などが定義して,執られる措置は学校教育法(教育基本法ではありません)の出席停止措置の運用ぐらいです。つまり,刑法への位置づけはありません。
パート3
二つめの議論がここで出てきます。
いじめを,先述した他の人権侵害行為と同じものとして社会問題として扱い,単に教育の問題にしてはいけない。
そういう見方もあるようです。
これに関連して,一部の人からは,いじめが犯罪として法的に規定されていないことから,これを刑法上に位置づけることも考えるべきだという意見もあります。
しかし,これは少年法の精神から考えると多くの問題があります。
少年法が14歳を境界としていることも問題があります。中学生は13歳の生徒もいるからです。
このようにいじめを法的にどう位置づけるのか,翻って言えば,大人の世界でも,先のドメスティックバイオレンスに続いて,SEXUAL HARASSMENT,パワーハラスメントなどの形で,いじめは如実に存在します。
しかし,これらも概念だけはあるのですが,これらの言葉を用いた法律があるわけではありません。
つまり,すべての人権侵害を根本的に統合する法律が日本にはないのです。ここが,いじめ問題の考え方を複雑にしています。
人権教育は学校でも教育活動に位置づけられています。
しかし,この学校を卒業してしまうと,法的な人権を守る法整備はもうありません。
では,その大人の世界のいじめは,放置しておいてよいのか,という問題があります。
小学生や中学生の子どもの世界ばかりを考えて,では,その子どもたちが大人になったときは,どうなのか。
もういじめ=人権侵害問題として考えなくてはいいのか,という疑問です。
パート4
では,その大人の世界のいじめは,放置しておいてよいのか,という問題があります。
小学生や中学生の子どもの世界ばかりを考えて,では,その子どもたちが大人になったときは,どうなのか。
もういじめ=人権侵害問題として考えなくてはいいのか,という疑問です。
社会のいじめの二重構造があるのです。大人どうしのいじめと子どもどうしのいじめです。
子どもはやがて大人になります。子どもの時のいじめは執拗に騒がれ,禁止されて,大人になったら,たばこやお酒のようにいじめが解禁になる,というのは,きわめて大げさな言い方です。
が,現在のマスコミや社会の論調は,大人のいじめについて語ることは多くはありません。
何度も言いますが,いじめは人権侵害です。では,この人権侵害を子どもの社会ではどうするのか,そして,大人の社会のいじめはどうするのか。
つまり,社会での立ち行きの見通しの立たなくなった人々の「いらいら」「不満」「いらだち」「鬱憤」。
これらが社会への不適応という個人的な理由からではなく,制度としての結末として生み出されるのならば,どうするのか,ここから議論は始まらなくてはならないということです。。
お金や社会的地位で失敗や孤立した人の負の感情や情念が,「人々の心の中にいじめを挑発させ,生み出す原因となっている」,これはテレビや新聞の識者も語っているところですが,これらをどうするのか。
いま一度,いじめを学校としての問題,そして,学校でのいじめの延長線上にある社会のいじめとして,この両面から考え直す必要があるようです。
緊急提言の内容は目新しいことではない 提言内容そのものは あくまでも対処療法的であり 社会全体が本当に受け入れるものであるのかよくよく再検討する必要があるのではないか 「いじめ」については いじめる側に処罰として 登校停止を含んでいるが 通達に合ったにも拘わらず いままでどの教育委員会も校長も メンツを気にして とらなかっただけのことである また いじめられる側については場当たり的に 養護・保護的なカウンセリングを施してきただけである 現場では その子の深層に迫ったカウンセリングがされてきておらず 再発を繰り返す例さえ多く見受けられている 根本的な治療は学校現場では難しいのではないだろうか 当面は対処療法を取らざるを得ないだろうが 同時に 最も大切な家庭における親子の対話を大事にする為の施策を推進することではないだろうか 公民館活動における生涯学習として強力に推進することでは・・・
いじめられる側の責任を親御さんもキチンと把握すべきです。いじめられるスキを作り、いじめられる事を受諾し、何も反論せず、泣き寝入り状態を継続して、最後になると、学校が看ていない。教育委員会が監督してない等々を並べ立てるが、根本原因は我が子を慈しみ愛し育み培う家庭教育・コミュニケーションをどの程度したのか。自責の家庭教育を蔑ろにして、他責(学校や行政)ばかり原因とするのは如何なものでしょうか?
