2015/01/09

シリーズ 未来の学校 第5回 | 秋田県発、リベラルアーツ教育がグローバル人材を輩出する【後編】[2/7]

【後編】 ワールドクラスのリベラルアーツカレッジを目指して [2/7]

予想とは違った海外留学

 柳澤隼人(やなぎさわはやと)さんはAIUの4年生。現在グローバル・ビジネス課程に所属しており、AIUのカリキュラムを一通り終えている。入学してから3年半、AIUで受けた教育はどのようなものだったのだろうか。柳澤さんにインタビューした。

─ AIUを志望した理由は何ですか?

 「3歳から5年間米国のカリフォルニア州、その後、ベルギーのアントワープに5年間住んでいました。中学2年生のときに帰国して、大学受験まで日本に住んでいたのですが、英語を忘れてきていると日々実感していました。せっかく英語力が身についたのに、使わないでそれを失うのは嫌でした。AIUは授業を英語で行い、海外からの留学生がたくさんいるので、英語を話す機会がたくさんあります。また、海外留学との寮生活にひかれたので、本学を志望しました」

─ 留学生のルームメイトとの寮生活はどうでしたか。

 「オーストラリアからの留学生がルームメイトでした。彼は日本に興味があり、日本人と友達になりたいというフレンドリーな人だったので、恵まれていました」

─ 共同生活をするうえで、ルームメイトと約束事はありましたか。

 「ストレスを抱えるのはお互いによくないので、暮らしていくうえで不満に思ったことは言い合おうという話をしました」

─ 留学はいつ頃、どのような理由で決めましたか。

 「大学2年生の冬から1年間、米国のニューヨーク州立大学に留学しました。幼いときに5年間住んでいた米国を、大人になった目で見たかったことと、留学先の大学にラグビー部があったことが選んだ理由です」

─ 実際に留学してみてどうでした。

 「海外に暮らした経験があったので、渡米前に不安はなかったのですが、実際は予想と違いました」

─ どのような点が違ったのですか。

 「幼い頃は家族と住んでいたので、学校から帰れば日本語を話せたり、ご飯を作ってもらえたり、買い物もしてもらいました。それが、一日中英語の生活、何もかもひとりでやらなければいけない、家に帰っても落ち着かない感じで一種のカルチャーショックを受けました」

─ カルチャーショックからはどのように立ち直りましたか。

 「寮生活や部活に入り、色々な人とコミュニケーションをとるうちに、留学生活に慣れていきました。特にラグビー部の友達がとても優しくて、自宅に招いてくれたり、日本食スーパーに連れて行ってくれたり、本当に助かりました」

価値観と文化の違いを乗り越えて

─ 留学生活で大変だったことは何ですか。

 「価値観、文化の違いです。例えば、所属していたラグビー部でのプレースタイルが日本とまるで違いました。米国のラグビーはとにかく力任せです。『オレがオレが』という感じです。日本で重視される技術や連係プレーの練習はなかったです。自分が適応できるかどうか、最初は悩みました」

─ どのようにチームに溶けこみましたか。

 「個人プレーを重視しながら、連係プレーも試みる。同時に、自分たちのチームに足りないものや、どうすればチームをいい方向に変えられるか、ということを考えていました」

─ その考えをチームに伝えましたか。

 「キャプテンに『こうすればチームはもっとよくなる』と言ったのですが、最初は受け入れてもらえず、試合にも出られませんでした。ところが、毎日練習に出ていくうちに徐々に信頼関係が生まれ、試合に出られるようになったのです。そのタイミングでキャプテンに1つの練習メニューを提案したところ、受け入れてもらえました。帰国するときに、『君がいなくなってもこの練習は続けるから』とキャプテンに言われたときは、嬉しかったですね」

─ AIUでの学生生活で特によいところはどこですか。

 「一番はさまざまな人と深く関わることができるところです。多様な国籍や背景の人たちと一緒に暮らすと、多くの考え方に触れ、相手の立場になって考え、コミュニケーションする力が身につきます。単に英語力が身につくということではなく、どんな人に対してもどのように関わればいいのかということが学べます」
 柳澤さんは、EAP(英語集中プログラム)、基盤教育、海外留学、専門教養教育の単位取得をほぼ終え、農業機械総合メーカーからすでに就職の内定をもらっている。就職先の企業には多くの海外拠点があり、柳澤さんは、まずはフランスの工場長を目指したいという。ラグビーが盛んで、シャンパンラグビーと呼ばれる美しい連係プレーを伝統とするフランスは、彼にピッタリな国に思えた。