2019/05/16
動機づけの社会性について
寄稿:伊藤忠弘(学習院大学文学部心理学科 教授)
この度、アセスメント・教材研究開発室で教育心理学・社会心理学の専門家による講演会「動機づけの社会性について」を開催しました。講演の詳細につきまして、講師の伊藤忠弘先生(学習院大学教授)より寄稿いただきましたので紹介いたします。
1.動機づけとは
動機づけ (motivation) とは、何らかの行動が引き起こされるプロセスである。心理学では摂食、攻撃、配偶など生存や繁殖に関わる生物に共通の行動を扱うが、教育心理学では達成行動に焦点が当てられる。社会的動機の「達成」は、「むずかしいことを成し遂げること」や「障害を克服し高い標準に達すること」と定義される。快刺激に接近したり不快刺激を避けたりするような単純なメカニズムでは説明が難しい、困難を乗り越えて達成に至るプロセスを理解しようとするものである。
2.努力は必ず報われるのか? 努力と結果との関係性に対する認識
このように達成のためには困難を乗り越える努力が不可欠と考えられる。他者や自分に努力を促す際に使われる「努力は必ず報われる」という言葉は、AKB48に所属していた高橋みなみさんが好んで使い、一部で物議も醸した。ベネッセ教育総合研究所の2008年の調査では、「日本は努力すればむくわれる社会だ」という項目に「とてもそう思う」 (7.7%)、「まあそう思う」 (35.1%) と回答した大学生は合わせても半数に満たない (Benesse, 2008)。また2015年の調査では、2つの回答を合わせて小学生で81.8%が肯定的に反応するが、中学生では65.6%、高校生では50.3%、と年齢と共に努力が報われると考えない人が増える (Benesse, 2015)。
努力が結果に結びつくという信念は、「行動と結果の随伴性」あるいは「結果期待」と呼ばれる。半世紀ほど前セリグマンという心理学者は、次のような実験を行った。どう動いても逃れることのできない電気ショックをイヌに繰り返し与えた後で、翌日に今度は囲いを飛び越えて隣室に移れば回避できる状況を用意した。実験の結果、電気ショックを繰り返し与えられたイヌは回避可能な状況下であっても、回避行動をとらずに与えられる電気ショックを甘んじて受け続けたことを明らかにした。この様子は「学習された無力感」と名づけられ、人が無気力になってうつ病に至るプロセスを説明するモデルとなった。その根幹には、自分の行動で結果を変えられないという認知、努力しても望ましい結果が得られないという結果期待の低さがあるとされる。
筆者は大学生の「努力は必ず報われる」に対する捉え方を調査した。その結果、努力を続けることが結果につながるとする「持続的努力への信念」、努力だけではどうしようもない生まれつきの才能の重要性を意識する「努力の限界」、結果とは無関係に努力自体に意味があるとする「努力の価値化」、努力が報われるかは問わずに好きだからしていると考える「努力の合理化」の4つの「努力観」を区別できた。このような努力観もセリグマンの実験操作と同様に動機づけに影響を与えるだろう。
3.頭の良さは生まれつき? 学習における目標と知能に対する価値観との影響
「地頭」をなんと読むだろうか。筆者ならかつて日本史の授業で習った「じどう」である。また能に関連した「じがしら」という単語もあるらしい。しかし現在の大学生はほぼ確実に「じあたま」と読む。筆者は数年前まで「地頭 (じあたま) 」を知らなかった。2018年に出版された広辞苑第七版では、じあたま【地頭】は“①かつらを用いない頭。地髪。②生まれつき備わった頭の働き”と説明されている。大学生はこの②の意味として使っているが、2008年の第六版には①の意味しか書かれていない。恐らくこの10年の間に広く認知されたと推測される。他の国語辞典で②の意味が書かれていたのは2つだけで、1つは2014年の三省堂国語辞典第七版に2番目の意味として“〔俗〕生まれつきの頭の働き。「-がいい」”とあり、俗語の扱いである。
筆者が調べて最も古かったのが2012年の小学館大辞泉第二版で、1番目の意味として“大学などでの教育で与えられたのではない、その人本来の頭の良さ。一般に知識の多寡でなく、論理的思考力やコミュニケーション能力などをいう。「-がいい」「-を鍛える」”と解説されている。「知識の多寡」「論理的思考力」「コミュニケーション能力」は心理学で扱われる「知能」概念に含まれる多様な意味とほぼ重なる。人と人を比べて「地頭が違う」と言うのを見聞きするに、一般的に「地頭」はその人「本来の」「生まれつきの」能力を強調して使っているように思える。このような傾向は、人々の動機づけや学習への取り組み方に対してどのような影響をもつのだろうか。
