2020/02/17
どのような社会でも生き抜く力を育む 子どもたちが追究する探究的な学びの実現を
いま日本が目指す教育とは何か
これからの教育を各界の第一人者に聞く「教育フォーサイト」。
これからの教育を各界の第一人者に聞く「教育フォーサイト」。
今回は青山学院大学の耳塚寛明学部特任教授に話を聞いた。
2020年度から小学校で新学習指導要領が全面実施されますが、その次の改訂時期となる2030年以降を見据えた教育の議論が始まっています。予測される社会変化に対応し、予見できない不明瞭な未来を生き抜く力を育むために、どのような学校教育が求められることになるのでしょうか。教育社会学の知見から現在と未来の橋渡しをして見えてきた、学校教育が果たす役割について、青山学院大学の耳塚寛明学部特任教授にうかがいました。
「知識生産型」の学びへの転換が必要
— 2030年の教育を考える際に、どういった視点が必要になるでしょうか。
耳塚 この先の社会を考える際には、2つのポイントを押さえる必要があります。
1つめは、データなどを駆使して現状を点検することです。今の教育での成果と、克服すべき課題とは何か。それらを的確に把握した上で、次なる一手を考えるべきです。
2つめは、次なる一手を考える際に、「将来」と「未来」を分けて考えることです。将来とは、まさに来たらんとする日本の人口減少や高齢者比率の増加など、予測できる社会変化を指します。それらは、目に見えることであり、まだ対応ができます。
一方、未来とは、「未だ来ざる社会」のことです。今は変動が常態化し、しかも急激です。一つの国の変化にとどまらず、グローバルに動く点も特徴であるため、予測が大変難しく、対応もしにくくなります。
今後約10年の教育の基本的な構想を示している「第3期教育振興基本計画」や「新学習指導要領」では、予測困難な時代における学びが強調されています。
— 予測困難な未来社会で生きていくためには、どのような力が必要だとお考えですか。
耳塚 今、大学生を見ていて、3つのことを強く思います。
1つめは、学び方が受動的であることです。重要な部分をノートに書き留められないなど、講義で満足にノートを取れない学生が目立ちます。話を聞いてノートを取る習慣や姿勢がなく、大切なポイントを自ら聴き取る力が身についていないからでしょう。高校時代までの経験から、重要なポイントは示されるものであり、そこさえ理解すればよい、と思っている節があります。
2つめは、漢字の読み書きをはじめとする基礎学力が不足し、文章を正確に読み取る読解力が十分ではないことです。その背景には、読書経験の不足があるかもしれません。
3つめは、世界観が偏っていることです。今の大学生は、自分が発言することには慣れていますが、それは、幅広い知識や教養に裏うちされた意見や根拠のあるアイデアではありません。自分の感想と建設的な意見の違いを考えていないだけでなく、意見と事実との区別もできていないのではないか、と感じることもあります。
新学習指導要領では、学力の3要素として「生きて働く知識・技能の習得」「未知の状況にも対応できる思考力・判断力・表現力」「学びを人生や社会に生かそうとする学びに向かう力・人間性」が示されました。
子どもたちはまさしくそれらの力を身につける必要があり、学校教育を「知識受容型」の学びから、「知識生産型」の学びに転換させることが不可欠です。
これまでは、知識は与えられるものであり、それをいかに早く吸収するかを競ってきました。しかし、知識は、誰かが自然・人間・社会を観察して生産した結果です。特に高等教育においては、知識を組み合わせて新しい世界観を構築する思考力を磨き、知識を評価する批判力の獲得が、予測困難な社会を生き抜くために必要だと言ってよいでしょう。 教育現場は、知識に対する理解をパラダイムシフトしなければならないのです。
根拠のある現実的な提案ができるような探究的な学びを
— 知識の受容者から生産者へと転換するには、どんな教育が必要でしょうか。
耳塚 新学習指導要領でも重きを置かれている、探究的な学びです。小・中学校では、「総合的な学習の時間」、高校では「総合的な探究の時間」が設けられましたが、探究する力は、すべての授業、あらゆる学校内活動で培っていかなければいけません。
例えば、ある地方の公立進学校では、1年生に3単位の学校設定科目を設定し、探究的な学びを行っています。1学年を約15人ずつのグループに分け、国語、地理歴史・公民、数学、理科、英語で、教員が自らの大学時代の卒業論文や修士論文のテーマを生徒にぶつけます。生徒は知識を総動員して課題について考え、仲間と話し合います。
そのような探究的な学びを行うためには、基礎学力や教養が欠かせません。それがなければ、単なる思いつきを言い合う場になってしまうからです。
— 形ばかりの探究に終わらせず、探究的な学びを成立させるにはどうしたらよいのでしょうか。
耳塚 いくつかのポイントがあると思いますが、まずは思いつきの発言で終わらせずに、発言の根拠やアイデアの実現性を考えさせるのはどうでしょう。
例えば、地方の少子高齢化対策をテーマにした際、「大学を地方につくれば、若者が来るようになる」といったアイデアが出されたとします。それに対して、「地方に大学をつくる、大学側のメリットは何か?」「開学後に維持できるのか?」など、疑問を投げかけるのです。実現可能かを掘り下げて考えるうちに自分事となり、問題解決に向けて知識を組み合わせたり、データを探して参照したりするようになります。そうしたアプローチでは、探究しながら教養を身につけることにもつながります。
もちろん、探究的な学びが深まるよう、教員が生徒個々を支援することは容易ではありません。そこで、大学教員や自治体職員など、外部の専門家と連携し、根拠のある現実的な提案にまでつなげていく支援が求められるのです。大学教員は知的好奇心の塊ですから、真剣に取り組む高校生を前に、アドバイスを惜しむ人はいないはずです。地域の問題解決に自治体と連携して取り組むことは、学校を地域に開いていくことにもつながります。