いじめの一番の原因は文部省の甘い認識と指導不足でしょ。ゆとり教育とかやったけど、結局学力の低下、いじめなどの表面化が浮き彫りになってあわてて何か対策を取るフリをしてるでしょ。一連の自殺問題でも教育委員会を初め学校だって誰一人責任とらないし、迅速な対応もできない。リーダーシップも無ければ責任能力も無い。日本の教育が腐敗するの当たり前だって。子供たちはそういう態度見てるんだから。娘の学校でも「不良を抑える自信がない」という理由で修学旅行を取りやめたいと教師が申し入れしてきました。父兄としてはあきれ返るばかり。問題のある子供たちの指導をするのではなく、アタフタとしてるだけで悪い事を悪いまま素通りさせてる現場が丸見えなんですよ。幼稚園、小学校、中学校、高校・・・子供が小さいうちだから治せる事が、一年間の担任さえ無難に終われば良いと言う教師や教育委員会、文部省のアホな指導の上で教育現場が修正も改善も手遅れ状態にしてるんです。
子供の頃、悪い事をしたら殴られる。叩かれる。そんなの当たり前だった。痛い思いにも愛情がわかるから道にそれそうな時に教師や社会が修正してくれたのだと思う。いじめ?愛情も無く、ただ無難に時間の経過をはかる今の教育現場や役人の考え方が根本的に変わらない限り、絶対改善なんか望めないと思うよ。わが子は自分で守る以外ないんじゃないですかね。
>からかいといじめが混同されていて、マスコミの過熱報道にも影響され、いじめではないのにいじめられたと言う子どもが増えている。(小6)
からかいといじめの線引きはどこにあるのか?
先日のことですが小学一年生になるうちの子は泣いてい帰ってきました。
どうやら以前嘔吐したことを同級生に「汚い」とか言われ、押されたりもしたようです。
からかいと言われればそれまでかもしれませんが言われた本人はとても傷ついています。
親としてこういう姿を見ると悲しくなるしからかった子に対してとても腹立たしく感じました。
しかもこういうことはやはり大人(先生も含む)の目の届かない場所。
だからと言って私もどう対処したらよいか分からずただただ腹立たしく感じるばかりでした。
もうそんな子の事は相手にしなくていいからと言ってしまいたくなりますがこれからも付き合っていかなければならない環境にあるし本当にどうすればいいのか。
ただ今回のことで子供にも自分がされたら嫌な思いをすることは人にしてはいけないということは教えてあげることが出来ました。
やはりいじめは社会でもあると思います。しかしいじめは誰かに解決してもらうものではなく自分で解決するものです。もしも教師や保護者がなんだかの形で協力するなら対抗しうる知恵を与えてあげることではないでしょうか?本で読んだものや人から来たものではなく自分の経験が子供の役に立つと思います。
いじめをする子は、家庭の中で親と上手くいっていない子が殆どだと思います。家庭の中での親子の会話がないと、親子は分かりあえないので、親と子の間で溝が何時の間にか生まれてしまっている事に以外と親は気ずかないケ!)スがとても多いと思います。子供の事をわかっているつもりが、実はわかっていなくて、何か問題が起きた時に、家の子はそんな事をする子ではありませんから!と言って目の前の問題から目をそらす親が多いと思います。それによって子供と親の間はどんどん離れていってしまい、その、うさばらしで誰かいじめるターゲットを探していじめる、と言う事があると思います。後は、過剰に子供に親の期待を重く乗せている場合と、必要以上に子供を信じない、いつも子供を疑うと言う場合もいじめに走るきっかけになってしまうと思います。いじめられていた子はいじめられている事を親に話せない、これも、親子間が上手く行っていないから、親の事を子供は信用していないから心を開けないのだと思います。どんな小さな事でも、くだらない事でも良いので親子で会話が必要だと思います。その親子の会話の中で常識・非常識、相手の気持ちになって考える事を親から子に教えていくようにしていかないといじめはなかなか無くならないと思いますよ。
いじめには受けた本人にしか解らない苦しみがあります。それはその本人が人生を自ら終わらせてしまう悲劇までにもなっています。本人はもちろんの事残された家族は悔やむに悔やみ切れない思いがあるでしょう。とても悲しい事です。いじめには多くの要因があると思います。少しのきっかけが後にして大きくなっているのではないのでしょうか。いじめを無くす案の一例として、教育者側が昼食時担当するクラスでの食事をしてみてはと考えます。それにより授業とは違うクラスの状態を把握でき、またいじめに対する防止にも繋がっていくのではと思います。
一番は子供がありのままの感情を言える環境が必要なのだと思います。「あの子、ずるいよ〜」とかいじめる理由を言える相手、それを聞いて責めるのではなく解決する方法を導いてくれる大人が必要なのだと思います。それが指導なのではないでしょうか?子供はありのままを受け入れてもらえない、怒られると思うので「いい子」を演じてストレスを貯めているように見えます。
特に中学生には抑えつける指導ではなく、信頼関係を築く工夫がほしいと思います。(子供14歳、11歳、5歳)