達成目標理論では学習者がもつ2つの目標を対比し、その違いによって動機づけのあり方を説明する。1つは他者から高い評価を得る、あるいは低い評価を避けることを学習場面の目標とする遂行目標 (パフォーマンス・ゴール) であり、もう1つは自分の能力を高めることを目標とする学習目標 (ラーニング・ゴール) ないし習熟目標 (マスタリー・ゴール) である。この理論によれば、遂行目標をもつ学習者がテストの失敗などで自分の能力に自信がもてなくなると動機づけが低下すると説明される。またテスト前になってもあえて勉強しない、セルフ・ハンディキャッピングという不合理な行動をとりやすいことも指摘されている。勉強 (努力) しないで成績が悪くても原因は勉強 (努力) 不足と考えられて「頭が悪い (能力が低い) 」ことにならない。もし成績が良かったなら能力が高いと見られる。遂行目標をもつ人にとってはまさにうってつけである。
学習者の目標を左右するのが知能観である。訓練や努力で知能を変えられると考える増大的知能観の人は学習 (習熟) 目標をもちやすいが、知能を生まれつきで変わらないと考える固定的知能観の人は、自分の知能を先生や友人とのやりとりを通してどのように見せるかに腐心することになり、遂行目標をもつことになる。筆者が小学4、5年生の時に、確か漢字の読み方について先生の質問に挙手をして答えるという授業があった。筆者を含めほとんどの子どもが手を挙げ、先生がそのうちの一人を指名した。ところがその子は何も答えずそのまま文字通り固まってしまった。その時に「わからないなら手を挙げるなよ」と迷惑ぎみに感じた一方で「なんで?」と不思議に思ったことが記憶に残っていた。改めて考えると、わからないのに手を挙げることは「自分がわからないことを周りに悟られない」ための一か八かの行動であったのかもしれないと思う。学習以外の目標をもって教室に座っている子どもは少なくはないのだろう。もし「地頭」を強調する風潮が高まっているならば、学習場面での動機づけの低下や不適切な学習行動がさらに広まっていくことが懸念される。
4.親・教師がもつ努力観・能力観の影響
学習者を評価する親、教師もそれぞれが努力観、能力観をもち、それによって指導の仕方や評価の仕方が変わる。目標理論の研究では、学習 (習熟) 目標を強調する教室や教師が望ましいとされる。教師自身が増大的知能観をもち学習 (習熟) 目標をもつならば、学習者に対しても能力の可変性を強調するし、失敗の意味やテストといった評価の目的を伝えることで間接的に学習者が学習 (習熟) 目標をもつことを促す。また成績といった結果よりも学習過程に着目し、能力の伸びや努力の程度を評価すると予想される。
ただし努力の強調が常に望ましいとは限らない。例えば努力の過程を強調する組織のリーダーが努力アピールをする集団成員を過大に評価することで、適材適所の見極めを損なうなど集団全体のパフォーマンスを下げてしまう可能性が指摘されている (今瀧・相田・村本, 2018)。また「為せば成る」といった努力信仰や努力することを重視する努力の美徳化に基づく親や教師の努力の過度な強調が学習者を翻弄し苦しめることも指摘されている (奈須, 1993)。学習者は評価者に対して自分が努力をしていることをアピールしなければならない。一方で親や教師の言うとおりに努力することは、所属する仲間集団の規範とは相容れないかもしれない (「努力することは格好悪い」)。このため仲間に対して努力する姿を隠したり、あるいは親や教師に対して努力したかったができなかったという言い訳を用意しなければならない。
5.「楽しいから努力する」のは本当なのか? 内発的動機づけとその難しさ
「内発的動機づけ」は教育現場で広く認知されている概念である。その定義は多様だが、一般的には活動それ自体を目的として、興味や関心、好奇心にしたがっている動機づけであり、活動内容とは直接関係しない目的を達成するための手段となっている外発的動機づけと区別される。学習場面で言えば、「面白いから」「楽しいから」勉強するのが内発的動機づけであり、「お小遣いをもらうため」「叱られるから」「友だちに負けたくないから」「合格するため」勉強するのが外発的動機づけと考えられる。教育界では広く「内発的動機づけが望ましい」という言説が流布しており、伊田・乾 (2012) はその問題点として、「楽しさ」以外の価値を議論することなく、勉強がもたらす「楽しさ」以外の様々な外発的動機づけを「楽しさ」で覆い隠すことで、「楽しんでやっていたら、結果としていろんな報酬が後からついてきた」といったストーリーが仕立て上げられ、別の学習者がこれを真に受けると、受験に備えて自分が苦しみながら学習していると自覚した場合、ストーリーに照らして「本物ではない」と考え、「自分は学習には向いていない」と追い込まれることを指摘している。
「楽しさ」の強調は教師に学習課題を直感的に楽しいものにする工夫を凝らすことを促す。このような場面での「学習内容との関連が薄い (あるいは無関係な) 表層的なおもしろさによって生じる動機づけ」は「疑似内発的動機づけ」と呼ばれる (伊田, 2015)。これが導入となり自律的な動機づけへ移行する可能性もあるが、学習者は楽しませてもらっている点で他律的であり、興味や関心が喚起されなくなると学習行動が続かないおそれもある。一方で自らの行動を維持する方略として、何らかの困難に直面した際に学習者自身が表層的なおもしろさを導入することもある。達成行動が困難を乗り越える努力を伴うものなら「楽しい」活動ばかりではないため、努力観として明らかにされたように「好きだからしている」と努力を合理化して考えるだけでなく、実際に楽しめるように工夫することも自律的な学習に至るためには必要となる。