教員に求められる、教科の高い専門性と回り道を許容する姿勢
— 探究的な学びにおいて、教員に求められる指導力とは何でしょうか。
耳塚
まず、教科の専門性が欠かせません。先日、ある中学校で、ヨーロッパの電力問題を取り上げた社会科の授業を参観しました。フランスの新聞の翻訳版を使い、「ドイツは脱原発を掲げているが、なぜそれが可能なのか?」を考えさせる内容です。生徒にデータを分析させると、隣国のフランスが原発で生産した電気を、ドイツが購入しているという背景が見えてきました。このように、生きた現実的問題を掘り下げて考えさせることで、電力問題にどのような選択肢があるのかを見いだすことができるでしょう。
子どもが本質的な探究ができる授業を実現させるには、教員の広い教養と深い専門性が欠かせません。そして、専門性とは、知識の量ではありません。新しい知識を自ら生産する「方法」を身につけているかどうか、です。
— ほかに、子どもを探究的な学びに導くために必要なことはありますか。
耳塚 子どもの探究の過程を見守り、軌道修正し、掘り下げやすい状況をつくり出すことです。そのために、教員自身が探究を経験する必要があります。 教員養成段階で考えると、教育学部での卒業論文への取り組み方を見直したり、教員採用試験で論文の評価の比重を大きくしたりする方法が考えられます。また、探究的な学びの指導法に関する研修の充実も重要でしょう。
さらに、探究的な学びでは回り道を許容する姿勢も必要です。例えば、「よく飛ぶ紙飛行機を作りたい」というテーマで、話し合いや実験をしながら子どもたちが検証していく場面を考えてください。紙飛行機の作り方を教えたほうが時間的に早いとしても、教員はあくまで支援者として子どもたちを見守ります。そして、子どもたちが「なぜ長く飛ばないのだろう」と疑問を抱き、それについていくつかの仮説を思いつき始めたベストなタイミングで、教員は算数や理科の知識を提示し、探究の質を高めていくのです。
— 学校や教育行政の立場から、探究的な学びの充実を図るために必要な視点を教えてください。
耳塚 例えば、学校でのICT環境の整備と授業での活用は、一刻も早く進めたいことです。PISA調査でも明らかなとおり、日本は授業でのICT活用が、各国と比較して極端に遅れている状況です。
普通教室にパソコンやタブレット端末が必ずある状況にしてこそ、授業の中で「ちょっと調べてみよう」と探究へと促すことができます。
AI時代を生きていくために必要な力の育成を
— 急激な社会変化の中で、学校の役割はどのように変化していくとお考えですか。
耳塚 子どもが個人で行うことのできる学びと、集団でなければできない学びの仕分けが、進むのではないでしょうか。例えば、知識やスキルの習得は1人でも可能であり、ICT環境の充実はその効率性に拍車をかけるでしょう。
他方、学校は集団でしか得られない学びに軸足を移していくことになるでしょう。1人で思考の幅を広げることは難しいものです。多様な人とかかわりがあってこそ、「これは自分では考えつかなかった」「そんな視点があるのか」と気づけるものです。 知識の習得は1人でできますし、そのほうが効率的な場合もあります。しかし、ものの見方を広げたり、多角的な視点から思考を深めたりするには、集団での学びが必要です。
— 探究的な姿勢は、家庭での生活経験によって培われる側面も大きいと思います。
耳塚 そのとおりです。家庭でどのような生活経験をしているかは、大きな影響があります。ですが、家庭の影響力が大きくなればなるほど、家庭的背景による学力格差は大きくなってしまいます。私は、学校ができることはまだまだあると思っています。学校が学びのセーフティネットとなることで、家庭の差による子どもの不利益を最小限にすることができるはずです。
例えば、外国籍の子どもが3〜4割を占めるある中学校では、校長の方針で、2つのことを実践しました。第一に、外国籍の子どもがいなければできない教育の充実です。具体的には、多文化共生教育を研究テーマに設定しました。外国籍の生徒が多い状況を積極的に活用したのです。
第二に、外国籍の生徒の学力向上を目標に掲げました。外国籍の生徒に日本語の個別指導を長期間行うのではなく、外国籍の生徒にも理解できるように通常授業を行うことを徹底させたのです。その結果、日本国籍の生徒にもわかりやすい授業となり、学校全体で学力が伸びていきました。
校長が、「10年後の日本社会は、もっと外国籍の子どもが増える。そうなった時、我が校はトップランナーになれる」と語ったことが印象的でした。
— 学校が果たすべき役割はますます重要となっていきます。
耳塚 教科指導に加えて、統計的なリテラシーを学ぶ場とする必要性も感じています。 来たるAI時代には、統計的なリテラシーが欠かせません。先日、AIが人事評価を下すといったニュースが話題になりました。アメリカでは、生徒の学力調査の結果から、A Iの判定によって教員を解雇した行政機関が出ています。
AIという確率論を、人事的な処遇に直接適用することは正しいのか。統計的なリテラシーがなければ、そうした事態を判断することもできません。
「AIに使われる」のではなく、「AIを使う」側の人間になるためには、統計を学ぶ機会が必要です。数学では統計の単元がありますが、理科や社会科の中でも統計的視点をどう使っていくかを学んだほうがよいと考えています。AI社会を迎えるにあたって必要となる力を養う役割を、学校は期待されているのです。
耳塚寛明
青山学院大学 コミュニティ人間科学部 学部特任教授
専門は教育社会学。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。国立教育研究所研究員、お茶の水女子大学講師を経て、同大学教授、文教育学部学部長、理事、副学長を歴任。現在、文部科学省「全国的な学力調査に関する専門家会議」の座長を務める。