6.他人のために努力すること 他者志向的動機
話は変わるが、社会貢献をしているプロ野球選手に1999年よりゴールデンスピリット賞が贈られている。その受賞理由を調べると自分の成績に応じて寄付活動をしている選手が多いことに気づく。例えば2017年に岩田稔選手が自身も発症した1型糖尿病の研究のために2009年より1勝につき10万円を寄付してきたことなどで、2016年には内海哲也選手が2008年より奪三振数、2013年からは投球回数に応じてランドセルを寄付してきたことで受賞している (報知新聞社, 2018)。わざわざシーズンの成績と寄付額を連動させるルールをつくる理由を考えてみると、自分の成績や目標に社会的な価値を付与することで、自分の努力が自身の目標だけでなく社会的な目標も一緒に達成できる状況を作り、自分を目標にコミットさせてプレーへの努力を動機づけていると推測できる。「自分が努力すれば他者を幸せにできる」ようにすることが彼らにとって努力を継続するための動機づけ方略と考えられる。
筆者は大学生に努力した経験を回顧させ、努力するにあたり必要なことを尋ねる面接調査を行った。その回答データでは「自己」に関連した要因 (努力すれば結果に至るという随伴性の認知、楽しさや興味といった内発的動機づけ、自分の意志や欲求の強さなど) と共に、「他者」に関連した要因 (他者から評価されたり承認されること、他者から受ける支援や期待、共に努力する仲間やライバルの存在、周囲の他者との良好な関係、他者に役立っているといった行為の意味づけ、など) も挙げられていた。なかでも「人の願いや期待に応えることを自分に課して努力を続ける意欲」は、日本人の達成への動機づけの特徴として「他者志向的動機」と呼ばれる。例えば野口英世の伝記で医者を志す理由として「自分を助けてくれた、先生や友だちへの、いちばんいいご恩返しになる」という描き方は海外の伝記の翻訳には見られないという (真島, 1995)。「恩返し」は偉業の達成者のエピソードで語られることが多いものの、達成への動機づけにおける周囲の他者が果たす役割については今後の研究が待たれる。
参考文献
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Benesse (2008). 第1回大学生の学習・生活実態調査報告書 ベネッセ教育総合研究所
Retrieved from https://benesse.jp/berd/koutou/research/detail_3161.html
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Benesse (2015). 第5回学習基本調査報告書 ベネッセ教育総合研究所
Retrieved from https://benesse.jp/berd/shotouchutou/research/detail_4862.html
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報知新聞社 (2018). ゴールデンスピリット賞 株式会社報知新聞社
Retrieved from https://www.hochi.co.jp/award/golden_spirit/ (2019年3月29日) - 伊田勝憲 (2015). 「擬似内発的動機づけ」の概念化可能性を探る:自律的動機づけ形成のデュアルプロセスモデル構築 静岡大学教育学部研究報告 (人文・社会・自然科学篇), 65, 139-150.
- 伊田勝憲・乾真希子 (2012). 学習意欲研究における自律性の位置づけ:内発的動機づけの批判的検討を通して 釧路論集:北海道教育大学釧路校研究紀要, 43, 7-14.
- 今瀧夢・相田直樹・村本由紀子 (2018). リーダーの暗黙理論がチーム差配に及ぼす影響:失敗した成員に対する評価に着目して 社会心理学研究, 33, 115-125.
- 見坊豪紀・市川孝・飛田良文・山崎誠・飯間浩明・塩田雄大 (編) (2014). 三省堂国語辞典第七版 三省堂
- 真島真理 (1995). 学習動機づけと「自己概念」 東洋 (編) 現代のエスプリ333 意欲 やる気と生きがい (pp. 123-137) 至文堂
- 松村明 (監修) (2012). 大辞泉第二版 小学館
- 奈須正裕 (1993). 声援なき教育のすすめ -努力至上主義を問い直す- 若き認知心理学者の会 認知心理学者 教育を語る (pp. 158-167) 北大路書房
- 新村出 (編) (2018). 広辞苑第七版 岩波書店